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アメリカの家賃の話

今回は家賃の話です。

前に観た日本の番組で「東京人vs大阪人」みたいな企画の街頭インタビューで「人に家賃いくら払ってるか聞きますか?」という質問がありました。大阪の人は「あ〜聞く聞く、全然聞くでえ〜」という答えが圧倒的に多く、東京の人は「そんな生々しいことは聞かないかな〜」みたいなことになってました。

まあ、TV局のことなんでバラエティー企画を面白おかしくするために、大阪・東京のイメージ、さもありなんという編集してる可能性はあると思いましたが、僕的には面白えなあ〜と思いました。

去年、長期帰国で大阪に2ヶ月ほど滞在する機会があって、その大阪で借りてるマンションのエアコンがぶっ壊れたんですね。そして修理に来ていた業者の若者が作業を進めるのに立ち合ったわけです。そして作業も終わりかけた頃、それまで殆ど喋らなかった若者が唐突に
「ここの家賃ってなんぼですか?」
って聞いてきたんです。

大阪キターーーー!と思いましたw

んで、僕が家賃を言うと「マジですか!もっとムチャクチャ高いと思ってました」と言うではないですか。彼は職業柄いろんなマンションやら家やらアパートに行く事が当然多いわけで、まあ数多く物件を見てるわけです。そんな彼が「これだけ良い物件なのに家賃はムッチャお得ですよ!」と言ってくれてるわけです。悪い気はしません。その後、大阪の家賃事情から彼の住んでる街の話、こっちはアメリカから一時帰国してる話へと展開していき、アメリカの家賃事情の話なんかにもなりました。

僕は生粋の大阪人ではありませんが、大阪の肩を持つとすれば、家賃を聞く事は相手の経済状況を推し量るという下世話な意味は殆どなく、あくまでコミュニケーションツールとしてソコソコ盛り上がる話題の一つなんじゃないかと思うわけです。僕が正直に家賃を言えば彼はちゃんと彼なりの見解をくれて褒めてくれる。彼のとこの家賃は「安くてええんですど上の階のガキどもが走り回る音がメッチャうるさいんですわ」と笑う。人を褒めて自分はボケのスタンスを取るという大阪の子の優しさも感じられます。

なんだか初対面のオジサンと若者との間に、人としての等身大の会話が成り立ったような気になります。そのくらいそれぞれの人生の場面において住む場所と家賃って重要度ポイントは高いと思うわけです。


さて前置きが長くなりましたが、アメリカの家賃の話。

これはどこかの資料から引っ張って来たアメリカの平均家賃とか相場の話ではなく、あくまで僕個人がこれまでの南カリフォルニア生活の間、転々としたアパートたちとそれぞれの家賃という実体験に基づいた話です。

==1軒目・パルプフィクション的アパート(1980年代)==

アメリカ最初のアパートはLAから南下した郊外の古い街、日系人や日本人が比較的多いエリアにあるアパートです。アパートのマネージャーも優しい日系人のおばちゃんでした。アパートの規模は30ユニット程度。

映画パルプフィクションでブッチ(Bruce Willis )が父親の形見の腕時計を取りに帰るアパート、そこで先に部屋に忍び込んでウンコ中だった殺し屋のヴィンセント(John Travolta) と鉢合わせになる。まさにあんな感じのアパートです。コの字型の建物でセンター中庭にはヒョウタン型のプールがある古いアパートでした。どちらかと言えばボロアパートですが、最終大阪で住んでたアパートに比べれば遥かに広かったので、ボロさは全く気になりませんでした。(って言うよりアメリカのアパートカッコいい!と思っていた)

家賃は$325でした。部屋はStudioタイプ、いわゆるワンルームです。ただこの当時の為替レートは $1=250円 くらいで、そしてプラザ合意以降、急激に為替も変動していくのですが、ここは円には換算せずフラットに$325ドルだったという事で話を進めていきます。

2軒目
給料が少し上がったので同じアパート内で広い間取りのユニットに引っ越しました。
家賃 $575 部屋は2 bed room (いわゆる2LDK)

アパート内で引っ越ししながら結局 4年ほど住んだと思います。エリア的に治安は中の中。良くもなく悪くもなく。アパート周辺で危険な目には合いませんでしたが、駐車場に停めてた車が2回車上荒らしされ2回ともウインドウ割られました。


==3軒目 ビーチへ(1980年代後半〜90年代)==

2回目の車上荒らしの後、もうちょっと安全なエリアに引っ越してえ〜って事で、一気に海へ、ビーチ沿いの街を目指しました。

でも、アパート探しは困難を極めました。

まず当時はネットがないので頼りは地元の新聞の賃貸コーナー。当たりをつけたそれぞれのアパートの小さい賃貸情報記事を切り取りノートに貼り付け、携帯も無いので家電で片っ端から電話しながら詳細情報のメモを取っていきます。

当時の僕の英語力ではかなりハードルが高い作業でした。

おまけに人種差別もあります。ビーチ沿いにある3つのシティーを北から順番に潰して行きますが、なかなか物件に巡り会えず(拒絶されたり)で、3つ目の最後の市でビーチ移住作戦を諦めかけた頃、最後の1軒だった南外れの海沿いのアパートに出会いました。そこのオーナーはハンディキャップを背負ったエイドリアンという女性でしたが、僕の話を辛抱強く聞いてくれて快く貸してくれる事になりました。

「エイドリアーーーン!」もうロッキーのテーマが流れました。

家賃 $875  部屋2 bed room  全部で8ユニットのこじんまりしたアパートでした。部屋から海は見えませんでしたが海まで徒歩で100mくらいの環境抜群の綺麗なところでした。

==4軒目 ビーチ2軒目(1990年代前半)==

この頃、僕は結婚して何年か経っていましたが、なんとなく結婚生活に薄暗い影が忍び寄って来てる予感を二人とも感じていたのか? 心機一転引っ越す事にしました。最初のビーチアパートからすぐ近くにあるオーシャンビューのアパートです。部屋やバルコニーから海が見渡せるアパートでした。

バルコニーで海を眺めながらビールを飲んでいると「オレもここまで来たかあ〜」なんて感慨にふけっている間も無く、その新居アパートのパワーも結婚生活に忍び寄ってくる影の速度を緩めることが出来たのは1年弱でした。
(離婚前引っ越しあるある?)

家賃 $1200  2 bed room 2 car parking 


==5軒目 シェイのアパート(1990前半~2000年代)==

結局、離婚した勢いでフルタイムの仕事も辞めて独立。出費をセーブするために家賃がもっと安いアパートへ。それも同じビーチエリアにあったアパート群の中でもひときわボロいアパート。オーナー兼マネージャーのシェイというかなり頑固なジイさんのアパートで、太陽と塩と海風による外壁の劣化と、白いペンキの塗り直しを何十年も繰り返して来た風格さえ感じるボロさ。木造の3階建でなんと窓枠も木製。それでも立地は最高で海の真ん前、部屋から海に沈む夕日が見えて波の音が聞こえるロケーションでした。結局僕はこのアパートに10年近く住むことになります。ここで今の奥さんとも出会いました。一番思い出深いアパートで、ここでの暮らしだけで何本もの話が書けそうなのでまたそのうち書こうと思います。

家賃 $800   1bed room. (その後も10年、最後引っ越すまで家賃が据え置きというカリフォルニアでは奇跡のアパートでした)



その後、この奇跡のアパートを最後に家を購入し賃貸生活からローン生活になります。そして丁度僕らが家を購入した2000年初頭辺りからアメリカはバブルに突入して行きます。それから2010年代にはカリフォルニア州からミシガン州に引っ越し、数年のちまたカリフォルニアに舞い戻り現在に至ります。

そして2020年、上に挙げたアパート達の現在の家賃です。
1軒目$325→$1500
2軒目$575→$2000
3軒目$875→$2600
4軒目$1200→不明

そして5軒目、10年間 800ドル家賃据え置きだったシェイのアパートはシェイが引退してアパートを丸ごと投資家に売り払いリニューアルされて見違えるようになっています。そして家賃は僕が最後に聞いた3~4年前で2800ドルだったので現在はおそらく3000ドルは行ってると思われます。

金がない若いフリーランスのデザイナー風情が海沿いに住める時代ではなくなりました。

ここ20年ちょっとで軒並み家賃は3倍以上に跳ね上がっていてアメリカの家賃事情の移り変わりの急激さに若干の恐怖さえ感じます。

変わってしまったアメリカ・・・ちょっと表現が稚拙ですけどこの家賃の高騰は異常な気がします。

そしてもう一つ驚いたのが、僕がアメリカに移住する前に最後に住んでいた大阪の北摂エリアにあったアパートです。周辺環境も良く、ただ駅からは遠かったアパート。軽量鉄骨モルタル、要は太陽にほえろ!で刑事が聞き込みに来るようなカンカンカンの鉄製階段が2階建の横に付いてるタイプ。家賃は当時1980年初頭で3万8千円でした。

そして先日ネットの賃貸情報でなんとなく好奇心でそのアパートを検索したら、40年近く経った今も現存して賃貸してるじゃないですか!掲載された写真ではフローリングになっていてエアコンも付いていて、昭和の6畳1間のうらぶれた感じはなく小綺麗になってました。

しかし驚愕したのは家賃据え置きの3万8千円!!!40年近く家賃変わってねーじゃん!

そして変わらない日本。(ダイジョーブか?)



クソ長い文章をここまで読んでくれた方がいたらお礼申し上げます。
ありがとう。

んじゃまた








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