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『フィクションパワー』*神戸大学文学部へ

今日は六甲に行ってきました❗️今日も大冒険だったなぁ。阪急六甲駅に着いて、まず洋菓子店に行きました!

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昨日テレビで紹介されたお店で、長い行列が出来ていて、1時間半待ちと聞いてあきらめました😥

↓すごく美味しいそうです!食べたい😆

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いざ神戸大学文学部へ‼️傾斜のある坂道を登っていき、山の方に向かいます⛰

途中で自信がなくなってきて、前から歩いてきた学生さんらしき女の子に道を聞きました。そうしたらその女の子は、途中で曲がる場所まで一緒に行きましょう!と言って連れて行ってくれました‼️なんて優しいいい人なんや❗️1人ではたぶん迷って行き着けなかった😭

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無事大学内に到着しました!

今日は、第14回芸術学研究会の講義を聞きに来ました!ゲストは千葉雅也さんと矢倉喬士さんです❗️

私は2日前から千葉雅也さんが初めて書かれた小説『デッドライン』を読んでいて、講義が始まる直前に読み終わりました❗️準備万端や!

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今日は4人の方の発表が聴けました!

難波優輝さん「制作するフィクション」

トーマス・ブルックさん「水村美苗における「文学の真理」と「小説がもちうる『真実の力』」:作品の英訳を通して考える」

千葉雅也さん「解釈と詐欺」

矢倉喬士さん「意識の疲れ──2010年代アメリカ文学の諸相」

主旨
 事実よりもイデオロギーや信念が優先されるような、「ポストトゥルース」と呼ばれる状況となってひさしい。言うまでもなく、私たちが自らを形づくるのは真実のみによってではない。虚構、想像的なもの、フィクションもまた私たちを満たしている。つまり、真理の価値が問われる時代とは、その対応物としてのフィクションの価値が問われる時代にも他ならない。このような状況において、単にそれを批判し「真実」へと回帰することは、広義のフィクションとしての芸術をも否定するものである。真実の影でも虚偽への居直りでもない、フィクションの地位はありうるだろうか。それはとりもなおさず、現代の私たちにとっての芸術の、あるいは芸術を研究することの意味を考えることでもある。このような問いを背景に、今年度の神戸大学芸術学研究会はフィクションの力、作用、権力を考えたい。

文学と芸術のお話しだったので、めっちゃ興味ある内容で、必死にペンを走らせメモを取りました。共同討議と質疑応答も含めると4時間半たっぷりお話しが聴けました❗️ノートに15ページ分メモを取ったにもかかわらず、お聴きした内容をどうまとめてよいのか難しくてまだ書けません。

私の基本的な知識が足りなさ過ぎて、言葉を聞き取って書いても理解が出来ないことが原因です。もっと勉強しないといけません!

だけど必死に集中して耳を傾けて、超高速でメモを取って、とても楽しい時間でした❗️またこういう機会があったら聴きに来たいです😊

※大事なことを書き忘れてしまったので、追記します↓

5階の会場に行くためにエレベーターの前で待っていたら、私の後に数人の人が並んでいて、エレベーターに乗って振り返ったら、目の前に千葉雅也さんがいました❗️





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