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読書の話 vol.2

 今日は、本を読んでいて気になったことや考えたことなどの話を書きます。忘れてしまわないように、何とか書き留めようと試みてみました。

1、「小説契約」の話

 今週の『最近読んだ本の話 vol.19』でご紹介したアントニオ・タブッキの『他人まかせの自伝』の中で書かれていた話です。本から引用します。 

やや融通は利かないが、それでも有益なある批評の考え方によれば、小説は、作者と読者に「自伝契約」(つまり、作者が書いたことは自伝だと読者が受け入れること)ならぬ「小説契約」と呼ばれるものを結ばせる。読者は、今、自分が読んでいるものは作者の経験に由来するとわかっているが、同時に、その経験が虚構、つまり小説に姿を変えたものだということもわかっているのである。

 読みながら、読者は作者の経験に由来するとわかっているが、同時に小説だということもわかっている、ということですね。私が読む時は、作者の経験かもしれない、と思いながら、そうじゃない可能性もあるとわかっていて、自伝であってほしいとも思っている感じかなあ。自伝っぽい感じの小説を読む時は、いつもそのことを考えてしまっているので、「小説契約」が気になりました。


2、声の抑揚の話

 このことも、アントニオ・タブッキ『他人まかせの自伝』の中に書かれていました。気になった部分を引用します。
 文中のディドロというのは、ドゥニ・ディドロのことです。フランスの哲学者、美術批評家、作家で、主に美学、芸術の研究で知られていて、18世紀の啓蒙思想時代にあって、ジャン・ル・ロン・ダランベールとともに百科全書を編纂した方だそうです。←Wikipediaから。

 「単語の数は限られているが、アクセントは無数にある」、とディドロは「一七六七年のサロン評」に書いている。そう語るディドロは哲学者としてのディドロであり、『聾啞者書簡』の作者としてのディドロである。ディドロはこうもいっている。「抑揚は、声の変化によって表される心のイメージそのものである」。ディドロは続ける。その声の抑揚というものは、「虹のごとし」。
 人間の声は虹のようだ。つかむことのできない微妙なものだ。緑から紫へ、黄色へ、橙色へ移り変わる。人間のどの言語にも独特の抑揚があり、それによって感情が表される。ディドロはそれを虹の色にたとえたのだ。激情、優しさ、苦悩、憂鬱、誘惑、皮肉。そういった感情を人間は声の抑揚で表現する。

 声の抑揚によって感情を表現する、気になります。言語によって、同じ抑揚でも表す感情が違う、ということも書かれて、そのことも気になりました。声で表現することに興味があります。


3、日記を書くことの話

 このことも、アントニオ・タブッキ『他人まかせの自伝』の中で、モーリス・ブランショ『文学空間』から引用されていて気になった文章です。引用します。

「<日記>という手段を選択するのは、書き手が、本当に存在する日々、実際に毎日続く日々に見出す、幸せの親密さと別れたくないからだ。<日記>は書くという行為を時間の中に根付かせようとする。日付の入った、そしてその日付によって保存された、しがない日常の中に。」

 この文章を読んで、涙がぶわっとあふれ出てきました。なぜだろう?図星ってことでしょうか。私は今を記録しようとしているのかなあ。


4、いろんな本を同時に読むか、1冊ずつ読むかの話

 私は以前はいろんな本を同時に読んでいたのですが、何か月か前から1冊ずつ読むようになりました。理由は、いろんな本を同時に読むと苦手な本がなかなか読み終わらないからです。途中で読むのをやめてもいいじゃないか、という考え方の方もたくさんいらっしゃると思いますが、私は何が書かれているのか知りたいので読み終わりたいんです。
 そういうわけで、1冊読み終わるまでは他の本に手を出さないというルールを守りながら最近は読んでいます。これ以上もう読まれへん、という時は、マンガを読んだりして逃げます。そして翌日また少し読む、ということを繰り返す毎日です。私の好みで本を選んでいるので、まったく読めなさそうなものはないのですが、読むのに時間がかかるものはあるんです。


 最近気になった読書に関する4つのこと、書けました。最後までお読みくださってありがとうございました。


 今週書いた『最近読んだ本の話』のnoteです。↓



 

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