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コーチングの意義とは

こんにちは。

先日、上司がコーチング研修を受講していたのですが、その際に聞こえてきた会話の内容が少し気になったので今日はそのことについて書いてみたいと思います。

細かい手法の話ではなく、なぜコーチングが必要か?という点についてがポイントです。

最近の若い子は難しい?

その上司がコーチング研修の中で話していた内容はこんな感じです。

「最近の若い子は精神的に難しい面がありますよね。だから、コーチングが必要だと思い始めたんです。」

…この言葉にとても引っ掛かりました。コーチングの必要性って若い子に問題があるから?逆にいうと、メンタルの強い子しかいない職場ならコーチングはいらない?

コーチングを行う意義ってそこじゃないと思うんです。

若い人やベテランの人、メンタルの強い人・弱い人というくくりは関係なくって、相手に寄り添うコミュニケーションってそもそも必要だと思いませんか?

「昔は先輩の背中を見て覚えたもんだ」
「叱られながら上手になったんだ」

というような昔話はよく聞きますが、それらは果たして質の高いコミュニケーション、生産性の高い行動であったといえるのでしょうか。

現代ではインターネットが普及して久しく、膨大な情報が手元で簡単に手に入る時代です。人だけでなく、企業や情報も多様化しています。

若いうちは先輩を見て成長した人も、方向性の違いに気づけば転職をする人も多くなったと思います。「叱る」というアクション自体、感情に任せたものについてはパワハラと呼ばれるようになりました。そもそも人を抑圧しながら行動させること自体が、叱る側のエゴでしかない場合も多数あると思います。

コーチングの目的は何か?

私の理解としては、コーチングは「対話によって相手の自主性を促す」ことを目的ととらえています。

対する言葉としてティーチングという言葉があります。「一方からの指導によって成長を促す」ことを指しています。具体的にあれやってこれやってと指示するイメージです。

昔はコーチングという概念自体が一般的ではなく、多くの人はティーチングによる指導をしてきたと思います。一般的にはティーチングでは具体的な業務内容を指図することになるため、自主的に問題に取り組む人は育ちにくいとされています。

昔はそれでよかったのだと思います。昔であれば、国が経済成長していたので、先輩と同じやり方をしていても結果(業績)が出やすい環境にはあったと思います。

しかし、いまはどうでしょうか。誰かの問題を解決するようなプロダクトが一定の飽和状態を迎える中、誰かの後ろを盲目的になぞる人ばかりの社会では、経済は衰退していく一方ですよね。

当然、自分の頭で考え、自分で行動できる人が社会から求められるようになります。

そのような人材を育成するためにコーチングという手法が非常に効果的であると考えています。

決して若い人云々、メンタル云々の話ではなく、社会的な背景から、そのような人材が求められやすい構造になっているということです。

まとめ

今日はコーチングの必要性について書いてみました。

偉そうに書いていますが、自分自身、1on1等で部下を面談するたびになかなかうまくヒアリング出来ず、なんとなく自分の思う方向に操作しようとしてしまったり、自分の想いを喋りすぎてしまったりと反省することばかりです。

自分自身もコーチングについてさらに理解を深めることで、チームとしてもよりよいものになっていけるといいなと思います。

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