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『村田倫子のカレーびいき』がミイ子から奪った筆以外のものたちのこと(1)/#アソビシステム #マガジンハウス

この事件についてはミイ子の記事が皆様の共振と共闘により、2022年2月21日現在500人以上の方に届いておりますし基本的な事の顛末は妹ミイ子の記事を読んで頂けたらすべてお分かりになることと思います。
(このスクショ↓の後にリンクを貼ってあります)

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『#村田倫子のカレーびいき』が、
ミイ子から奪った筆以外のものたち

筆を盗まれた、筆の一部を奪われた、その事件において今、ミイ子は戦っています。けれども著作権侵害、肖像権侵害において告訴し裁判になれば、
戦いの焦点はそこに要約され、筆と肖像を侵害されたこと以外については争えないでしょう。そしてミイ子は「事実のみ」を記し述べなければならず、
感情や心や、言葉と言葉の間から零れ落ちてゆく不甲斐なさや悲しみ、
事実されるもの、と、事実とされるもの、の間に浮かび上がる「そこはかとない真実」であるとか、または喪失、そう、数多の喪失と失望、
そして絶望、については争点にすることも書き記すことも難しいでしょう。
だからこそそのような部分を自分は補足してゆきたいと考えています。
1行の主文に込められた人生の背景、1つのクレジットに込められた彼女の所信。裁判では争うことができない、焦点にすることもできない、ミイ子が奪われた「筆以外のものたち」について。
アソビシステムとマガジンハウスのずさんな著作権管理とアソビシステムの野崎氏のハラスメントによって、ミイ子が奪われた
「筆以外のものたち」のこと。

法的な言い方をすると「奪ってはない」侵害したのは著作だけであると論ずることはできますが、直接奪わなくとも、そしてそちらの手元に持たなくとも「それら」はアソビシステムやマガジンハウスがミイ子から筆と肖像と著作を奪うこと、に伴い彼女の元から蒸発してゆく。または掌から滾れ落ちてゆく。看過できないと立ち上がれば立ち上がるほど、それらは彼女の中で毀損され、損なわれて、もう、2度と取り戻すことができない。

それは誇りであり、夢であり、憧れであり、これまでの軌跡であり、仕事であり、友人であり、平穏な日々であり、生活であり、お金であり、絆であり時間であり、喜びであり、やりがいであり、
つまり人生のすべてである。

例えば快く取材に応じてくれた数々のカレー屋さんの顔を思い浮かべるとき。例えばアソビシステムに深いかかわりのある友人や仲間のことを思う時。良好だったはずの村田倫子ちゃんとの関係、同時に「じゃあなぜ?」と倫子ちゃんに対して思う気持ち。”Hanako”とのほぼ初めましての挨拶が、相手からの平手打ちになったこと(過去にミイ子はマガジンハウスと良好な関係で仕事をしてきたのに本作におけるアソビシステムの杜撰な引き継ぎのおかげでこんなことになったとも言える)。
そして声を上げることによって自身がマガジンハウスにとって「煙たい存在」になっていくという理不尽さ。
このように声をあげた自分を、クレイマーだと面倒がる仕事先があるのではと今後の仕事について不安を覚える気持ち。
人権を踏みにじられてもなお声を上げるまでには、このように様々な葛藤があり、その瞬間瞬間にミイ子の心は引き裂かれ、怒りと悲しみと不甲斐なさでぐちゃぐちゃになるだろう。
その心をまた結んで、なるべく感情を込めずに顛末を、彼女が目の当たりにした事実に沿って彼女はnoteに綴ったのだとわたしは考えています。

回答書に答えない2社の不誠実にぶつかる時、
してない確認を「しましたよね」と偽られるとき。
「名誉毀損」の抗議文だけが即日届いた時。肖像の使用許可を貰ってないと伝えた際に返って来た信じがたい編集者の言葉に切り刻まれたとき。
(内容は今詳しく明かせません)

アソビシステムとマガジンハウスは、妹から筆を奪ったけれど、
刻一刻、こうして筆以外のものも奪っていく。奪い、棄ておく。
どこにあるのか御社の名誉は。そのどこを我々は毀損したのか。
わたしには名誉は見えない。五感で感じることもできない。
だから毀損もおそらく、できないだろう。

だけどあなたたちは、ミイ子の人生を、大きく毀損した。
もう声をあげた。当面穏やかな日々はない。

それは極めて個人的な見解としてわたしに言わせたら、その毀損は、
「大切なものを全てミイ子から奪ったも同じ」
ミイ子は奪われ、奪った方は、奪っておいて、さしたるものだとも気に留めないで棄ててゆく。日々の数々のこと。人生の数々のこと。

彼ら彼女らがミイ子から奪った「筆以外のものたち」のこと。
彼ら彼女らが毀損した「筆以外の尊厳」のこと。

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人は大抵、声をあげて戦ったり、裁判したりをしません。
「やめといた方がいいよ、失うものの方が大きいから」
その通り戦いによって得られるものより失うものの方が大きい。
つまり戦うことを決めた妹ミイ子はすでに多くのものを失い、奪われたのだということをまずここに記しておきます。

なお、このようなアクションに踏み切るまで、実は長い時間が流れておりまして、最初に起こったのはアソビシステム によるギャラの未払いと野崎氏による恫喝でありましたが、ミイ子はその悪縁を”断ち切る”という形でけじめをつけ、このカレーの連載から離れたわけであります。
その後、縁を絶っても引き続き嫌な思いをすることは続いていました。

「ここまで酷いことをされて泣き寝入りする必要があるのか」
という想いは当然当時からあったわけですが、でも「どうやって」組織を相手取り、いちフリーランスが戦えばこの人権は守られるのか、
それには多大なる精神的苦痛と失うものがあるだろう、だったらもう前を向いて、新たな仕事、新たな執筆の日々へ向かって行こうよ、と、
我々は不甲斐ない想いを胸に押し込め明日を向いて生きたわけです。

その絶縁の際にミイ子が降りたカレーの連載、
それがその後アソビシステム からマガジンハウスに移りまして、この度マガジンハウスから「村田倫子/著」として刊行されたのです。
その際にこの著作権侵害は起こったことであり、つまりアソビシステム は、一度そのパワーとハラスメントと恫喝のタイヤで轢いて粉々にしたミイ子の人権及び著作権を、数年後また戻って来てもう一度、
これでもかという具合に轢いたのであります。
そしてそのまま数ヶ月、平気で轢き逃げしている訳なのであります。

弁護士を通じて送った書面に対する回答書を回答日をひと月過ぎても送って来ない会社が、彼女のSNSにおける告発に対し「名誉毀損」という抗議文をその日に寄越して来た訳なのであります。

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マガジンハウスのこと。

アソビシステムについてはわたしは個人的な思い入れもありませんが、
文筆家、小説家のはしくれとしても、世代的にも、マガジンハウスは、
かつて憧れの会社でした。
マガジンハウスの書籍に関われたら嬉しいな、っていう、そんな会社。
誰しもがそういう憧憬を持って業界に入っていきます。
マガジンハウスでなくても大手出版社に誰しも、書籍が好きな人間なら何かしらの思い出があり好きな雑誌があり、携わりたいという気持ちを持っていたりする。いつかあの雑誌で書きたい、いつかあの雑誌で特集を組まれたい。ライターさんたちにもそういう人たちがいると思う。
えっ、ananで連載する、すごいじゃない! Hanakoに載るの!? 
ここまでよく頑張って来たねえ。
今のわたしは心底マガジンハウスに幻滅しているし出版界そのものに対する自身の心の整理もついているからあれだけど、マガジンハウスにこんなことして欲しくなかったな、っていう個人的な感情は、ある。
今わたしだってマガジンハウスからしたら「マガジンハウスにすげー文句言ってる煙たい小説家」だし、もう後生良好な関係は存在しないわけだ。憧れの会社だったけどな、悲しいな。
そういう思いを、なぜこっちがしなくてはならんのか。
つまり、酷いことをしたのは向こうなのに、まるでこちら(ミイ子)が加害しているような扱いを受けること。
大きな出版社というのは、ある意味誰かの夢を乗せてもいるんだけどな。(そんなこと言ってられない時代の潮目がきており出版社も満身創痍なのは知っている)

今回のことも、やるべきことをアソビシステムとマガジンハウスがちゃんとやっていたら、すごくシンプルだったのではないか。ミイ子が書いた箇所に関してきちんと許諾を取り彼女の名前をクレジットして刊行する。
そしたらわたしも「ミイ子が頑張って何年もやっていたカレーの連載がマガジンハウスから本になったよ!!」って、このnoteでもレビューとか書いていたのかもしれない。

間違いは誰にもあるし、会社にも間違いはある。だからこそミイ子とわたしが、現在もっとも許せないのは「それが発覚してからのアソビシステムとマガジンハウスのひどすぎる対応」に対してなのである。

詳しくはミイ子の記事を読んで頂けたら良いですが、そこには出版物や著作を扱う会社としての誠意も哲学も所信もありませんでした。

また、ミイ子と交友があり、書籍の発売は個人的に連絡をしてきた村田倫子さんが、この出来事を踏まえて直接ミイ子に何もアクションをせず無言を貫いている点にもとても疑問を感じています。
なぜなら村田倫子さんだけは一番身近でこの連載を一緒にやってきて、
ミイ子の仕事を見てきたはずだからです。
それがまるで全部自分の仕事であるかのように自分の名前だけで本が出ることについて、そこまで無関心でいられたのだろうかと思います。
なぜならその本に載っているカレー屋に一軒一軒電話をかけたのがミイ子であることを、少なくとも村田倫子さんは知っているからです。
もし「ミイ子さんには当然許諾確認が行ってると思いました!」ということであれば、このようなことが起きたら通常はすぐ連絡してきて誤解を解こうとするのではないかなあ、と思ったり。

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ええと。この出来事に関して、noteやTwitterというソーシャルメディアはその真偽性という性質から「報道」や「ジャーナリズム」からは一線置かれて読まれてしまうと思います。なので、ではその特性を生かして、この記事はわたしの身に起こった出来事に関する主観の記録として、綴っていこうと思います。つまり「誠意がないかどうか」は法的には何を持って誠意とするのか、という話になり「何が事実か」は最終的には裁判官が決めることになるので答えが出ませんが、わたしにとっては「誠意はなかった」という感触を綴っている、ということです。

つまり法的には「感じたことを述べている」扱いになりますので(我々にとっての事実ではあるが)事実かどうかは読者の方が判断なさってくださいませ。この記事この1つで終わりでなく、連続して続けていきますし、マガジンにしてアーカイヴしてことの顛末や経過を何年先も読めるようにしておきたいと考えています。裁判での勝ち負け以上に、感情と実感で裏打ちされた言葉で記録している記録(アーカイヴ)そのものに意味があるとわたしは考えます。

引き続き、ミイ子が奪われた「筆以外のものたち」について書き記し、
またいつか誰かの礎になるよう残していこうと思います。
ではまた次回。

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<『#村田倫子のカレーびいき』がミイ子から奪った筆以外のものたちのこと(1)>

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