見出し画像

月曜モカ子の私的モチーフvol.217「ゆっくりと下りゆっくりと昇る」 /#月モカ 🖊✨再開❗️✨🌞✨(2021.2.23アーカイヴ)

※この記事はFb小説家ページのアーカイヴです。
昨日から「明日は久しぶりに月モカを書こう!月モカを書きたい!」と思っていた。2021年現在の中島桃果子、小説家としてのニーズは全くないけれど、人生のアーカイヴとして日々色んなSNSに何かを書いていて、知人のO月さんに「最近頻繁で追うのがちょっと疲れててしまって…」
と言わせてしまう頻繁度であるけど、笑
やはりその投稿先の特性に合わせて、書く内容というのが違って、たとえば店での日々を綴るnoteの「ひとかどアーカイヴ」だと、お客さんの顔や、同じ立場のような人たち——アーティストというよりは経営者としての——の顔が浮かんで、その人たちになるべく伝わるように書くし、Youtubeの「レディオ」配信は、これは新作「わたしと音楽、恋と世界」が世に放たれた時のためであり、ゆくゆく書きたいと思っている「惑星会議(仮)」の執筆メモであるので、実はわたしの中には(こう紡いでいく)という放物線がちゃんとあって、デタラメに見えて設計があるので、それと噛み合わないものはモチーフとして取り上げることができない。

Twitterは好き勝手呟いているけど、誰がどんな状況で目にするかわからないから、そうは見えない投稿の仕方の割にどこかで誰かを不快にしないか怯えていたり、投稿しすぎて目にする人が疲れてないかとか考えてしまう(だったらやめてしまえ!って感じよな 笑)で、インスタが一番わたしの中ではプライベートに近い形で思ったことを思った時に書いているのだけど、
これは整理されてないエモーショナルの垂れ流しだったりするから連投するのは気が引ける。
......と、そんな書きものを繰り返していたら「整理されたエモーショナル」がいつもきちんと成立していたこの場所「月モカ」に急に戻って来たくなったのである。

画像1


これはそもそも、月曜モカ子の”私的モチーフ”がタイトルなんだし、それでなんと216回!も綴った連載にお付き合いくださった方々が今ページに「いいね!」してくださっている700人なのであるから、極めて素直に、一見エモーショナルに見えるけど整理されたエッセイを、展開することができる。つまり読み物としてのエモーショナルだと読む相手がわかっていることが、わたしには安心なのである。インスタとかだと友達が心配してLineくれたりしてしまうからね「どうしたの最近連投してるけど、なんかあった!?」みたいな感じで。笑。ええと。そうは言ってもわたしが月モカを一旦やめたのは、心身を疲弊する出来事や月モカに書いた内容から派生する揉め事が増えて、書くのが嫌になってしまったからだった。
ええと。今回は通算で第何回目にあたるのかなと思って調べたら「最終回」と銘打たれた投稿の一つ前が「vol.215」だったので、今回はおそらく217回なのだなと思い、そうナンバリング。
最終回の手前「215」の原稿を開いて上書きしているので文章が残っている、締めくくりはこんな感じ。
                              
 ✴︎  ✴︎  ✴︎

(中略)......そう思っていたけど、わたしが間違っていた。人を2度と信じることができなくなるような酷い出来事、痛ましい出来事がこの世にはたくさんあって、マドモアFはたくさんのそれらに苦しめられてきたのだろう。

苦しみのあまり人を信じられなくなる人のことを、わたしは理解していなかったのだろう。これからは人を疑う人を酷い人と思わないで、酷い想い、辛い思いを経験したことがある人なのだと思おう。また人の痛みに少し近づいた。傷を追って傷に寄り添う。
そうしたら「赦し」が生まれる。
イスラムの人たちは「赦し」が一番大事だと言っていた。許せない、というのは苦しいことだと。だから夜のお祈りで全てを「赦す」のだと。わたしは神には祈らないけど、マドモアFと、それから自分に向かって祈ろう。
満月よそこで見届けてくれ。

わたしは今日、ひとつ人の痛みに近づく。
そしたらもっと優しい人になれるはず。
まだ苦しい、まだ辛いけれど。
それでも過去に光るのは、誇り高きラプソディ。
(モチーフvol.215「疑心暗鬼」)

画像2

    ✴︎  ✴︎  ✴︎

このころ某宝石マダムの業務上横領——本人は高齢によるおそらく認知症で自分が横領している認識がない——に巻き込まれ給料ももらえず大変な日々を送っていたけど、この頃のわたしに言ってあげたいことは「そんなもんじゃ済まない2019と2020が来るぞ」ということだな(笑)
同時に「そんなもんじゃ済まない」2019〜2020を駆け抜けた2021のわたしは、現在ゆるやかに上昇している。
上昇、している。緩やかに。
                               

実は今日、この話をしたかった。
                                
人生というのは、下降も実はとても緩やかであり、上昇も、緩やかなのだ、ということ。だから1日1日の日々を、ひとつもおろそかにできないね。ということ。

画像3


さて。けれども、緩やかに下降していく時、わたしはその下降に、ちゃんと気づいていた。2016年が始まった頃くらいだろうか。こんな感じの日々が続いたら、2年後くらいには、わたしは作家としての仕事が一つもなくなるなぁ、というやつである。
なんとなくの時間の計算を正確に分析できていることもえらい。笑。

同時に誤解されないようにお伝えしておくと、それは“メジャー”いわゆる地上波的な活動についてのことであり、わたしは2016年から2020年のアングラ時期においても、メジャー期と比べて劣るようなクオリティの仕事を一つもしなかった自負がある。町のタウン誌「かぐらむら」での長谷川時雨さんの評伝、およびそれにまつわるこぼれ話at “note”、それから盟友ちほさんと凄い勢いで上演し続けた「うたタネ♪」の膨大な戯曲。これは今年の1月にいくつかの公演を見直して、とんでもないクオリティの戯曲が瞬発力のみで書けていたことに気づき、これはなんとか、地上波、つまりメジャーな場所に「読み物として」もっていかなあかんなあと思っている。


じゃあ、なにが緩やかに下降していたのか?
それはすなわち人生であろう。

なぜかここで江國さんの「落下する夕方」をふと思い出したので、それを引用すると、この頃、落下する夕方のようにわたしの人生は、緩やかに下降または落下していった。                     

メジャーの仕事にやりがいを見出せない。やりがいを見いだせないというか書くことに哲学があるので書きたくないものを書きたくない。何も書きたくない。なので書かない。そのことがメジャーになりたいと思っている数多の作家志望に対して唾を吐いているように感じる。どうじにわたしを応援してくれているあまたの編集者への不義理。罪悪感。数字が取れないわたしの本を出すことを社内会議で通すことすらきっと簡単ではないはずなのにそれをやってくれている編集者への凄まじい不義理。でも書きたくない。書きたいものがない。2015年に始まって2016年の1月に最終話まで納品したライトノベルは、連載第2回で謎に止まっている。メジャーの仕事をしないから金がない。でも芋洗坂alwaysの時のように朝まで働けないし、月の収入が全然足りない。なのに、ザギンのバイトが終わる1時や2時にはもう結構飲んでしまっているから帰宅してから原稿ってわけにもいかない。ので、近所のBarに毎日だいたい寄る。で、飲み過ぎる。二日酔い。次の日店までダウンして何もしてない。自分の本職が何かわからなくなる。ザギンではママのパワハラが悪化の一途を辿り、全部の客と寝たと思われ、それを言いふらされている。辞めたい。でもお金がない。なのに夜中にBarに寄ることも、ゴードン(ジン)を飲むことはやめない......云々。「彼女と別れたら一緒になろう」と言ったような、約束とも言えない、向こうももはや言った覚えもないかもしれない話から3年以上が経過し現状が変わらぬ恋愛に終止符も打てない歯切れの悪さ。もうこれだけで、今が昭和初期だったら純文学作家として本が出せるんじゃないって感じ。笑。アル中純文学女流作家。まあ、アル中ではないけど。
                               

崩落してく派なのにきっとどこかに、太陽をモチーフにした「昭子」という名前が本名であることが影響しているのか、妙な明るさが根っこにあるので、とことん病むことができない。
だからアル中のようでアル中ではない。
20代の頃も、いわゆるこれは過食症のはしくれでは?…...と思ったことがあるけど、とことんまでいけない。本当にそれで悶絶して死にたいと思った人にわたしのちっぽけな経験は語れない程度の過食症。あまり後を引かず20代後半には治ったし、30代は単に胃腸が弱いから単に食べ過ぎて飲み過ぎて吐いているだけだった説。30代はここのエッセイでも「まあわたし結構イージーライダーですよ」とか言っていたけど、別にそんなにアバズレではないし、働いたお店のお客さんと寝たりは絶対しない。意外とちゃんとしてる。笑。
崩落するにも病むにも、とことんまでいくには体力と根性が必要で、わたしにはいつも絶対的にそれが足りないのだった。

画像4

(⤴︎ね。崩落の最中でも楽しそう。笑/ 2017.12.14 photograph by 岡本賢治)

わたしには自分の人生のバイオリズムを図る目安がある。
それは体重である。なんとなく「ココ」としている数字があって、人生が崩落している時わたしの体重はそれより重い。人生が緩やかに上昇しだすと、それより軽くなる。そこにわたしは2021年度から「メジャー度」をつけ加えようと思う。

誰がなんと言おうとわたしはアングラでもいつもいい仕事をしてきた。がんこエッセイだってa4ぺらの紙で始まったけど、なんと去年は新聞に大きく取り上げられたし、今はデザイナーもついて冊子になっている。そう、いつもいいものを書いてきた。だから「メジャーもアングラも関係ない」って考えてきたけど、ここでわたしは改める。わたしにはメジャー度が必要。
人生が崩落しないために。
これはつまりメジャー讃歌ではなく、わたしは書くこと以外ではまとまったお金を稼ぐことができる能力が一つもないので、金を失い酒を飲み、どうでもいい男と寝たりして、クズライフ一途を辿るのだということがこの2016〜2019年5月でわかったのであるから今後はどんなことがあってもメジャーとその目安体重を注視していく。

画像5

                                
多分だけど落下する夕方ならぬ落下するモカコ、すなわち太陽であるから昭子、が、水平線よりも下に沈みぶくぶくと水の中に沈んでって、その昏い水底あるいは海底にコツン、とぶつかったのはおそらく、2019年の5月だったのだと思う。

そう人生の陰の極み。

どんな時も更新し続けた月モカがもう書けなくなってしまって、大げさじゃなく、気を緩めたらどこからか飛び降りて死んでしまうような気がしていた。月モカの最終回、これはわたしにはきっと大事件だったんだと思う。わたしは月モカを辞め、古くて優しい大切な友人の手を放してしまった。古くて優しく大切な友人。この場所のことである。FBの小説家、中島桃果子のページ。

月モカは、いつだって、例えばあちこちで目にする雑誌のどこか一角に載っていてもおかしくないだけのクオリティを携えていて、そういうものを、毎週月曜日に必ず更新している自分を誇りに思っていた。そして勝手に誇りに思っているだけでなく、月モカを始めるまでは300人、400人くらいだったフォロワーが、月モカを通して700人まで増えた。誰かがどこかで月曜ないし他の曜日にこれを読んでくれている。
自分でも十分に大切だとわかっているものを続けられなくなる時、わたしは水底に足をつけたのであろう。
ただ、陰極まって陽になる。
日の出からしばらくは土は冷たく日の入りからしばらく経っても土がぬくといように、全ては少し遅れてくるのだ。
つまりわたしは2019年の6月から、すこうしづつ、すこうしづつ、上昇している。そして人生が上昇するとき、結果が出るには、やっぱり落下するのと同じくらい時間がかかる。メジャーでの自分の気持ちがパッとしなくなってからもなんだかんだ数年は仕事があるように「陽向き」に歩きはじめてもその気配が何かでふち取られ形が与えられていくには時間がかかる。216(最終回)で終えた月モカを、その隣の番号「217」で再開するまで丸2年近くかかったように。

特に2020年の1年はそういう意味では日々は過酷を極めたように思う。わたしは下降していく自分をよくよくわかっていたし、下降を冷静に認識し見つめながら下降していたので、上昇は一気に行きたかった。だから正直、凄まじい努力をした。誰がどこから見ても「2019年のモカコさんは頑張ったね!」というような努力である。凄まじかった。自分で自分を褒めてやりたいくらいの頑張り×365日。頑張ってない日は1日もなかった2019年下半期。しかしやっぱり人生は甘くなくて、深夜にゴードンを体内に取り込みわかっていながら落下を許したその質量は、ちゃんと堆積していて、その堆積のぶん、すこうしづつ、すこうしづつ失ったものは、やっぱり一気に取り戻せないのである。 

画像6

2020年の頭に肺炎で入院再び。
そこからの1年は自分の内観には(もう十分わたし上昇してきてるのになんでなの!!)っていう、全然日々が上昇しないジレンマの1年だった。
だからこそ思う。2021年、わたしはいま、上昇している。
結果が出てこの予言が的中するまで、あと少し。
なぜならわたしはいま、水面から顔を突き出し、
朝陽を浴びて呼吸しているからだ。
まもなく巷でも夜は終わり、朝が訪れるだろう。
水底から死に物狂いで光をたよりに浮かび上がってきた。
もう恐れるものはない。
だからこそ賞のゆく末もわからぬ新作をモチーフにレディオなんかやることができる。その結果がどちらに転んでも、わたしに光が射すのだ。わたしはしかるべき場所まで上昇し、そして2度と落下しない。
まずこの場所に戻ってこれたことに感謝するし、
ずっと応援しては、投稿するたびにいいね!を押してくれている、またはいいね! を押さなくとも必ず読んでくれている、あなたに感謝します。

画像7


✴︎  ✴︎  ✴︎
☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
☆このページを通じて繋がってくださっているあなた! あなたの「いいね!」はわたしの励みになっています、いつもありがとう

長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!