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24歳、職業人参投げ

僕はいつも自分の人生をどこかに残すことに必死だ。日記にも、インスタにもカメラのフォルダにも至る所に日々一生懸命に僕の人生を詰めている。心動かされたことは、嬉しくても悲しくても忘れたくない。だから残す。
僕の一部を今度はここにも残そうと思う。実は密かに企んでいた"いつか絶対旅行記を書いてやる!"という野望も一緒にここに置いていくね。

実は今、日本を離れてオーストラリアという国に住んでいる。丁度今9ヶ月目に片足を突っ込んでいる所だ。何故、オーストラリアに来たのか?元彼がオーストラリアに1年間住んでいたらしく、あまりにも彼がその時の話を毎度毎度楽しそうに話すもんだから。と言ったら笑われるだろうか。理由が不純だと言われるだろうか。でも本当の話だ。それがきっかけでワーキングホリデーに興味を持つようになって、もっと調べてみたら看護留学ができるって知って、とりあえずオンライン説明会に参加してみたら、そこからはトントン拍子で進んでいって気がついたらオーストラリアにいた。
いかにも海外に出た人が言いそうな事を今から言うのだけど、理由なんて正直何だっていい、大事なのは行動したかどうかだと思う。だから、今となっては大きなきっかけをくれた彼には感謝しているし、勇気を出せる自分で良かったなと思う。来てよかった、本当に。

この9ヶ月間にぴったりハマる言葉が見つからない。自分の伸びしろが伸びていくのが分かるような、自分の中のピースが1つずつ、少しずつはまっていくような、、。やはり上手く言えない。ただ海外生活は決して、毎日がキラキラしている訳では決してなかった。分かっていたつもりだったのに。でも想像以上だった。住んでいれば勝手に英語が話せるようになる訳でもない。それも分かってた。どうしようもなくしんどくなる時があって、自分がすごく孤独な気がして、ストレスでポテチをドカ食いしたりもしたっけ。どの国でもポテチは裏切らない。ただ、量が多いのと塩分が強すぎるせいで大体次の日は口内炎と下痢だった。人生、厳しい。


語学学校に通ったり、看護学校にも通ったり、老人ホームで実習したり。友達が働く工場でも働いた。その子の名前は咲楽(さくら)。僕にとってかなり重要な人物だ。彼女がいなかったら今頃絶対に干からびてると言い切れるくらい咲楽はいつも僕をハッピーにしてくれる。彼女と一緒に働いていた1ヶ月間、ついでに2人でシェアハウスもした。ディズニーランドに住むのと同じくらい毎日ハッピーだった。
シドニーマラソンも完走した。レース前のトイレ待ちの列があまりにも長くて漏らしかけたり、高橋尚子さんにお会いしたり。そういえば人生初のコロナにもなった。咲楽と仲良く2人で海で溺れかけて本当に死ぬかと思ったこともあった。死亡保険とお母さんの顔が思い浮かんだ。笑い話になって良かったけどあの時は冗談抜きに本当に死ぬ瀬戸際だったと思うし、それからしばらくは海に行ってもトラウマがフラッシュバックして入れなかった。


そんな日々が猛ダッシュで過ぎてゆく。もっとゆっくりでいいのに。せっかく日本を出てきたのに1年で帰るなんて超が付くほど勿体ない。だから2年間オーストラリアに住めるビザを得るためにSydney(New South Wales州)から800km以上離れたQueensland州にあるBoonah(ブーナ)という小さい町にしばらくの間働きに行くことに決めた。政府が指定した場所(農場(=ファーム)が主流)で3ヶ月間働くと2年目のビザを申請できる権利がもらえる。その町にあるオニオンファームで以前友達が働いており、「そこ良かったから行って来なよ!」って紹介してくれた。この時、どこのファームも人で溢れていて、簡単に働けるファームが見つからないと言われていた。悪徳ファームっていうのも中にはあって、そういう所で働いてしまうと給料がしっかりと支払って貰えなかったり、辞めたくても辞めれなかったりっていう話も聞いていた。こんな所でしくじって、働き先を見つけられずに大人しく1年で日本に帰らなくちゃいけなくなるなんて事だけは絶対に嫌だった。ファーム先が見つかるかどうかかなり心配だったんだけど、友達のお墨付きだし、意外とすんなり見つかって良かった。どこに行っても人の繋がりに助けられてばかりだ。

早速、雇って欲しいとメッセージを送ったんだけど「車を持ってたら雇えるよ」と返事が来た。そういう訳で、何の迷いもなく車を買った。2003年式のSubaruのForesterだ。白と黒色の商用車みたいな見た目が結構お気に入り。かわいい。既に27万kmを走っているから僕はこの子のことをじいちゃんと呼んでいる。ばあちゃんって呼んでも良かったんだけどね、何となく。

仕事中、自分の職場に車のオーナーを呼びだして突然始まった試乗会。職場のみんなも何故か乗り気。


「27万km?!」という反応をよくもらう。そうなんだよ、僕もそう思う。オーストラリアだから許される走行距離だ。この国では車は個人売買が主流でみんなFacebookやアプリを使って売買する。その上、中古車の売買を繰り返して皆んなでずっと乗り回すもんだから故障・不備がとにかく多い。道端でボンネットを開けて首を捻っている人達を見かけるのは珍しいことじゃない。見た目がもはやタイヤじゃないバーストしたタイヤが無惨に道路の脇に転がっていることもしばしば。怖。部品どこに落としてきた?と言いたくなるような、見た目がどこか物足りない車も割と走っている。部品が取れたり窓ガラスが無くなってもテープで固定してあればセーフらしい。どう見たってアウトだがThis is Australiaと言ってしまえば丸く収まってしまう所がThis is Australiaだ。どうやら僕はとんでもない国に来てしまったらしい。

そうして無事に車を手に入れて、ようやく雇ってもらえる事になった。ありがたや。さあ、いよいよ引っ越しだ。Sydneyの友達たちには少しの間のさよならと伝えてある。
引っ越し当日の朝、咲楽がサーモンアボカド丼を作ってくれた。引っ越すってことは、彼女とのシェアハウスも終わりを意味する。朝から2人でえんえん言いながら食べた。「3ヶ月なんてすぐやちゃ」なんて言いながらまた泣く。無期限の遠距離が始まろうとしているカップルみたいに。やばい、一生出発できない気がしてきた。そろそろ行こうかな。

車に荷物を全て詰め込んで、10時間のドライブが始まった。お供は、オーストラリアのパパママだと思ってる日本人夫婦のマサさんアコさんが持たせてくれたおにぎりとおやつ。おにぎりを4つも握ってくれた。鮭と梅干し味2つずつ。海苔がご飯の湿気でしんなりしないように別々に包んでくださった。アコさんが作るご飯は冗談抜きでオーストラリアで1番美味しい。まじで。

まだ正直オーストラリアで運転するのは怖い。長距離運転も久しぶりだしさ。ってかそもそも10時間も1人で運転したことなんか無いし。でも疲れた体にアコさんのおにぎりが優しく染み渡る。どうしたらこんな美味しいおにぎりが握れるんだと食べながら1人で感動した。おにぎり屋さん開いたらいいのに。食い意地を張っている普段の自分なら一気に4つ食べ切ってしまうところだけど、今回は我慢して2つだけ食べた。残りの2つは明日の朝ごはんの楽しみにとっておくんだ。

そんなこんなでこの日は6時間運転した。よく運転したな、今更感動。

450km直進とだけ言い残してナビが仕事しなくなる。


夜は運転できない。してもいいんだけどカンガルーが飛び出してくるらしいから結構危ない。出発する前に、一緒に働いていたオーストラリア人のおじさんから「いいかい?もし運転中にカンガルーが飛び出してきても決して避けないこと。まっすぐそのまま突き進むんだよ。車はダメになるだろうけど反対車線に突っ込むよりマシさ。君の命が1番大事だからね。」というアドバイスを貰ったくらいだ。カンガルーと一緒にマイカーを道連れにして死ぬのは絶対にごめんだ。
ちなみに、オーストラリアのハイウェイ(高速道路)は基本お金がかからない。800km以上走ったのにタダだ。しかしその代わりに日本のようなサービスエリアはこれっぽっちも無い。ハイウェイでラーメンを食べるなんて概念ももちろん無い。トイレを探す事すら一苦労。一体、優しいのか優しくないのか。

出発した日の夜はキャンプ場に行ってソロキャンプデビューする予定だったんだけど、色々あって予定変更。キャンプに必要な物はOpshop(オプショップ、日本で言うセカストみたいなリサイクルショップ)で全部揃えてたんだけどなあ。諦めて駐車場で車中泊をすることにした。なんて簡単に言ったけど、結局、4時間だけ車を停めて良い駐車場しか見つけられなかった。日本のサービスエリアみたいに、いつでもどこでも何時間でも車を駐車して良いという訳ではない。路駐大国のオーストラリアは駐車のルールが結構厳しい。ルールを破ればもちろんペナルティがある。まあでも、同じようにこっそり車中泊をしようとしてる人達も他にいることだし、一晩くらい許してよと思って勝手にその駐車場で寝た。
フルフラットになる車をわざわざ探して買ったのはこういう時の為だ。でも日本で乗っていたMazdaのFlair(大体通じないのでいつもsuzukiのハスラーって言ってる)は寝心地があまりに抜群だったから、それと比べるとForesterは結構寝づらかった。
まあぐっすり寝たんだけど。

いつでもどこでも寝れる僕で良かった。


眩しくて目が覚めた。まだ朝6時。結局、警察に車の駐車時間過ぎてるよなんて起こされる事なく、平和な夜だった。母譲りで心配性なもので、起こりうる全てのことを想像して勝手にドキドキしてしまう性格はきっと一生治らないんだろうな。
日本とは全然景色は違うのに、車から降りて朝の空気を吸い込んでみたら日本と同じ匂いがした。車で旅行中、友達とサービスエリアで爆睡して、早朝に起きてトイレで顔を洗って歯磨きをしてメイクをする。あの時の空気と同じだ。なんだか嬉しくなる。
その空気と一緒に、昨日楽しみにとっておいた、おにぎり2つを頬張る。海苔はまだパリっとしている。こんな美味しくて優しいおにぎり知らない。Sydneyに帰ったらアコさんに、おにぎり屋さん開いてくださいって伝えよう。
身支度が終わって、車中泊セットを片付ける。残りの4時間を今日は運転する。進めば進むほど、ずっとおんなじだった眺めから景色が変わっていってどんどん田舎道になっていく。果てしなく目の前に広がる緑色の種類のとんでもない多さと鮮やかさに圧倒される。「緑色って一つの景色の中にこんなに沢山種類あっていいん?!」って本気で思った。牛が、羊が、馬がのびのびと過ごしている。映画の中に間違えて入ったような気さえする。景色に見惚れ過ぎて時々車線をはみ出す。すれ違う車もいないから良いんだけどさ。
それから僕は迷わずABBAのDancing Queenをかける。無意識にアクセルを踏み込んでいる事に気がついて、慌ててアクセルを緩める。子供の頃、父の車であまりに聴き過ぎた曲。大人になってから聴くとこんなに胸が高鳴るなんて。田舎道を走りながら聴くとこんなに気持ち良いなんて。こんな贅沢知らない。
それまで感じていた不安が歌と一緒に窓をすり抜けて外に消えていく。

小さな町をいくつか抜けて、電柱すらない田舎道をとにかく走った。電波もなければ人もいないから何かトラブった時に確実に詰む。オーストラリアの田舎道はジェットコースターかと思うくらい高低差が凄くて道のてっぺんまで登った時、目の前の道が完全に見えなくなる時がある(つまりジェットコースター)。しかもそういう道が結構頻繁に出てくるから何度だって言うけど本当にジェットコースターだ。そんな道を幾つも幾つも超えて、ガードレールのない崖道を恐る恐る進んで、赤土の砂利道を走った。後半はもうインディ・ジョーンズかと思った。インディ・ジョーンズに出てくる巨大な丸い岩に追いかけられるような事は起こらなかったけど。

昼頃にようやく目的地の町、Boonah(ブーナ)に到着した。

初めましてBoonah。若干ハリウッド意識してない?


誰も自分のことを知らない、見知らぬ土地に1人で行くのは結構ドキドキした。でも実は小さい頃からずっとそういう場所に行ってみたかった。自分という人間がそこでどれくらい頑張れるのか、ちゃんと生きていけるのかを知りたかった。急に夢叶うじゃん。これで死ぬ時にする後悔は1つ減りそうだ。


この町にはファームで働いている人達のシェアハウスがあちこちにある。ただ、場所によってエアコンがなかったり(ラリアの中でもQueenslandは猛暑地なので、もれなく死ぬ)、眺めが良かったり、鳥がうるさかったり、汚かったり、綺麗だったりと当たり外れが結構あるからどこの家になるかは運次第。ちなみに僕が最初に住んだシェアハウスは可もなく不可もなくって感じだった。

言われた住所に到着すると、韓国人の女の子達が出迎えてくれた。着くまでは、まさか男女10人でシェアハウスが始まるなんて全く想像してなかったから、知った時は結構混乱した。本当、テラスハウスみたいな感じ。そして、シェアメイトの名前(韓国人とインドネシア人)も一気に覚えなきゃいけなくて余計に混乱。苦手なんだよね、日本人以外の名前覚えるの。聞き覚えのない名前ばっかり。何回も名前聞くのも失礼だし、もはや勘で名前を呼ぶ。名前を外しまくって気まずい。ごめんよ。

その日の夜は「一緒にご飯食べよう!」と韓国ガールズ達が沢山の韓国料理でおもてなしをしてくれた。韓国人と食べる韓国料理、どう考えたって美味しいに決まってる。結局みんなと楽しくワイワイと話をしながら、遠慮せずにたらふく食べてしまった。そう、何だかんだ言ってちゃんと仲良くなれる所が僕の良い所。カムサハムニダ〜!


到着した次の日からすぐに仕事が始まった。オニオンファームで働く気満々だった。そしたら違った。
「朝6時にここに来て」と言われた住所に着いてみると、玉ねぎ畑ではなく人参工場だった。はて、どうしたものか。
この会社には人参、玉ねぎ、セロリチーム、別のシーズンにはかぼちゃチームもあるらしい。人参と玉ねぎチームに至っては日勤と夜勤まである。
なんかもっとこう、広大な畑で色んな国の人達と一緒に汗をかきながら野菜を収穫する感じを想像してたんだけどな。違ったみたい。工場の中は真夏なのに震えるくらいにキンキンに冷やされていて寒い。
ちなみに玉ねぎはシーズンオフだったから僕は日勤キャロットチームに飛ばされた。というか玉ねぎにもシーズンオフってあったのか。

ファームには韓国人が沢山いるって聞いてたけど、むしろ韓国人しかいなかった。多分8割くらい。残りはオーストラリア人、ベトナム人、インドネシア人、日本人、あとソロモン諸島。
これは持論なんだけど、ラリアで会う日本人は大体おもしろい、みんな一癖あって好き。
オーストラリアにいるはずなのに、家でも職場でも飛び交うのは英語よりも圧倒的に韓国語だから、オーストラリアなのに韓国に住んでる気分だった。最近覚えた英単語よりも、韓国語の方が多くて困ったもんだ。


仕事内容はベルトコンベアーに乗って流れてくる大量の人参の中からスーパーに出荷する、状態の良い人参を選別する事だった。折れていたり、腐っていたり、泥がついていたり、色が変わっていたり、見た目がイビツな人参はベルトコンベアーの外側に設置されているダストボックスに入れなければならない。そのダストボックスが2種類あって、それぞれ入れて良い人参が決まっているからもう永遠に脳トレ。そして、そのダストボックスが若干遠い。昔からよく母と友達から「腕が長い」と言われてたから腕の長さには自信があったんだけど、なんだか絶妙に遠い。だから最終的に「投げる」という結論に至った。
僕の職業、人参投げ。

誰やワイのポケットに人参入れたやつ
(多分自分)


しかもね、各スーパーや品種によって商品になる人参の基準が細かく変わるからややこしい。しかも、適当に仕事してたり、ミスが続くとリーダーは監視カメラで常にスタッフの様子を見ているから、ミスった人参を腕いっぱいに抱えて僕らの所まで走って来て、「これは商品にできる人参だよ、気をつけて。」と注意される。あと、投げる時に距離感を間違えてダストボックスに入らなかった人参があまりにも多いと、床に人参の山が出来て凄いことになる。本当に見た目が山。それももちろん注意される。「勿体無い!」って。
だから、そういうダストボックスに入らなかった人参達や機械からこぼれた人参達を定期的にホウキとシャベルで集めて掃除をするのも僕らの仕事の1つ。投げた人参を一生懸命集めるのちょっとバカみたいけどやり始めると意外と止まらない。


最初は目の前を流れていく人参が早過ぎて全く見えなかったのに働けば働くほど、ちゃんと見えるようになっていった。動体視力ってやつだ。2.3ヶ月後にはノールックで人参を確実にダストボックスに入れられるようになってしまった。その恩恵なのか、ついでにハエを素手で捕まえられるようにもなった。(山の中に工場があるからハエが多い。しかもアイツらはやたらと顔を狙ってくる。お昼ご飯も狙ってくる)

1日平均3匹は捕まえてた。この日はベトナムボーイの手の上で仕留めた、南無南無。


僕が働いていたのは2022年9月下旬〜2023年1月中旬まで。その期間はちょうどクリスマスと年末の繁忙期と重なっていた。毎年この時期はスーパーから人参のオーダーがびっくりするくらい沢山来るらしい。何にそんなに人参を使うことがあるのだろうか、是非教えてもらいたい。
僕はその繁忙期っていうのを結構舐めてた。一言で言うとやばかった(語彙力)。月曜〜土曜の週6日、朝6:00〜夕方4:30までの時間、ひたすら人参だけを投げる。しかしそれだけじゃなかった。通常のスピードよりも更に高速で人参が流れてくる。いや、押し寄せてくると言った方がしっくりくる。なんならもう人参が2段で流れてくる。見えるわけ。もはや修行。機械を止める暇すらないからトイレもすぐには行けない。トイレくらい行けば良いんだろうけど空気を読んでしばらく我慢するあたりが日本人だ。いや、僕が気を遣いすぎなのか。
終わりの見えない修行のせいで繁忙期に入った瞬間から皆んな湿布臭かった。そうだよね、僕も毎日肩に湿布貼ってたもん。何がワーキングホリデーだ。ホリデーが抜け落ちてるじゃないか。
ただ、動体視力だけは裏切らなかった。例えば、ガラスのコップを高い所から落としてしまっても割れる前に空中でキャッチできるようになったり。あと、毎週日曜日に韓国人のクラブチームに混ぜてもらってバスケしてたんだけど、なんせ調子がすこぶる良かった。特にディフェンス。
人参投げの仕事も実は結構良いのかもしれない。もうやらなくていいけど。


"3ヶ月のファームジョブなんか早く終わらせてとっととSydneyに戻るもんね!"なんて来た最初の頃は意気込んでたのに、気がついたらこの生活がたまらなく愛おしくなっていた。小さい小さい何もないBoonahの町もそこに住む皆んなの事も、工場のみんなの事も、行きつけのスーパーまで車で30分、シティーに出るまで1時間以上かかる不便な立地も、気がついたら大好きになっていた。不便って素敵だ。そして何よりQueenslandは、人々でごった返しているSydneyと比べると落ち着いていてかなり住みやすかった。猛暑地っていう所だけはちょっと大変だったんだけど。

空がほんとーーーに広い!


突然おじいちゃんがオレンジを持たせてくれた。
2週間に1度の土曜だけBoonahであるマーケット。
土曜も仕事があるせいでいつも素通り。クゥ。


Surfers Paradise(サーファーズパラダイス)っていうQLD州にある有名なビーチ。
和田アキコや明石家さんまとかがここに別荘を持ってるって聞いた。

Boonahに来てから1ヶ月程で別のシェアハウスに引越しをすることになった。町に、1箇所だけ凄く綺麗で立派なシェアハウスがあったんだけど、そこに住んでた友達に引っ越したい引っ越したいって毎日のように言ってたら、その子がオーナーに交渉してくれて、まさか本当に住めることになった。何でも口に出してみるものだ。
初期からルームシェアをしているイレも一緒に引っ越せることになった。彼女は僕の妹と同い年の20才の韓国人の女の子。イレとは約4ヶ月間、朝起きてから夜寝るまでずっと一緒にいたんだけど、喧嘩する必要なんて全く無くて、ただ楽しくて平和だった。
距離感を保つのが上手って才能だと思う。

いつもこんな調子のイレちん。


よくお風呂場にタオルを持って行き忘れるイレ。かわいい。


そうして今度は4人の韓国人ガールズとのシェアハウスが始まった。前の家はハウスルールが厳しくて掃除当番やゴミ出し当番が細かく決められてたんだけど、この家は気づいた人がやるスタイル。最高。
ハウスメイトの1人、名前はウニョン。僕が初めて彼女を見かけた時、可愛すぎて話しかけられなかった。ツンとした雰囲気もあるから尚更。でも、一緒に暮らしてみたら、よく明石家さんまみたいな声で笑うし、割と結構韓国語で話しかけてくるし変わってる。僕も日本語で返すんだけど、何故か会話が成立するんだよね。ギャップが凄くておもしろかった。他にも紹介したい子が沢山いるんだけど、書き出したら長編小説よりも長くなりそうだからまたの機会に、、。
そんな子たちとの生活がおもしろくない訳なかった。

ハイトーンカラーがとってもよく似合うウニョン。仕事中目が合うと横揺れの動きをしてくるウニョン。好き。
「何で蓋開けんかったの〜」と呆れるイレと、さんまさんみたいな声で大笑いするウニョン。このタッパーはまだ使っています。


朝5時に皆んなの目覚ましのアラームが一斉に鳴って、それでも起きない僕をイレがいつも起こしてくれる。「おはよ〜」とか「肩死んでる〜」とか「人参投げに行くけ〜」とか皆んなでうだうだ言いながら洗面所とトイレの取り合いをして準備をする。朝ごはんをちゃんと食べる時間は無いからいつもスーパーで買う葡萄を数粒口に放り込むだけ。今日こそは5時25分に家を出るぞと思いながらいつも5時28分に小走りで玄関を出る。急いで車を出して、各々の家に皆んなを迎えに行く。車を持っていると、「今日はこの家とこの家に迎えに行って」と毎日指令が来る。ちなみに1人乗せたら1日往復で500円稼げるぞ。乗せる子が沢山いる時期はそれだけで1日+$40の収入があった。
片道20分の工場までの道のりの間、いつも同じ場所ですれ違う散歩中のおばあちゃん、通勤中のおじちゃんに挨拶がわりに手を振る。朝、太陽に背を向けて皆んな同じ方向を向いて草を食べる牛と羊達の姿を見届ける。車に轢かれたワラビーや狐、ウサギたちの事も一緒に見届ける。見慣れちゃダメだけど見慣れるくらいよく道路でお陀仏になってる。

人よりも牛たちに会うことの方が圧倒的に多い。


職場に着いたら、皆んなと一緒に一生懸命働く。
時々セロリチームの応援にも行かされる。セロリチームに行った場合は、セロリの葉っぱをむしったり、セロリをバスケのフリースローぐらいの感覚でカゴの中に投げ入れるよ。そして15時半に仕事が終わる。終わったらまた皆んなを乗せてBoonahに戻る。僕の車のクーラーは既にお陀仏になっているので真夏なのに全くクーラーが使えない。直そう直そうと思いながらまだ直してないから多分一生直さない気がする(直せ)。5人乗りの車にピッタリ5人乗せて皆んなで溶けながら帰る。まるでサウナのよう。整わないサウナ。
町に唯一あるスーパー(高っけえ)に寄り道して皆んなで買い物して帰る時もあれば、Milk bar(ミルクバー)っていう町で有名なハンバーガーショップに夜ご飯を調達しに行くこともある。みんな行く所が無いからそこのスーパーかMilk barに行ったら同窓会かと思うくらい大体誰かいる。このお店のマウイバーガーとゼウスバーガーが本当に美味しいから日本の皆んなにもSydneyの皆んなにも食べさせたいなあ。マウイバーガーがダントツ人気。僕も大好き。24年生きてきて初めて"ハンバーガー食べたい"っていう感情が湧いたのがこの店。スタッフの女の子が「Momoだよね?」って名前を覚えてくれるくらい通った。ハッシュドブラウンもポテトフライも超美味しい。
あーだめだ、もう既に食べたい。

ここが噂のMilk bar。何回でも言うけど超美味しい。

Milk barのハンバーガーの写真を紛失したので全然違う所で食べたやつで代用(代用すな)。


美味しすぎるハッシュドブラウンとフライドポテト。
ラリアは資源を大事にするって聞いとったけど明らかに無駄なサイズの紙。謎。




仕事から帰ってきて夕方前にはシャワーを浴び終わって、ストレッチをする。ストレッチ中の僕を、家を掃除中のルンバがめちゃくちゃ邪魔してくる。たまに空気を読んで近寄ってこない時もあるんだけど。うちのルンバはちょっと天然なのか、お願いしてないのに勝手にトイレの中に入っていって掃除し始めて、結局自力で外に出られなくなってトイレの中で力尽きてたり、僕の部屋に置いてある毛糸を自分から食べに行って、結果、毛糸が詰まって勝手に力尽きてたりする。やれやれ。
台所も洗面所も洗濯機も下駄箱も全部1個しかないから大体はルームメイト達と争奪戦になる。台所の取り合いをしながら夜ご飯と次の日のランチを準備して、夜ご飯を一緒に食べながら仕事の話やお互いの国の話をよくする。ちなみに恋バナは誰としても盛り上がるから女の子に生まれてよかったなって思う。21時頃には「おやすみ〜」と言って各々自分たちの部屋に帰っていく。そうしてまた朝が来る。こんな毎日だった。


韓国人の皆んなが作る韓国料理はどれも本当に美味しくて、よくパーティーもした。時々イレが作ってくれるキムチチゲは本当に最高。韓国人は全員1人一つキムチを必ずストックしてるのがおもしろかった。
クリスマスには皆んなでクリスマスツリーを作ったし、大晦日はシティーの方まで遠出して花火を見た。元旦は外でお湯を沸かして、めちゃくちゃ蚊に刺されながら赤いきつねと緑のたぬきの食べ比べをした。初めての真夏クリスマスと正月はあまりにも季節感が無さすぎてなんとも言えない気分だった。やっぱりクリスマスも正月も冬が良いなと思う僕はまだまだ日本人だ。
近くにダムがある山があるんだけど、そこにもよく行った。そこから見る星が本当に綺麗なんだよ。流れ星も沢山見れる。
車を走らせてMovie Worldっていう有名なテーマパークにも遊びに行った。トゥイーティーやバックス・バニーが有名な所。そして思った、日本のディズニーランドを尊敬します。

カップ麺の値段も、蚊も容赦なし。

どうしてもおじさんの頭に目がいってしまった大晦日の夜。

色々雑でおもしろかったMovie world。
1回行けば満足。

ムービーワールドのロゴを見たら
皆んなピンとくるはず。



早朝、玄関を出るとワラビーが家の前をぴょんぴょん跳んでいるのにもだんだん慣れて、「あ、猫」みたいな感覚で「あ、ワラビー」になった。慣れって怖い。車道を走るワラビー、うさぎにだって道を譲る。"郷に入れば郷に従え"だ。
僕的にすごく疑問なことが1つあって、田舎の鳥が頑なに道路を歩いて渡ろうとするんだよね。何のための羽や。よく道路でぺしゃんこになっている鳥達を見て、「ほら言わんこっちゃない。」と何度声をかけたことか。多分、彼らは凄く平和ボケしてる。


日本にいた時には想像もしなかった暮らし。豊かな暮らしは不便の中にあった。
1日1日がまたしても猛ダッシュで過ぎていく。気がついたらBoonahに来てから4ヶ月が経っていた。時空が歪んでるんじゃないかと疑いたくなる。そんなに慌てて過ぎていかなくてもいいのにさ。
2年目のビザ申請に必要な分はきっちり働いた。そろそろSydneyに戻らなきゃ。皆んなに少しずつお別れを告げる。この世で1番嫌いな事は何かと聞かれたら間違いなく僕は「さよならを伝えること」と答える。でもその時はいつだって容赦なく、来るべきタイミングで来る。この先、この町にまた戻ってくるかは分からない。戻ってきたとしても既に皆んなは別々の場所にいるはずだ。もう一生会えない人もいるんだろうな。そんなこと想像したら悲しくて死にそうだ。でも、ありがとうの気持ちが溢れるのも、大切だと思えるのも、今までが特別に思えるのも、結局、"今"が1番だということも全て、悔しいけど別れがあってこそだ。だからその時が来てしまったなら、素敵な人には必ず手紙を書く事、さよならを伝える時は忘れずに「See you again」と言うこと。これだけは絶対にやると決めているマイルールってやつだ。
皆んな「モモ〜カジマ〜(韓国語で行かないで)」と言ってくれる。実は僕も、もうちょっとここに居たいなって思ってるんだけどね。でもその言葉を貰えただけ贅沢だ。ありがとう。
4ヶ月も韓国人の皆んなと過ごしてたら韓国語をちょっと覚えた。田舎のオーストラリア人の人達の英語訛りがあまりに強過ぎるから聞き取るのが大変でいつもドキドキするんだけど、何故か韓国語は聞いてて安心するようになってしまった。英語勉強しにきたはずなんだけど。

ここにいる間、毎週一緒にバスケしてたチームの皆んなともお別れだ。一緒に工場で働いていた友達に「バスケできる場所探しとるんやけど、、」って言ったら、たまたまこのチームを知ってて連れてきてくれた。やっぱり何でも口に出してみるものだし、フットワークは軽くあるべきだ。
この人達とするバスケがとにかく楽しくて、たとえ朝6時スタートでも、往復2時間かかっても全然苦じゃなかった。気づいたら毎週、休むことなく足を運んでいた。兄ちゃんが沢山できたような気持ちだった。居場所がないような気がして時々物凄く悲しくなる時があったんだけど、彼らは1つのあったかい居場所をくれた。ここの皆んなも、おもしろくて優しくて一人一人紹介したいくらいなんだけど大変なことになりそうなので省くね(おい)。
このチームで一緒にプレーしていた台湾出身のディアスと彼女で日本人のユキさん。ある偶然があって仲良くなったんだけど、彼らにもとってもお世話になった。一緒にいると元気になるって言葉がしっくりくる素敵な2人。数回しか会ってないのに、2人と過ごす時間が楽しくて楽しくて、もう既に心を射止められてる。何度かお家に泊めてもらった事があるんだけど、用意してもらった布団がなんだか凄く不思議と優しくてあったかくてさ。例えるなら、真冬にお母さんが寒いやろうからってほかほかに温めてくれた布団の中で、幸せな気持ちでぐっすり寝るあの時の感じ。例えが物理的な温かさを含むニュアンスだから伝わりにくいけど頼む、伝われ。
ユキさんが振る舞ってくれたお味噌汁も最高だった。いつぶりに飲んだんだろう、インスタントじゃなくて手作りのお味噌汁。美味しい以外に何があるんだ。
そして、別れ際にディアスから貰った、「ももは1人じゃないからね。」って言葉がスッと心に入ってきて、今もその言葉の魔法にかけられたまま、ずっとあったかい。常々思うんだけど、やっぱり言葉の力は凄い。オーストラリアに来てから特に、言霊に関する論文、資料をネットで読み漁るくらい言葉の持つ力の凄さに気がついた。言葉の力は見えないけどいつも助けてもらっているし、自分の人生にかなり影響している。

こんな調子でQueenslandに残りたい理由が1つ、また1つと増えていく。

"Momo is the best"と言ってくれる皆様。この人達とまたバスケがしたい為に戻ってきそうな気もする。
だから、またね。


Boonahで過ごす最後の金曜日。イレとウニョンがお別れパーティーを開いてくれた。そういうわけで、Boonahにある美味しい食べ物を全部テイクアウトしてきた。インドカレー屋のバターチキンカレーと牛肉カレー、チーズナンとガーリックナンとライス。そうそう、オーストラリアでチーズナンを食べれる店を見つけられなくて、ようやくこの町で見つけたんだよね。半年以上ぶりにチーズナンを食べた時は美味しくて嬉しくて言葉を失いました。
あとは町のピザ屋のマルゲリータピザもオーダーした。皆んな「ここのピザはしょっぱい」って言ってたけど、あんまり気にならなかったから、逆に自分の味覚を心配してる。
あとはね、地元スーパー(高っけえ)で買ったチョコのホールケーキも。既に胃がキャパオーバーなのでMilk barでポテトフライとハンバーガーをテイクアウトするのは諦めた。
手いっぱいにごはんを持ち帰ってきて、3人で好き勝手に食べた。食べてる最中、イレとウニョンに「韓国の男はやめとかれ」と口酸っぱく言われた。他の韓国人ガールにも同じこと言われたな。韓国事情をよく知るネイティブ韓国の女の子達が口を揃えて言うんだからきっとそうなんだろう。肝に銘じるよ。
その夜は、懲りずにまた星空を観にいつもの山に行った。こんな綺麗な星空も見納めなのか。ここに来てから綺麗なものばかり見る。見慣れた景色になりつつあったけど、やっぱり見慣れるには勿体ないや。3人で背中をくっつけて、時間を忘れて飽きるまで星を見てた。「また会おうね」なんて言いながら指切りげんまんをした。指切りげんまんは世界共通なのか。韓国スタイルで小指を絡ませながらお互いの親指をくっつける。これはスタンプの意味らしい。新しいタイプの指切りげんまんだ。

こうやって写真に収めれるなんて
技術の進歩に感謝ダー!


あっ、このケーキは3人で丁寧に残しました。


一生懸命準備してくれたのを想像して大泣き。僕に編み物を教えてくれたのもイレ。ありがとう。


毎朝一緒に通勤してたダヒから。大泣き。
車でゴミ箱を轢いてしもて大量のゴミを路上に撒き散らした朝、一緒に人参投げを遅刻してくれた素敵なお友達。


キッズ用の歯ブラシと日本語の手紙をくれたウニョン。おもしろくて声出た。さすが、好き。



出発まであと2日。そろそろ荷物まとめなきゃ。気がついたら物がかなり増えている。特に服。スーツケースは1つだけ、あとはリュックが1つ。でもみんなご存知かと思うけど、僕、長い間引っ越し屋だったんだよね。どれだけの荷物と真心を運んだと思ってんの。
と言いつつ結局、荷物がだいぶこぼれた。だよね、知ってた。車があって良かった本当。
結局車もパンパンになりました。これじゃ帰り道の車中泊は厳しそうだ。


今日は2023年1月15日、日曜日。いよいよ今日でお別れだ。最後に皆んなに会いにそれぞれの家をまわる。名残惜しいなあ。そんなこと言ってたらMik barで最後にハンバーガーを食べようという話になった。一緒に来てくれたのはこの町で大変お世話になった数少ない日本人の友達のまゆさんと、トモ。一緒に人参チームで働いてたんだけど、2人は夜勤組。この2人がね、まあ本当に面白いんだ。多分3人とも日本語に飢えてるから面白い話が出てくる出てくる。3人でゲラゲラ笑って気がついたら3時間くらいノンストップで喋ってた。ほっぺたが痛い。お互いに好きに喋って突然解散になる流れも好き。
友達が読んだ本をプレゼントで貰うの超素敵だと思ってたからトモから貰った洋書、大事にする。頑張って読むね。ちなみに、まゆさんはNetflixのアカウントをお裾分けしてくれた。色んな国のNetflixが見れるVPNとやらのアカウントもちゃっかり。かなり嬉しい。素敵すぎる。ありがとう静岡代表と東京代表!また会おうね。


ひとりぼっちでここに来た事を忘れるくらい素敵な皆んなに逢って、ずっと心がぽかぽかだ。
これでもかと言うくらい素敵な人にばかり逢う。日本にいる時から既にそうだったけど、オーストラリアに来てからもこの人達の事を知れて良かったなって思う人ばっかりに逢う。自分は贅沢者で幸せ者だと常々思わされる。出逢いに感謝だ本当に。ありがとうじゃ全然足りないんだけど、ありがとう。心を込めて。
そして、どんな場所に行ったって、僕は僕が生まれ持ったものを上手に使って、うまいこと生きていけるみたいだ。それが分かって良かった。
ここでご縁をいただいた皆んながこれからもニコニコで過ごせることを心から祈っています。

May you guys be forever happy.
Lots of love.


いつも見送ってくれるにゃご。この日は車の屋根の上から。
この日は車の下から。

この日は椅子の上から。

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