心と体に余裕を持って生きるとは?|瀬尾真理子さん編集後記
今回お話を伺ったのは、フリーライター・編集者である瀬尾真理子さんです。
瀬尾さんにお話を伺いたいと思ったきっかけは
「日本のワーキングマザーは世界一睡眠時間が短い」という瀬尾さんが執筆したnoteに、私がすごく共感をしたからです。
私自身、睡眠を犠牲にしている訳ではないのですが「母親だから」というフレーズが心に刺さりました。
地方への移住をし、家族4人で生き生きと暮らされている瀬尾さんの「自分を犠牲にしない生き方」を伺って得た気づきをお伝えします。
やらなくていいことを考えていなかった
瀬尾さんのお話を記事にする際に、最初の気づきとなったのが「やらなくていい事を決める」という考えです。
私も1人娘を育てながら、復業をこなす母親として「やらなくていいこと」という視点はありませんでした。
我が家は基本的にワンオペなので、家のことは私がやらなければ誰もやりません笑
子どもの保育園行事
子どもの送迎
基本的な家事
全て私がやっています。
そこに「なんで?」という感情はなく、そういうものだとおもっていました。
なんなら行事に参加しないママさんの事を「子どもかわいそうじゃない…」って思うくらい、自分<家庭になっています。
瀬尾さんの話を聞いて、母親なのにって1番自分自身が思っていたことに気づかされました。
そして、自分が結婚をすると決めた時「結婚する=家庭軸で生きる」と不思議な決意をしたことを思い出したのです。
もちろん、家事を完璧にできるわけではないので「やれていないこと」はたくさんあります。
その上元々完璧主義でもないので、まあいいんじゃない? としか思っていない自分もいます。
しかし瀬尾さんのように「やらなくていい事」を考えて「なぜ現状そうなっているのか」を考えられたら、もっと私に余裕ができるのかもとも思いました。
母親に余裕がないのは、色々詰め込みすぎているから。
それを自分自身が1番やってしまっていることに、瀬尾さんのお話を聞いて感じさせられました。
母親は自分を犠牲にするのがあたりまえ?
毎月何かしらの予定が入る私と、めったに予定が入らない夫。
だからこそ夫の予定を優先させたいなと思いかぶった時は、私が予定をずらすか子どもを連れて行けるかの確認をします。
多分大丈夫って確認しない私が悪い。でも、瀬尾さんのお話を聞いてからは夫も私も「母親の役割」を決めつけているのかなと感じたのです。
世の中的にも、母親=自己犠牲という認識がありますよね。
瀬尾さんの話の中に「普通」とは何なのか? そして、自分は何に対して嫌だと思っているのかを整理するのが、心の余裕を生むと話してくれました。
自分がイライラして余裕がなくなっている点を夫婦で共有し、妥協点を探る。
当たり前にやらなければならない事かも知れませんが、私に関してはやっていなかったからこそ、比重が私に偏っているのかも知れません。
私は娘に何を残せるのか
瀬尾さんは「娘に負の遺産を残さない」と話してくれました。
母親は何でもこなしている、母親はできて当たり前。
そんな負の遺産は残したくないと。
これ、私危ないなって思いました。
娘が見ている母親像は、朝起きてから眠るまでずーっと動き続けている姿です。
仕事をしていた方が気持ちが落ち着くので、家で仕事ができる今の環境はすごく気に入っていますが、ソファにゆっくり座っている私の姿を見せたことがありません。
私が好きでやっているライフスタイルのせいで、娘に母親は忙しくなきゃって思わせてしまっていたら、すごく申し訳ないなと思います。
隙はたくさんありますが、人より動けてしまうので母親=キャパが広くなければ、なんて思い込みができるのだけは避けたいなと瀬尾さんのお話を聞いて感じました。
ワーキングマザーだから余裕がないのは当たり前
それっておかしくない?ワーキングマザーだってもっとゆっくりしたいし、理想の睡眠時間を確保したい! そんな風に思う人は、瀬尾真理子さんのインタビュー記事をぜひ読んでみてください。
心と体にもっと余裕がほしい。
そう感じている人に気づきをくれます。
私自身、瀬尾さんのお話からたくさんの気づきをいただきました。
私自身の生き方を娘のためにも、家庭のためにも少し見つめ直した方がいいのかも知れないなと思ったインタビュー記事でした。
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