奈良、飛鳥の記憶
幼い頃にふたりで眺めた石舞台。
親子が共有する飛鳥の景色。
私が物心ついた頃から父は仕事一筋だった。
鉄鋼所を営む彼の帰宅はいつも日付をこえたあと。土日どころかゴールデンウィークもお盆もなく、ほとんど年中無休で働いていた。普段より早く起きた日の朝、数分間だけ会える実の父親を私は「また来てね」と言って見送った。
あの瞬間の父の気持ちがどんなだったのか、それを想像するとひどく申し訳ない気持ちになる。
夫がほとんど家にいない分、母は休日ごとに私と弟をあちこち連れて回ってくれた。いちばん古い記憶は私が幼稚園生の頃、確かふたつ先の市にある大きな公園だった。となると4歳下の弟はきっとまだ歩くのも危なっかしい年齢のはずだ。
父も母も、方法は違えど大切に、自分たちの欲求を忘れるほど必死に私と弟を育ててくれた。
そのことに気がつくまで、随分時間がかかった。
お出かけといえば付き添うのは必ず母だったから、父とどこかへ出かけるなんてかなり稀な出来事だった。
飛鳥は、私が父とふたりきりで過ごした記憶のある唯一の場所だ。
残念なことに、その状況に行き着いた経緯を私は覚えていない。父にも直接きいてみたけど、やはり正確な時期はわからなかった。ふたり揃って思い出話もできないほどあやふやなのは血だろうか。私たちが持っている記憶は飛鳥の景色だけで、それ以外は情けないほどすっかりどこかに置いてきてしまったらしい。
その日は朝から雲ひとつない晴れだった。薄手のシャツを着た父の背中に飛び乗った記憶があるから、きっと過ごしやすい穏やかな時期だったんだと思う。
遠くに大きな、ほんとに大きな岩が絶妙なバランスで積み上がっているのを見つけた瞬間のことははっきり覚えている。恐怖すら感じるほど巨大な岩の危うい重なりを見上げたとき、使ったこともない"神々しい"という言葉がすんなり思い浮かんだ。
岩に潜り込むように続く下り坂を、手を繋ぐわけでもなく、ただ父の後ろについて歩いた。岩の下は学校の教室くらいの広さの空洞で、四方上下は全てざらりとした岩肌。ところどころ苔が張り付いた白っぽいそれが差し込む日光を反射して、空間自体が不思議なほど明るく、空気に舞う細かい砂埃さえ煌めいていた。
脈打って、血が巡って、呼吸をしている。
きっと全部私の中から聴こえる音なんだけど、普段意識が向かないせいか生き物の中にいるみたいだった。
父と言葉を交わした記憶はない。
その場所の空気に圧倒されて話すのをためらったのか、単に会話を覚えていないだけか。どちらにせよ父から何かを教わったとか、私から何か尋ねたとか、親子で古墳を見学しているならあって当然に思えるシーンが、思い出のどこにも見当たらないのだ。
ただふたりで岩の天井を見上げた。
静かで、ひとりぼっちがふたりいるみたいな空気。
それだけが何より美しい瞬間として、今でも記憶の奥深いところに刻まれている。
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