なりたい自分になる

 最近大学の履修登録でやらかしてしまって少し落ち込んでいます。自業自得といえばそれ以外の何物でもなくて、今の自分がどうにもできるはずもなくてただ過去を悔やむしかない。なんだかその小さな間違いがあまりに大きすぎる弊害となってしまって悔やむに悔めない。しっかりしていれば避けられていた事態だったとはいえ、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。本当に自分が情けなくて情けなくて...。

 たまにこれから生涯自分として生きていかないといけないことが怖くなる。それが嫌なら自分を変えればいい。でも人ってそんな簡単に変わらない。いつももう少し努力しようと思っても結局何もできなくて。怖いのに変わりたくないというとてつもなく怠慢な自分がいるんだと思う。たまになんでも自分のせいというようにしか考えられないのも問題かなって思うけど、どう考えても自分の責任でしかなくて。

 変わりたいなら変わればいいし、それがめんどくさいなら今の自分を受け入れればいい。それだけのことなのに、どうして私は自分を否定しながらも変わらずに生きていこうという一番悲しい生き方しかできないのだろう。このまま幸せになれるわけないのに。

 私は将来に具体的なイメージが湧かない。なんだか自分は敷かれたレールを歩いているようで、そこから外れるのをすごく恐れている。田舎暮らしとか憧れはあるけれど、このまま東京で就職先を探して仕事しながら生きていくんだと思う。何もやりたいことはないけれど、ただ周りに流されながら。漠然とした幸せのイメージを追い求めながら。私はきっと世の中の「幸せ」を渇望して、自分の「幸せ」を掴むどころか見つけることすらできないのではないかと思う。幸せになりたいとは思うけど、何が幸せなのかわかっていない。周りにどう思われようと、自分の幸せをつかむ心意気が欲しい。

 レールを踏み外すことは不幸なんかじゃないのに、私はそれをひどく恐れている。きっとレールが敷かれていない道しるべもない道を、自分で考えて自分で選んで進むことが怖くて仕方ないのだと思う。自分が間違えてもそれは自己責任で、自分のせい。冷静に考えれば他人に迷惑をかけるわけではないし、自己責任ならむしろ気が楽くらいに考えていけばいいんだと思う。でもなんだか気が重くなって、怖くなって...。

 もっと人生を楽しめる余裕がほしい。スリルを味わうことはきっと悪いことではないはずなのだ。今を全力で楽しんでいきたい。

 私は何もかも自分のせいだと理解しながら、それを認めたくないのだと思う。心のどこかで何もかも親や環境のせいにしようとしているのだと思う。やはり情けない。だからこそ自分で考えて行動することは何があっても自己責任であることになるため認めざるを得なくなるのが怖いのだ。どんあ帰結が来ようとも言い訳ができないの。

 これからどう変わっていけばいいのか、課題はたくさんある。内から変えるか、外から変えるか選択肢はたくさんある。正直自分の今の性根の腐ったネガティブ思考をはじめとする考え方を変えなければ自分自身を変えることはできないと思う。つまり、中を変えなければいけないのだが、そのために外から変えるのもありだと思う。外といっても顔や体型というよりは振る舞い方...。

 ベイビーステップから始めてみたい。大きな声で話す、明るい表情と声を心掛ける、姿勢をよくする。どれも基礎的なことのはずだ。だけど、今の私には難しいこと。どうすれば人が多くて緊張している状況下でも声を張って話せるだろうか。どうすれば「元気?」とか「疲れてる?」とか聞かれないように明るく振る舞えるだろうか。

 この3つは私の自信のなさと直結していると思う。自信がないから上記のことができないのか、上記のことができないから自信がないのか。前者だとは思うが、上記をやることで自信をつけていくことだってできるはずだ。

 当たり前のことをやるというような目標で、ベビーステップと自分でも言っているが今の自分がやるべき最初のステップはこれなのだと思う。

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