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『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.37「火花」

「人によって面白いのツボが違うのはなぜだろう?」
人間の血液型が大きく4つに分かれているのは、人類の生存戦略によるものだと聞いたことがある。もしも人類が単一の血液型だったとしたら、特定のウィルスに感染したときに全滅してしまうリスクがあるから、それを分散させるためにあえて分けたのだという。じゃあ「面白い」の感性を分けたのは、何からのリスクを分散させるためだったのだろう。そんな話を友人にしたら、この本を紹介された。

奇想の天才である一方で人間味溢れる先輩の神谷と、彼を師と慕う後輩の徳永。二人の芸人が、笑いについての議論とともにそれぞれの人生を歩んでいく物語。言わずと知れた第153回芥川賞受賞作。劇場を読んでから遅れること一か月。普通、読むなら先にこっちじゃね? と思ったけれど、そういえばファインディングニモを見る前にファインディングドリーを見てしまった時にも似たようなことを思い出して、きっと僕はものごとの順番というものにあまりこだわりがないのだろうと思った。

必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。

「僕は自分の人生を得た」
もしも後悔のない人生というものがあるとしたなら、それは自分がやりたいと思ったことを思いきりやった人生なんだと思う。それがどんな結果になったとしても、全力でぶつかったという自分なりの納得感。どんなに「あなたの人生は素晴らしい」と他人に言われようとも、自分が納得してなかったら、きっと後悔が残るのだろうし、どんなに「報われない人」だと他人に思われようとも、自分が納得していたら後悔なんてないのだろう。結局、自分が自分の人生を得たと思えるかどうかは、自分次第なのだ。

何を面白いと思うかは人それぞれだ。だから、何を面白いと思うかは、自分が決めればいい。けれど、自分が面白いと思うものを、他人も面白いと思うかどうかは、別問題だ。分かる人にだけ分かればいい、というのも生き方の一つではあるけれど、僕はやっぱり一人でも多くの人に「僕が思う面白い」を共有したい。それがきっと、僕の後悔しない人生の生き方なんだろうと思う。



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