私はアロマンティックってやつかもしれないよなぁ
「すき」を探す私の悩みの話です。
ずっとこの言葉を知っていました。
無いことの証明って難しいし、言語定義があったとて人それぞれ違うものだし、わざわざ定義したくもない。
でも、「大勢にわかることが私にはまったくわからない」ってやっぱり本当に寂しい。
私には、無いかもしれなくて、ある状態がわからない。
かもしれない、で良い。
分かってほしいとは思わないけど、だれかに共有できたらいい。
もしかしたら、似た人がいるかもしれない。
だからあえて、共通言語としてこの言葉を使うことにします。
幼稚園や小学生の頃
少女漫画的な価値観が普通の時代でした。
なかよしも、りぼんも、ちゃおも買っていたことがあります。
齢3歳で漫画を見始めた私は、少女漫画っ子。
ときめきトゥナイト、セーラームーン、カードキャプターさくら、…みたいな。もちろん今も全部すきです!!
女の子は、こういうものが好きなんだ!とインストールし順応する。
私も周囲につられ好きな男の子ができます。
サッカーが得意な、すごく目立つわけでもなく、また他にその子を好きという女子がいなかった男の子。
今思えばまあなんか雰囲気が好きだっただけか、周囲と別の子を選んでいただけか、でしょう。
しかし、「周囲の男の子」からの私に向けた好意は少し気持ち悪かった。
理解ができなかったからなのかもしれません。
中学~大学では
女子校に通っていました。
とくに中高では、男の子と分かれた世界で、アイドルという「夢」を追う以外は現実で好きな人などできなかった。
周囲の子が、わざわざ恋愛をしに他校に行くことは全く理解できなかったし、
ともだちに好きな人ができたら、「置いて行かれた」気がしていました。
友人だった人に好意を向けられたこともあります。向けられる恋愛的な意味の好意は、なぜかすぐにわかるのです。少女漫画ユーザーだから
だけど、「なんとなく」少し遠くに置いていました。友達でいいじゃんか。やっぱり「なんとなく」怖かった。
大人になってからは
私も何度か恋愛(?)をした。
私の事を特別に好きになってくれたから、私も特別に好き。
そして、好きだからなんでもできる。
実際に本当になんでもできるけど、徐々に染みる疲れに気付かない。
ゆえに「自分」が消えていき、どんどん調子が悪くなっていく……
そして相手が別れを切り出すころには、私はかなり疲弊している。
みたいな、異常に自己肯定感が低い人かのような…笑(そういうわけではないのですが…笑)
恋愛ばかりしてきました。
いや、あれは恋愛ではなかった。
すべて、「人からの好意」に振り回されただけだった。
勝手に見た目や言動で好きになられて、好きになってもらったから、
私はわからないなりに「同じだけの好意を返したい」と努力をする。
徐々に好きになってもらった自分を消して、言いなりになるように変わっていく。
そのうえ、相手の事を特別に思えなくて(思っていると思い込んで)、最後は勝手に嫌われただけ。
自己肯定感が低いかのようなふるまいを年単位でするわけですから、本当に自己肯定感が低くなっていく!
自分の優先順位が強制的に低くなり、低いという自己認識も出来なくなるのは怖いものです。
いや、私の立ち回り方が悪かったのも分かっています!
でも!
好きだといってもらえるのに、返せないから、せめて他の事で全力で返したい努力をした私を自分で褒めたいよ。間違ってるけど…笑
誰かを、自発的に、「特別に好き」にはなれない時点で、
私には、それが「向いていない」のでしょう。
恋という魔法が絡み合わない人間関係の方が、よほど好きです。
わからない上に、魔法にかかっている状態の正常な判断ができない相手を、私は正常に判断することができない。
お互いを理解し合えていない状態で、当然のようにすぐに性交渉をもとめられるのも、理解できない。
でも、それって「私が普通じゃない」。
普通じゃないことを悪いとは思わない。
けど、みんなのわかる共通言語がわからないから、そして現実世界では口に出すのもおかしな話だから、「ひとりである」選択を、せざるを得ないということ。
もちろん私は自律していたい!
自分の規律で自分の判断で、自分を生かしたい。
でも、私のわからない(かもしれない)「特別」ってうらやましいんだよ。
私が特別に思えない時点で、私と言うものが特別に思われることって、可能性が低くなるよね。
それはずっと分かっています。
ずっと分かっているから、人間はだれしも孤独な物と分かっていても、寂しいものです。
自発的に、だれかを特別に好きになってみたかった。
特別な好きを理解した状態で、特別に好きな人に伝えてみたかった。
たぶん、日常を生きていて、周囲にいる誰かに対しその感情に思い当らない時点で、私には難しい。
特別な誰かを見つける活動をする気にもならない。私にそのつもりがないんだから。
家族に言えもしない。
無の証明は難しいから。
これからの行動で、自分がどうであるかを示すしかない。
もしかしたら、ある可能性を捨てきれない。
周囲の人たちを信頼しているから、人間として好きだと思うから、そのまま、自由であってほしい。
自由な中で、私とともに過ごす時間をその人たちが選んでくれたら、これ以上嬉しいことはない。
もしくは……推しの4人組たちのように、
自立した大人同士で、自分ひとりで生きながらもそういう気持ちが相互に存在せず、
長く近くで、でも遠くで続く信頼関係があったらいい。
そうでありたい。
な〜んて、書いて投稿したら納得して落ち着いたなんて、楽でよいものだ!
解決はしない永遠の命題だから、これからも同じことで悩み続けるとおもうけど。
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