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「好きかどうか」と身体接触と感謝の話


個人的にはめちゃくちゃセンシティブな話題!

本当に好きだったら接触したいしされたいもんですか?
ふつうだったら、接触している状態が「落ち着く」のですか?

私は本当に好きでも、あんまり接触を望まない。
いやとかじゃない!
できたらいいとは思っている。
体温が嫌とか気持ち悪いとかそういう話ではない。

嫌いだから触れたくない…のではなく、嫌なわけでもなく、
触れている面積が多ければ多いほど(?)誰にも等しく私が眠れなくなる
もしくは、状況把握のための思考におぼれるから、一見上の空に見えても、「落ち着く」とは程遠い状態になる。

眠れなくなるから、健康じゃなくなっていく。
それが緊張か、不快か、単に過敏なのか、なんの感情かわからないけど、
接触への感覚と、愛情は、一切一致しない。

一切一致しないことは、他人には正直信じてもらえない。

文脈的に必要なのは理解している。
違和感だけがある。

本当に望んでないの?と言われると本当か分からないけど、
多分人並よりはそうに近いと思う。

いや、できたらいいとは思っている。
というか、悩んでいる時点でやはり、私の感覚は人並みではないのだろうとは思っている。

接触ができないと許されない気がして、努力していた。
もしくは、許されなかろうが、ひとりで生きられるよう努力していた。


そういえば、父方の(個人的に血を感じて好きではないほうの)祖母が、
「孫でも赤子を触れるのが怖いから抱けない」という発言をしていたっけ?
周囲の人は、訝しげに思いながら、変なものでもみるように、しかし他所事のような笑顔で聞いていた。
こっそりと大勢から否定されるその人に、私は何も言うことができない。
否定も肯定もできないその血はもしかしたら濃く、自分の生来のいびつさが嫌になる。


「好きだから」という理由で接触を必要とされるから、
無理に努力して、知れず削れては、自分が自分でなくなる。
何人もの「私の違和感を許せない人」は、私の近くから離れていった。

近づきすぎて私の精神が破壊されたパターンもあれば、
まったく近づかない私に、相手が痺れを切らしたパターンもある。
「近づけなくても好き」は、誰にも信じてはもらえなかった。

…などという、困った私に
必要以上の身体・精神的距離を近づこうとしてきた人の中で、
対話が出来たうえで、
私の好きの形を聞いてくれて、そのうえで尊重してくれる人が初めていました。

そして接触したいと思ってくれてるなら、やっぱり努力して返したいんだよなぁ。
多分「自発的に触れたい」よりは「もらったから返したい」に過ぎない気のする、それ。

「それでもそばにいるよ!」とくれた言葉は、
今まで一度もなかったから、まだすべては信じようもない。

多分、私の鈍足に飽き飽きしたらいなくなるだろう。
もしくは、他に接触したい人が現れたら、そちらを特別とするんだろう。
みんなそうだった。
でも、偏った「みんな」にあてはめたら失礼だよな~とも、思っている。

信じられないけど、
救われてしまったことだけは事実で、だから信じているよ。
出会えてよかったのかもしれない。

などと考えつつ。
最近記事を書きあげられなくて止めちゃってる内容があるから
今日の記録でした!

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