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働いて食べる≒育てて食べる〜畑にて〜

最近はほーんと、生きるってなんだろうって考えてる。


古民家に暮らすようになってから畑を始めた。GWから2ヶ月弱経って、植えた苗や蒔いた種が大きくなり収穫できるようになって来た。

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今一番採れ高を誇るのは水菜と小松菜。一緒に畑をやっている畑の親分にもたくさん分けているけど全然減らない。みんな消費に困り、もらうのをしぶりたくなる(笑)  個人的には必然的に毎日もりもりサラダを作るようになって、健康度がアップしたように思う。10日前くらいからスーパーで野菜を買わなくなった。



畑の方針は無農薬。化学肥料や除草剤は使わず、資材も竹や藁など自然に還るものを使う。水菜と小松菜は何もしなくてもすくすく育ってくれたけど、他の子達は倒れそうになっていたり、雑草に負けそうになっていたり、ヘルプが必要だ。自分は田舎育ちというわけではないので、畑の親分のアドバイスを聞きつつ、野菜の様子を見てせっせと手を動かす。



1週間ほど前、ポットの大きさから全然大きくなっていないオクラやピーマンに鶏糞をやってみた。数日経過すると元気になったような気がする...!花や実もつきはじめた。手間が形になって嬉しくなった。



が、雑草は刈っても刈ってもスルスルと伸びてくる。あれ?1週間前に刈ったよねといいたくなる。雨なんか降るとすぐ伸びる。割と広めな畑なだけあって、お世話する面積はたくさん。雑草刈って、トマトの脇芽をとって、支柱立てて、、その間に蚊に噛まれまくったり、蟻の大群を見てしまったり、ゾゾっとする場面もあったりする。でも基本的に畑作業は苦にならない。綺麗な鳥が来てくれたり、土に触れたりしていると気持ちがいい。


昨日なんか8時間以上畑にいた。草刈り〜間引き〜野菜洗い〜苗の買い出し〜植え付け〜草刈り〜肥料まき〜収穫〜野菜洗い〜ご近所にお裾分け〜土寄せ といった感じ。


働き方を変えて、時間にゆとりが持てるようになったからこそできるスケジュールだったりする。前のまま週休1日だったら、雨が降ってたら終了、布団から動けないくらい疲れてたら終了、家事がたまりすぎてたら終了。畑の親分は仕事が忙しくてなかなか来れない。これが普通だと思う。それでも仕事の合間見て竹や藁を運んで来てくれたり、まとまって時間とってくれたりする。


まあ、要するに手間=時間がかかる。薬やプラ製品に頼らないのなら余計に。先人たちが繋いできてくれた土の中の微生物を殺すわけにはいかないし、水が豊かな地域の用水路に薬剤を垂れ流すわけにもいかない。だからせっせと時を使って、手を動かす。


・・・


作業中に思ったのは、
・生きるためには食べないといけない
・食べるためには働いてお金を稼いで食べ物を買わないといけない
・働くということは自分の時間を使うということ
つまり、自分の時間を使って食べ物を得る


それをお金を使わずに育てるとなると
・自分の時間を使って食べ物を育てる
つまり、自分の時間を使って食べ物を得る


働いて食べる ≒ 育てて食べる



生きるために、働いて金稼いで食べ物を買って食べるのも、
自分で育てて食べるために、時間を使って育てないといけないのも、人生という生きる時間の流れ的には結果は一緒なんだ!と思った。



なんとなくイメージでは自分で作る=タダだと思っていた。苗代も土地代もかかるからタダな訳ないんだけど。近所から自家製野菜をもらうってイメージが強かったのかな。その場合は完全にタダ。となるといただきもののタダの野菜ってご近所さんの時間をいただいてたってことだよな。



自分で育てるとなると一日労働を何度か繰り返してやっと食べられるようになる。どれだけ採れるかもわからないし、野菜は待ってくれないからスケジュールの融通も効きにくい。買ってしまえば綺麗なものが安定して手に入る。どっちがいいかな。



働くために自分の時間を使うか、育てるために自分の時間を使うかっていう話。育てるためコースは間に挟まる工程が少なくてシンプルだよね。どっちがいいかな。私は育てるコースをこれからどんどんやってみたいなって話。


真中

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