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小説が映画化されること。

今回の話題はタイトル通り。
小説や映画に限らず、アニメが実写化されたり、ドラマになったり…。
ある作品が別の媒体に作り替えられていく。そういう現象が今の作品づくりにはあります。

そしてその多くは、「人に見られやすい媒体」に変えられていきます。
小説や漫画などは通常、メディア広告になることは少なく、能動的なものですが、対して映画の広告やドラマのCMは、受動的に受け取るものです。
だから小説→映画のパターンはたくさんあっても、映画→小説というパターンはかなり珍しい。それは二次創作により「人に見られにくい媒体」になるからです。
※ここでは原作がある作品を「二次創作」と呼ぶことにします。

つまり二次創作は
「その作品を多くの人に認知してもらう」
という意図が一つあると思います。

これが良いことか悪いことかというのは、色々な視点があるでしょう。
二次創作で原作の知名度が上がれば、それはある意味では成功と言えそうですが、二次創作が大きな批判を呼べば、どうして作ったのか、だとか、はたまた原作が批判されてしまうこともあります。

そして一番の問題は、原作を模倣すること。
つまり、小説をそのまま映画化してしまうこと。

これ一見、何の問題があるの?と思ってしまいますが、
「媒体」という大きな違いがその問題を生んでしまうんです。

文章を書く人は、当然「文章を書く」という前提で、文章の特性や力を使って読み手に物語を伝えようとします。つまり、「これは文字だから成立する作品だ」というのが無意識に書き手の中にはあり、その時点で文字という媒体が一番適している作品を創作するわけです。

それを映像化するとどうでしょう。

 文字では成立していた事柄を映像化すると一気に理解不能になるのです。例えば、「言葉遊び」のようなことは映像化では伝わりません。音声が補ってくれればまだ伝わりそうですが、文字の形が重要だとしたら、それは音声ではやはり伝え切ることはできないでしょう。そうした「言葉遊び」をストーリーとして伝えれば、それは理解不能な物語になってしまうんです。特に「純文学作品」と言われるものは、文学で完成した作品なんです。それを伝える時に映像や音声はむしろノイズになってしまう可能性があります。
そしてアニメを実写化するときも、次元の違いがやっぱり大きな壁になってくるわけです。同じ視覚でも、2次元と3次元では感じ方が違い、2次元は何でも受け入れられやすいけれど、3次元ではそうはいかない。例えば髪や瞳の色は3次元だと完全に違和感ありまよね。


そんな風に思っていた時、ほぼ日手帳を開くと、こんなことが書いてありました。

著作権に関わることなので、そのまま引用することはできませんが、2021年のほぼ日カズン、1月始まり4月4日のページに書いてあって、前田知洋さんが『行ってみた、ほぼ日の学校vol.2』というwebページの内容になります。

https://www.1101.com/ittemita/maedatomohiro/index.html

この一部に、
「真似ではなく、その人が求める先を求めよ」
という趣旨のことが書いてあって、それに納得すると同時にすごく共感しました。

作家は作品によって何かを伝えようとします。
だから本来は、作品が作家の代弁をしてくれるはず。

しかし二次創作の場合、その作品を汲み取っていくことが必要になります。それは読者という視点だけでは不十分だ、ということです。だから読んで、こういう話というのを、そのまま表現する、真似は、読者側の感想でしかなく、そこに作品の芯の部分が含まれているかどうかは怪しいです。
だからそうではなく、自分がその原作者となり、その視点で物語を紡いでいかなければいけないんです。原作の芯を掴むには、作家が見ている景色を共有することが大切になります。

 もし文章の際には汲み取れた意図が、映像化したときに汲み取れなくなってしまう、というようなことが起きれば、それは別の方法で伝えるか、そもそも映像化するべきではないのでしょう。それはただの「広告としての」「商業的な」作品になるだけです。
それは本当に創作が好きな原作者にとっては、報われないことです。
「見られる媒体」によって知名度は上がったものの、ただそれだけ、ということになりますから。多くの人は、映像化された作品を一番に思い起こします。

もちろん、それは全ての作品には限りません。
それに実際、二次創作は原作者にとって、色々な面でオイシイ話であることには変わりありません。

しかし綺麗ごとを言うと、純粋な「作品」はオイシイ思いをするわけではなく、自己満足の中で行われるはずです。
作品で稼ぐことができなくたって、ほんとうに好きな人は、作品を生み出し続けるんです。
それは、私たちが一人でに鼻歌を口ずさむのと、同じことなんです。


以上が、小説が映画化されることについての思いでした。


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