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【地方移住Z世代の手記 #4】マッチングアプリほど非効率なことはないのでは?説を唱えたい


はじめに

私は数年前に人口が4万人ほどのある地方都市に移住した。県庁所在地までは30分ほどで、普段の買い物や用達には不便しない場所だが、雄大な自然に囲まれたバランスのいいコンパクトシティだ。
私自身は学習意欲だけはあって、そのため地方でリモワしつつ、いくつか修士号を取ったり、博士号取得のために継続したりしている、セミアカデミックになりたい人。

我の前提

私はギリギリZ世代で、ネットを通じた恋愛は割とスタンダード、抵抗はない方だ。一方で都内で学生時代、新卒時代を過ごした中で、「BARでのちょっとした出会い」や「道端でのナンパ」も経験し、実際にそれがきっかけでお付き合いもしたことがあるので、なんとなく「ネットの出会い」と「リアルの出会い」の違いを捉えている気でいる。

そんな私の主観からマッチングアプリの功罪を書いてみる。

最近都内で飲んでいるときに感じた違和感

数年前に地方移住をしていて、かつコロナ禍だったのでしばらく都内では飲んでいなかったが、ここ1年は仕事の関係や友人とのご飯で月1くらい都内に行っている。

そこで気がついたんだが…

  • ナンパ少なくない…?みんなもっと話しかけたりしてなかったっけ…?(自分が声をかけられる、ではなく周りを見ていて明らかにない)

  • 男女の目線が交わされてなくない…?(これも自分ではないが、周りを観察していて男女の視線が色っぽく合う瞬間が少ねえ)

「なんだ?!なんでこんなに可愛い子もかっこいい人も溢れているのに、こいつら目すら合わせないし、まるで存在しないみたいに通りすがっている…!NPCかよ…!」

独身男友達曰く「確かに可愛い子もイケメンも道端にいる、でもマッチングアプリにはもっといい相手がいるかもよ?っていう沼」

独身の男友達の発言からかなり納得のいく回答を得られた。
つまり、道端の性格も趣味も合うか分からない、ただなんとなく見た目が好みの相手とは付き合える確率は低く、
一方でマッチングアプリですでに相性診断を済ませてある顔面がタイプの子の方が打率が高い、というわけだ。

これ、一見かなり効率がよく見えて、めちゃくちゃ効率悪いのではと思ったので以下理由を書いてみます。

理由①理想の相手=好きな人とは限らない

もう1人、私の友人のエピソードを紹介したい。

彼女は大手メーカーに勤めるちょっと奥手な人で、マッチングアプリで出会った人と付き合っていた。相手は自分より年収が高く、背が高く、清潔感があり、誠実で、趣味が一緒で、浮気もタバコも酒もせず、まさに完璧。彼女が以前から言っていた「こういう人が理想」に完全に一致した人だった。

しかし、3年半で彼女の方から別れを切り出した。私はじめ他の友人たちはこのまま結婚すると思い込んでいたが故にかなり衝撃で、理由を聞かずにいられなかった。

そこで彼女が言った言葉が全てを物語っていると思った。

「確かに彼は完璧な理想の相手だった。喧嘩もしたことなかったし。でも、なぜか好きになれなかった。…心が動かなかったんだよね。」

Z世代の友人A

人は人を、性格が合うから、趣味が同じだから、完璧だから好きになるのではない。あくまでそれらはきっかけに過ぎず、時には欠点すら愛してしまう。あらゆる障害を超えた感情が、好きや愛であるとしたら。

なので、自分がどんなに「こういう人がいい」と描いていたとしても、必ずしもその相手に自分が惚れるわけでは無いという事実は冷静に捉えておいた方がいい。

理由②ノスタルジックでロマンチックが生まれない=テンプレ恋愛になる可能性

こちらも友人のうちの1人の証言。

「とにかく同じようなデートの繰り返し。アプリ上でお互いの好きな食べ物を聞いて、テキトーに飲み屋を予約して、店に入って、顔とか匂いがよっぽど嫌じゃなかったら2軒目に行って、いい感じに酔って、まあいいかなってなったらホテルに行く。次の日はなぜか満足感がなくて、どっちかって言うと虚無。」

Z世代の友人B

虚無…なんて恐ろしい言葉!男女の交わりを経て一番感じたくない感情の一つ…!!

ここで私が強調したいのは、効率と言う言葉はあくまでルーティーン作業に適用されるべき言葉であって、男女の関係には必要のないことなのでは?という意見だ。

マッチングアプリにはない、こんな出会い方を想像してみてほしい。

金曜日の夜の飲み会後。友人が「前から気になってたところがあるから付き合って」と一緒にふと入ったBAR。扉を開けた瞬間、視界の片隅、カウンター席奥に、なぜか煌めきを放つ人を捉える。でもまだ直視はできない。気にしていることを悟られないようにしなければ。
案内された席に腰を落ち着けて、メニューを見るふりをしながらふと、その人の方向を見た瞬間だった。火花を散らすかのように目が合った。心臓が飛び上がる。脈が上がっているのがわかる。向こうも自分を気になっているのか、その後も何度も目が合う。目線が合うたびに、どうしても期待せずにはいられない。友人の話が頭に入ってこない。ああ、脳内回路がショートしてきている。
1時間の決まり切らない目線のやり取りの末……(続く)

こんな出会いは物語の中だけだろうか?
そんなことはないと思う。上記のストーリーは、周りでも何人か経験者がいたし、私も何度かある。それくらい、ありふれているといえばありふれているはず。いわゆるこの後の展開は、ナンパだ。

結局よく思い出す恋愛って、性格が合わないのに出会い方がノスタルジック過ぎたり、エモいデートをしたり、合わない中から「それでもこの人なら嫌じゃないかも」ってなる瞬間だったり。

予測不可能だから好きになっちゃうのが醍醐味なのでは。

(主観過ぎる)理由③ありのままの自分を受け入れてくれる人を探す前に、色々準備不足なパターン、故に相手が一生見つからない

このパターンに当てはまる人がどれくらいいるかわからないが、どうせなので辛辣に、かつストレートに言いたいと思う。

  • 性格に明らかに難がある人(周りが引くレベルにわがまま、メンヘラ、傲慢、ケチ、暴力を振るう)

  • 身だしなみに気を遣っていない人(眉毛がボーボー、髪型に無頓着過ぎ、服装が1パターンもしくは時代遅れ)

  • 人を気遣えない自己本位な人(主語が常に「私は」「俺/僕は」だったり、人の話に興味がない人)

上記のような人たちがよく「自分を受け入れてくれる人がいない」と言っている印象がある。(※あくまで20代女の周辺地域という限定的調べです)

一言言わせてくれ。
…そんなの当たり前だ!!!!

なぜ自分は背が高くオシャレなイケメンや巨乳美女、かつ性格が大天使でなんでも受容してくれて否定しない、恋愛ゲーム内ですら絶滅危惧種と言える幻の種族を理想としながら、自分はそれに近づこうとしない?

すみません、最後はもはや私の愚痴です。あまりにも上記のような案件が周りに多かったので、ついイライラして言ってしまいました、すみません。

まとめ

※繰り返しますが、あくまで私の意見です。そして私はマッチングアプリを完全否定しているわけではなく、リアルもいいとこあるんじゃない?と小声で言ってみたいだけです。

マッチングアプリは一見効率的に一番合う相手と会えるように見えて、実は非効率的である説の理由は以下。

  • 自分が理想と思っている相手が見つかったとしても必ずしも好きになれるとは限らない

  • テンプレ恋愛は心に美しく積もらない。予測不能な出会いと、合わない部分がありながらも恋愛をすることが自己成長にも繋がり、いい思い出になる。

  • 理想の相手が溢れているように見えるが、結局自分に何か問題があれば打率は低い。まずは自分を魅力的にすべし。

渋谷とか新宿とかじゃなくて、ぜひちょっとニッチな飲み屋街の、とあるBARで、目線を交わすような週末を過ごしてほしいと勝手に思う今日この頃です。

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