どーでもいー哲学

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この世界は人間が整えた世界

地球を作ったのは人間ではないが、建物や乗り物、道路や道に落ちているゴミに至るまで、外を歩いて視界に入ってくるもののほとんどは我々人間が作ったものだ。 空を飛ぶ鳥や虫を除いて、今の時代ほとんどのものに人間の手が加えられている。木々や草花といった自然物も、街の景観をよくするためにと意図的に人間に植えられている場合が多い。 夜空の星の輝きも、夜に灯る街中の光によって薄められた。人間は大地だけでなく、空の景色をも変えたのだ。 私たちは素の状態の世界ではなく、人間が整えた世界に生

    • お金コレクターは必然的にお金持ちになるのか

      お金をたくさん持っている人はお金持ちと呼ばれる。 では、お金をたくさんコレクションしているお金コレクターも、お金持ちになるのだろうか。 お金持ちとお金コレクターには違いがありそうだ。 お金持ちがお金を持っている理由として考えられるのは、好きなことをするための資金集めや、ただ働くことが好きで、その結果としてお金が入ってくるなどといったことが挙げられるかもしれない。 それに対してお金コレクターは、古い紙幣や貨幣のデザインや歴史、物としての希少性など、お金という対象そのもの

      • 黒板を引っ掻く音を想像するだけで鳥肌が立つ

        黒板を爪で引っ掻く音を聞くのが苦手な人は多いと思うが、私は頭の中で黒板を引っ掻く音を想像するだけでも鳥肌が立ってしまう。 レモンを食べることを想像しただけで涎が出るという話もよくあるが、このようにイメージには現実の身体に影響を与える力がある。 悪夢を見て起きた時、実際の心臓もドキドキしていることがあるように、心臓にとっては夢も現実も同じなのだ。 そう考えると、イメージトレーニングはやはり有用なのかもしれない。 想像力さえあれば無料で生み出せるイメージを、心と身体のエネ

        • 人は靴を履かないと外を歩くことができない

          アスファルトの地面を裸足で歩くとゴツゴツしていたいので、皆んな怪我をしないように靴を履いている。 夏のアスファルトの地面を裸足で歩くと熱くて火傷してしまうので、皆んな怪我をしないように靴を履いている。 地球の地面は人間によって舗装されたが、自分たちで作ったはずの地面の上を、人間は裸足で歩くことができない。 怪我防止という身体的な制約もあるが、靴を履くという文化ができたからという概念上の制約も関係しているのだろう。 人間は自分たちの行動に、自ら身体的かつ概念的な制限を課

        この世界は人間が整えた世界

          感動の賞味期限

          すごく好きな曲をずっと聴いていると、だんだん最初の頃に感じていた高揚感が薄れていき、終いには喜びを感じられなくなってしまう。 映画もそうだ。最高の映画に出会っても、その映画を初めて観た時の驚きは、何度も何度も見返しているうちに薄れていく。 感動には賞味期限がある。 もし記憶を消せるなら、お気に入りの曲や映画の内容を全て忘れて、初めて触れた時の感覚を再び味わいたい。 しかし、記憶を消すことはできない。それが心動かされたものならなおさらだ。 素晴らしい作品に出会った時の

          感動の賞味期限

          うろ覚えの歌詞を頭の中で歌うときの、音にできない言葉の感じ

          好きな歌を思い返す時、うろ覚えの歌詞でも頭の中でなら歌うことができる。 歌詞がわからないと歌えないはずなのに、脳がテキトーに歌詞がある部分の雰囲気を補って、頭の中で繋げてくれる。 あの現実世界では決して発音することができない、頭の中でのみ聴けるうろ覚えの歌詞が好きだ。 絵を描くときもそうだ。 誰かの顔を思い出すことはできるが、その人の似顔絵を書けと言われると難しい。似顔絵を描き慣れている人ならできるのかもしれない。 頭の中に思い浮かんだ知り合いの顔は、うろ覚え部分の

          うろ覚えの歌詞を頭の中で歌うときの、音にできない言葉の感じ

          ゴミ袋にファブリーズをかけるという行為の違和感

          匂いが気になるものにファブリーズをかけることはよくある。 しかし、次の日に出す予定のゴミ袋に、ファブリーズをかけようとは思わない。 ファブリーズを使う人は、ファブリーズから出るミストが液体であることを無意識的に知っている。 だから、液体が染み込むことがないビニール袋にファブリーズをかけることに、違和感を感じる。 では、ビニール袋が液体を吸収する素材でできていたらどうだろう。 布でできたゴミ袋があれば、人はファブリーズをかけたくなってしまうのかもしれない。

          ゴミ袋にファブリーズをかけるという行為の違和感

          暑がりの人と寒がりの人は、体感気温が違う世界に住んでいる

          体感温度が違うということは、違う気温の世界に住んでいるということだ。 二人で一緒に温泉に浸かったとき、暑がりの人は熱湯に感じ、寒がりの人はちょうどいい湯加減に感じるかもしれない。二人は違う温度の温泉に浸かっているのだ。 世界には大きさや重さや温度など、様々な種類の尺度がある。しかし、それらの尺度に対する一人一人の感覚の基準値を調律することはできない。

          暑がりの人と寒がりの人は、体感気温が違う世界に住んでいる

          虫除けスプレーの匂いは、夏祭りの記憶を蘇らせる装置

          街を歩いていた時、どこかの家から虫除けスプレーの匂いが漂ってきた。そしてその瞬間、子供時代の夏祭りの思い出が急にフラッシュバックした。 虫除けスプレーの匂いが、夏の記憶を甦らせる装置として機能したのだ。 匂いは記憶と強く結びついているらしい。実際に嗅覚情報は、脳の中の記憶と感情を司る部位で処理されているようだ。 匂いを嗅いで思い出が蘇る現象には、プルースト効果という名前も付いている。 写真に匂いも印刷することができれば、より鮮明に思い出を保存することができるかもしれな

          虫除けスプレーの匂いは、夏祭りの記憶を蘇らせる装置

          ほんやくコンニャクの競合商品はコンニャクではない

          ほんやくコンニャクの競合商品はsiriやGoogle翻訳、通訳者であって、コンニャクではない。 どこでもドアの競合商品も、自動ドアやオートロックドアではなく、車や電車といった移動時間を短縮する手段だ。 敵は必ずしも自分と同じ形をしているわけではない。

          ほんやくコンニャクの競合商品はコンニャクではない

          鳩が知的生命体になるまでに、後何十万年くらいかかるのか

          人間が猿から進化したのなら、鳩だっていつか何かに進化するはずだ。 仮に鳩が知的生命体として地球上に君臨している世界線の未来がある場合、それは何十万年後の世界なのか。もしかしたら数百、数千万年のタイムスケールの話なのかもしれない。 全ての生物が知的生命体になるポテンシャルを秘めていると考えるとワクワクする。

          鳩が知的生命体になるまでに、後何十万年くらいかかるのか

          アニメの犬とか猫の声優、本物の犬とか猫じゃない

          アニメにでてくる犬や猫の鳴き声は、本物の犬や猫ではなく人間がアフレコしている場合が多い。 しかし、アニメで弾かれるピアノやギターの音は、本物の楽器の音が当てられている。電車や車の音も、本物の乗り物の音が使われている。 それなのになぜ、動物の鳴き声だけ人間があえて声を真似て当てているのだろうか。 本物の動物を声優として起用することはできないのか。その場合、猫の声優とか犬の声優が誕生するということになる。 そもそも、犬の声優って存在するのだろうか。ちなみに犬や猫のCMタレ

          アニメの犬とか猫の声優、本物の犬とか猫じゃない

          人間はいろんな音を出す楽器

          人間は身体から色んな音を出す。 口から声やあくびを出したり、鼻から鼻を噛む音を出すこともできる。 お腹が鳴る音や指を鳴らす音、拍手の音や足音など、意図的か無意識的かの違いはあれど、私たちは生活の中で常に何かしらの音を発している。 そんな人間の身体は、もはやピアノやバイオリンと同じ楽器といってもいいのではないだろうか。 そしてこの気づきの更に面白いポイントは、自分の身体から出るありとあらゆる音は、全て無料で聴けるということだ。 効果音素材サイトを見ると、あくびの音など

          人間はいろんな音を出す楽器

          水に愛着は湧かないのに、雪だるまには愛着が湧く

          水に愛着が湧くことってあるのだろうか。 ペットボトルの中の水やお風呂のお湯を、ぬいぐるみのように可愛がっている人は少ないはずだ。しかし、同じ水でも雪だるまに関してはどうだろう。 溶ける時に、少し寂しい気持ちになってしまうことがあるかもしれない。 何の変哲もない水でも、人の形を与えることで愛着が宿ってしまうことがある。そこには、自分で雪だるまを作るという「水と戯れる行為」も関係しているのかもしれない。 水たまりの中で跳ねて遊ぶ子供もいるかもしれないが、その場合はそこまで

          水に愛着は湧かないのに、雪だるまには愛着が湧く

          ゴミ箱はものの価値を下げる装置

          一度ゴミ箱の中に入れてしまったものを、再び外へ出すというのはちょっと気が引ける。 まだ使っていない1枚のティッシュをゴミ箱の中に一度入れてから出すと、もうそのティッシュは清潔なティッシュではなくなってしまう。 そう考えると、ゴミ箱はものの価値を意図的に下げることができる装置と言えるのかもしれない。 ここで扱う価値の変化は、あくまで衛生的な価値のみの話だ。だから、使い道と衛生状態が結びついているティッシュは、ゴミ箱に入れるとすぐに価値が下がってしまう。 しかし、使い道が

          ゴミ箱はものの価値を下げる装置

          今日見た夢のシナリオも、自分が考えたとは信じられない

          毎日見る夢のシナリオを自分の頭で考えていると思うと、とても不思議な感覚に陥る。 夢のシナリオや情景は夢を見ているときに、リアルタイムで生成されているのだろうか。 夢に出てくる人物の服装や街の建物など、全ての情景を自分が設計したと考えると、夢を見る人は皆デザイナーと言ってもいいのかもしれない。

          今日見た夢のシナリオも、自分が考えたとは信じられない