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秘花  瀬戸内寂聴 著 

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
秘花。風姿花伝、花鏡、などの芸論やあまたの、能作品を著した、能の大成者、世阿弥。いわれなき咎めにより、佐渡へ流されたのは、七十二歳の時。命の果てる八十過ぎまでの、歳月をどのようにして、逆境を受け止め老いと向き合い、謎の死を迎えたのか.世阿弥の波瀾万丈の生涯を、描いた物語。鬼夜叉、世阿弥の幼名、足利三代義満の時代、大和結﨑座の役者だった父は、観世三郎清次、芸名は観阿弥と名乗っていた。大和申楽四座[満井金春、坂戸金剛、外山宝生、結﨑観世]の仲間内で、演技、座の経営力、人心掌握の術で、座をまとめ、実質的に座の棟梁となっていた。早くから父の野心は京に向かっていた。美童と人は口を揃えて賞賛する、息子鬼夜叉を幼い頃内から、厳しい英才教育を施した。お前は生まれつきのの天才、神童、そなたの美童ぶりに高僧や貴賓の人から、買い手が殺到してきたが、安売りは出来ぬ、最高の客に最高の値をつけさせる。男色売春の習慣であります、将軍義満が、今熊野神社の演能を見物するとのこと、満を持す、最後の幕までみた将軍は親子を、近くに呼び寄せて、申楽は面白いまた見ることにしよう、[鬼夜叉を、室町まで共させる]将軍が贔屓と聞くだけで、庶民の顔が観世の申楽に向いた、二条良基准后様にも呼ばれた、当代随一の教養人、北朝最高の政治家、秘すれば花、二人に愛でられる、将軍からは色を、准后様からは才で、寵愛されていると、振る舞っていた。父の思惑通りに観世の能が京で人気を得る、羨望と嫉妬のため、悪口雑言も書かれた、只今の最高の権力者に寵愛されている誇りに酔えばいい、せめて移りやすい君寵の醒めるまで、と言い放ってくれたのは、将軍の愛妾高橋殿であった。二十二の時に、父が死に観世座を継ぐ、将軍の手活けの花であった、白拍子椿を妻に受ける。父の死後四年後に、心の頼りにしていた、二条良基准后様が亡くなった。作能に専念する、子に恵まれなかったので、弟の子を養子にしたところ、次々と二男一女生まれた。将軍義満は、皇位継承が、大覚寺統と持明院統に別れ、交互に皇位を嗣いでいたのをまとめる、南朝の後亀山天皇から、北朝の後小松天皇に神器が譲渡され、以後持明院統が皇位を継承。義満は北山第に金閣寺を建てる。後小松天皇の行幸を仰ぎ、天覧能を催した。この時天覧の栄に浴したのは、近江申楽の[犬王道阿弥]であり、観世は呼ばれることはなかった。貴賓や権力者の心は、移ろいやすく気まぐれです.あれだけの寵愛はもう過去のこと。将軍義満が急逝、次の義持将軍は田楽が好み。次第に凋落していった。養子にした甥元重が去り、新座を立てる、長子元雅が旅先で、不慮の死を遂げ、次子元能は出家をとげ、娘は金春禅竹に嫁す、将軍は義教が嗣、彼は恐ろしく癇癪持ち、気分次第で人の首をはねたりするという、そして佐渡へ配流、どのようにして、迫りくる老いと向かい合い、そして謎の死に向かっていったのか、観世世阿弥の波瀾の生涯を描いた。作者は世阿弥が作った、多くの能を見たにちがいない、そして世阿弥の心のなかを、探り覗き想像して、書いたに違いないと思います。[命には、終わりあり][能には、果てあるべからず]観世世阿弥の芸論[風姿花伝、花鏡]芸道に関わる方、今にしても通用します、一読されたし。



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