見出し画像

私が本を好きな理由。

これを読んでくださっている皆さん、こんにちは。
びすです。

久しぶりの投稿になってしまいました。
上の写真は、伊豆は下田、白浜の海です。
地元の海とは違ってゴミも少なく、本当に浜が白くてとても綺麗でした。

さて、9月になりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今年はコロナの影響もあって、夏らしいことをあまりできなかったという方も、多いのではないでしょうか。
私もそうです。
学生最後の夏休みなのに、あまり夏っぽさを感じられず、感じられるのは異常な暑さのみでした。

秋といえば、食欲の秋、スポーツの秋、いろいろあると思いますが、今回は私の好きな『読書の秋』にちなんで、「なぜ、私が本を好きなのか」「なぜ、本を読むのか」ということについて、タラタラと語っていこうかなと思います。

それではいってみましょう!

私は小さい頃から、本に囲まれて生きてきました。
寝る前は必ず、母親に絵本を読み聞かせてもらっていたし、小学生になっても、休み時間や学童の時間は、よく図書室に引きこもって、文庫を読んでいました。
中学生になってからは、小学生ほどではありませんが、朝読書の時間があったので、まあまあの量の小説は読んだと思います。
高校生になると、一気に本を読む回数が減りました。
部活や勉強が忙しかったこともあるし、単純に、
「読書をしている=地味」みたいなイメージを持たれるのを、避けていたような気もします。
ただ、国語の時間に毎月、指定された作家の本を読み、感想を提出することがマストだったので、仕方なく昔の小難しい本を購入して、半ば強制的に頭に活字を送り込んでいました。飛ばし飛ばし読んだものも多かったと思います。
大学生になっても、相変わらず勉強や遊びに明け暮れて、本は全く読んでいませんでした。
ただ英語の文学を専攻していたのもあって、洋書を原文のまま読むことは、とても多かったです。
そこで私は、海外文学の魅力に目覚めました。

と、いうふうに、私の読書遍歴は典型的で、
似たような経験を持つ方は多いのではないでしょうか。

しかし就活が終わって、時間に余裕ができてから、
私は再び、読書にめり込むようになりました。

最初は、就活前に一度読み、就活中は病むから絶対読まないと決めていた、朝井リョウの『何者』を読み返し、やはりそれが面白く、その続きの『何様』を読み、心を刺されました。
本当に就活中読まなくてよかったなと思います。
そこから私は、就活を題材にした小説を読み漁りました。
就活も時代によって描かれ方が違うので、読んでいていろいろな視点を味わうことができます。

それが一通り終わってからは、大きめの本屋に行き、表紙や題名、あらすじで気になった本を買い占め、読み終わっては買い足し、の連続です。
これはポリシーとして決めているのですが、私はあえて新刊や、下段でプッシュされている本は買いません。
戸棚の一部に埋もれている、題名のインパクト、表紙の美しさ、あらすじの面白そうな本を自分で見つけ出すのが好きです。
読書の前段階として、ここが楽しいところでもあります。
読む本を見つけることは、宝探しです。
自分で発掘した本が、その時の自分の感情にドンピシャだった時の嬉しさたるや、何にも変えられません。

また、私は速読とまではいきませんが、読むスピードがかなり速く、家で全て読むとすぐに読み終わってしまうため、読書をするのは、電車の中と、喫茶店のみと決めています。
読書は本当に楽しいですが、お金が少しだけかかる趣味かもしれませんね。

話が膨れてしまいましたが、冒頭でいったように
「なぜ、私が本を好きなのか」
この理由を、最近頭の中でしっかり考えてみました。
そしてでた結論が、

『本は、自分では言葉にできない感情や思考を、代弁してくれるから』

だということに気がつきました。
私は本が好きといっても、好きなのは小説や文学作品のみで、自己啓発本やビジネス本はあまり読みません。
読書の楽しみの一つは、結末のその先を自分で予想することにもあります。
模範解答や解答例がでていては、私にとっては面白味がかけます。

『この部屋で君と』という、様々な作家の短編を集めた小説を読んでいるときに、
「うわあ、この感情って、こうやって現すのかあ!」
「あー、こういうときって、あるよなあ!」
とびっくりしたことがあります。
(その中にある、吉川トリコさんの「冷やし中華にマヨネーズ」は特におすすめです)
自分ではうまくいえないけど、本はそのもどかしい感情を、とても上手に言葉で現してくれる。
悲しいとき、嬉しいとき、イライラしているとき、どうしようもないとき、
70億人のそれぞれの感情に寄り添う一冊が、この世のどこかには絶対存在します。
無限にある作品の中で、そんな作品と巡り合えることはもう奇跡だし、そういう作品に救われます。

これは、「なぜ本を読むのか」ということにも繋がってくると思います。

極端なことを言ってしまえば、読書なんてせずとも、生きていくことはできます。
そして、多くの人は大人になって、仕事を始めて、忙しくなるにつれ、読書が好きでもその時間がとれなくなり、本を読む機会が減ると思います。
またこの現代です。
電車を見渡せば、スマホをいじる手が大半。
満員電車の中での読書は、確かにきついものがありますね。

それでもなぜ、本を読むのか。

それは、一度世にでたその作品は、永遠に変わらないから、だと私は最近思います。

あなたの感情や考え方、価値観は、成長と共にどんどん変わります。
そしてある時ふと、またそれが戻ってきます。
それはあなたが失恋した時かもしれないし、
受験に失敗した時かもしれないし、
結婚した時かもしれないし、
家族を持った時かもしれないし、
大切な人を失った時かもしれない。
そんなときに、昔読んだ本をふと思い出して読んでみたり、
いつもは全然寄らない本屋でたまたま取った本を読んでみたり、
そしてこれらの本に救われたり。
この世に生み出された作品は永遠です。
永遠だからこそ、自分が読むタイミングや時によってあなたを救ったり、傷つけたりします。
小さい頃1ミリも理解できなかった小説も、大人になって、その『ふとしたとき』に読み返せば、心に響く一冊に変わるかもしれない。
普段なら絶対買わないような作品でも『ふとしたとき』に買って読めば、人生の一冊になるかもしれない。

本にはそんな力があると、私は信じることにしています。

最近は様々な黒人差別に関する問題が、日本でも取り上げられるようになってきました。
ここで一冊、私がお勧めしたい作品が、
ウィリアム・フォークナーの『フォークナー短編集』というものです。
フォークナーは私の大好きな作家であり、南部アメリカの因習、とくに黒人差別を題材とした作品が多く、この短編集にも収録されています。
短編なので、代表作の『アブサロム、アブサロム』『響きと怒り』に比べたらかなり読みやすいかと思います。
ネットの情報や、マスメディアに踊らされるのではなく、ぜひご自身の目で、当時のリアルな南部アメリカを描いた作品を、読んでみてはいかがでしょうか。

長くなってしまいました。
そしてまとまらない文章ですみません。
ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。
良ければまた、覗きに来てください。

#大学生 #エッセイ #読書 #本 #フォークナー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?