断捨離③ 写真やアルバムの整理に着手した!

断捨離について書いてきた。お引越しまであと2か月を切った切実な課題。本、お洋服、食器などは、躊躇なく「いるもの」「いらないもの」に分けられる。
スピード感もある(笑)。

でもこんな私でも躊躇するものもあって、その一つがアルバムや写真なの。みんなはどうしてる?

捨てるに捨てられず、引っ越しごとに段ボール何箱にもなった量のアルバムを、その度ごとに旧居から新居へ運ぶことを繰り返してきた。今回もそのまま箱ごとお引越しするということも選択肢の一つだったけど。。。

後生大事にしまい込んでるアルバムを時々開いて見直すか、といったら、私はそういうタイプではない。アルバムは何年も開いてないから、フィルムが微妙にひっついてて「べりべり」という軽音をたてながらページを開けることもある。本当に古いものはちょっとかび臭い。

こんなふうに押入れの段ボールにしまいこんでるアルバムってこれから活躍の場が見出せるのかな、そしてその後始末はどうするの?このまま娘に引き継がせる?彼女はそれをありがたいと思うだろうか?と自問自答したときに、これは私がある程度整理しなくちゃいけないな、と思い「この際、写真・アルバム類も断捨離しよう!」となったの。

重複しているものを除き、写真をほとんどデジタル化することにした。
その手順は:

①1枚ずつ写メにとり
②それぞれの写真をコンピュータ上でフォルダー化して時系列・テーマがわかるように整理
③外付け用の保存ディスクにもバックアップ保存
④その後、ネガも写真も、本当に残したいもの以外は燃えるゴミに(あ~、ごめんなさい、と毎回思いながら)

こんなに人物や経験、景色を「写真」という媒体で保存する・記憶させてきたのは、私たちの世代が初めてなんじゃないかな。

それ以前は、写真はある程度贅沢品であったはず。オシャレして写真館に行って年1度くらい家族写真をとる、というのが普通だったんじゃない?私たちの上の世代は。

現代のわたしたちは、そんな思い出を自分ででも整理できないくらいため込んでしまっているんじゃないかな、と思うんだ。これも「もの」にあふれた時代の産物だよね。

そして今の若い世代はすでにデジタル写真で育ってるから、それほど写真やアルバムを持ってない。ある意味私たち世代特有の楽しみ方でもあり、課題でもあるのかもしれないね。

今回、写真の断捨離をするときに、たくさんの写真をしっかりもう一度見てみた、見返してみた。すごく懐かしいし、忘れていたことや普段あまり思い出せない人の姿とかもでてきた。みんなと一緒にとった若いころの写真もでてきた。眩しく自分達も照れるくらい若かったよね笑。

昨年亡くなった父の写真ももちろんたくさん出てきた。亡くなった後こんなに急に写真やアルバムを処分するのは、「薄情なんじゃないか」って後ろめたさもあった。アルバムを大事にすることが、「家族への思いの強さ」「やさしさ」の象徴なんじゃないかって。けど、いろいろ父の写真を見返していくうちに、父の人生を集約できるんじゃないか、っていうまさに魔法の2枚の写真がみつかったの。

これは去年の暮だから、なくなる7か月前、88歳。孫と回転ずしに行ったとき。この頃はもうかなり認知症が進んでいて、トイレとお風呂の区別がつかなくなってた。トイレに手を入れて「変だ、今日はお風呂が温かくならない」と言ったり。

でもできることもあった。不思議に家族麻雀はできて、なんの問題もなく参加してた。本当になんの問題もなく。脳って不思議だね。そしてこの笑顔。いつものように朗らかで明るかった笑顔、これは昔のまんま。

そして断捨離をしてる中で見つけた2枚目。これは多分結婚前の若いときの写真、25歳くらいかな。この写真でも満面の笑顔なんだよね。

この25歳の時から、88歳までの2枚の写真の間の時間と空間。父は特別裕福でも名誉ある地位にもつかなかった普通の人生を送った。この2枚の写真にはさまれた時間にかれの人生が凝縮されていた。中には楽しいこともつらいことも楽しいことも夢もたくさんあったと思う。

いろいろあったと思うけど、多分、父はこんな表情をしてることが多かったんじゃないか、と思う。この2枚が彼の人生を集約している気がする。

屈託なく穏やかで朗らか。たくさんの写真は、デジタル式で保存した。そしてこの2枚は私の脳内の記憶に深く刻み込もう。万一、他の写真がなくても、この2枚が端的に彼の人柄を、そして人生を表わしている。それをわたしの記憶に改めて刻むこと、これで充分!

大量の写真を段ボール箱の中に保存し続けて「思い出を大切にする」やり方もよし。でも私は断捨離で写真をしっかり見返すことで、私自身の記憶の中に「その人のイメージを上手に要約する」ことが大事なんじゃないか、と気づいた。記憶は決して写真やアルバム、あるいはコンピュータに保存してある写真の数という量に比例せず、私たちの記憶にしっかり根付かせることが大切なんじゃないかって。

断捨離の書き込みシリーズ3回目だけど、毎回思う。断捨離って「有形のもの」を捨てたり整理したりすることで、必ず「得られる」ことがある。そして得られることは、「無形でとっても貴重なこと」が多い。

だから、私にとって「断捨離」は単に捨てるプロセスではなく、得ることがたくさんある「断捨離+得」(だんしゃり+え)。「流行語大賞」になるかも笑?


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