退職後の「暇と退屈」を考える③

おはよう。けいこです。日本は南海トラフ注意情報が出されて5日ほどが経つけど、どういう雰囲気なんだろうか。ネットでも情報は即時に入るけど、海外にいるとやはり「社会全体がどういう雰囲気なんだろう」というざくっとした、かつ感覚的なものが掴めにくい。大事に至りませんように、と願うばかりだ。

親戚や家族に聞く限りは、特別なことはしていないみたい。家族間の連絡の仕方を確認したり、水や食料の備蓄を整えた以外は、普段の生活を送っている、という人が多いようだ。そうだよね、まさか避難所に1週間泊まるわけでもないから、いつも通りの生活を送るしかないよね。とにかく平穏な日々が続きますように。

かくいうNZも地震国。日本は歴史が長いから「安政の大地震」などという記録が残っている。だから100年ごとに大きな地震が起こる、とパターンがわかる。でもNZは150年以上前は原住民のマオリ族が住んでいたのでそもそもそんな記録なんてない。日本は地震についても研究が進んでいるから予知しようという動きがあるのかも。何処にいても、日々の生活を落ち着いて送ることが肝要だということを思い知る。

さて前置きが長くなったけど、また「時間」についてのトピックの続き。

前述の本にある別の概念で面白いな、と思ったのが、「環世界」。言われてみれば当たり前なんだけど、私たちはそれぞれのいる場所で「世界」を構築しその中で生きているということ。

本には、ダニの例が挙げられていて、ダニが生きている「世界」と私たちが生きている「世界」はとても違う、と書かれている。ダニは別に「人間が来るぞ〜」とか「牛がいるからそこに行って血を吸おう」と「哺乳類」という概念を持っているわけではない。ダニにとっては「酪酸」のニオイが自分を動かす要因になっていて、たまたま酪酸を発するのが哺乳類、ということだ。

同じ人間でも昼間会社にいる時に生きている「世界」と夜自宅に帰ってから生きる「世界」では、目にするもの・聞くこと・果たす役割・動きなどが全く異なる。

これをこちらに移住してからすごく感じている。色んな意味で感じるんだけど、「時間の流れ」という観点からも日本にいる時とは全く違う。よく「NZは時間がゆっくり流れている」という表現をあちこちで聞くんだけど、そういう単純なものでもない。時間がゆっくり流れているのか、と言われれば確かにそういう時もある。でも同時に時間が「あっという間に」終わってしまう場合もある。要は日本の時と時間の流れが根本的に異なる、というふうにしか言いようがない。

まず、睡眠時間。日本にいるときは朝6時前に目が覚めることが普通だった。5時台とかひどい時は、4時台。朝7時まで寝てたとしたら家族から「今日は調子が悪いの?」と言われるくらい。朝寝坊する=体調が悪い。それ以外は朝、寝床にいられなかった。そういう生活が30年以上続いていたから、自分でも周りでも「睡眠時間がそれほどいらない人」と思っていた。

が、しかし!こちらに来て私は「朝寝坊」ができるんだ!と発見した。確かに早く目覚める時もあるけど、8時過ぎに起きることもある。これは私にとって「革命的」だ!ゆっくり睡眠時間を確保できるという幸せをかみしめる。同時に、8時まで寝てるということは5時に起きていれば3時間の時間を何かしらに使えるということだから、それがもったいない、とセコセコした自分もいる。こちらについた当初はこの幸せを噛み締め、起きたいと思う時間に起きていた(冬だというのもあるしね)。でも最近は朝の時間もちょっともったいないな、と思うので早く起きる日も増えてきた。これから春〜夏になり日の出の時間もどんどん早くなるからまたルーチーンは変わっていくのだろうけど。

要は、日本にいるときは次の日の仕事が絶えず頭の中にあって、絶えずどっかが緊張してた、ってことだということに気づいた。「明日の1時間目の授業の前にこれやって・これやって」とか「あの学生にこの件で連絡するのを忘れないように」などなど雑多なことが常に頭の中を巡ってた。必ずしも日本とNZとの違いではなく、現役で働いていたか・退職したか、が大きい理由かもしれない。

次に家周りの仕事。日本は神戸の小さい賃貸の一軒家に住んでいた。夫と二人暮らしで二人とも仕事で日中は留守。それほど汚れないから掃除もほどほどでよかった。食事も夜は一緒な日が多いけど、それでも週の1〜2回はどちらかが外食して帰ってくるということも少なくなかった。お昼は完全に別々。週末に家事をすると言っても、7時から始めれば9時までには、掃除洗濯は終了。あとは「暇」と「退屈」になる(仕事がなければ)。「家」は休息をとる・のんびりするところだったから、家にいると時間がゆっくり流れた。それを埋めるためにあちこち出かけてた。

関西は京都・奈良が近いから週末は本当に色んなところを散策した。日本の歴史は素晴らしく奥深い。一生かけても周りきれないほどの文化遺産があちこちにある。1年かけて琵琶湖周辺を何回もに分けて歩く、という友人のお誘いに乗っかって琵琶湖周辺の素晴らしい景色も堪能した。こういう散策はほぼ日帰りだけどまるまる1日かかる。

ではNZは、というとまず犬がいるから家がすごく汚れる。散歩に連れていかなきゃ行かない時間もかなり必要。娘とも同居なので色々おしゃべりしたりする時間も増えた。NZは外食が高いし、お惣菜なども売っていないので99%家でお料理して食べる。友人(数はそれほど多いわけじゃないけど)とお互いの家に行き来して食事をすることも多いので(10日に1回くらいの頻度かな?日本は友人と会う場合はほぼレストランだった)そういう日は午後はそれの準備に費やす。庭仕事もするようになった。要するに「家」ですること・しなくてはいけないことが格段に増えた。だから家はのんびりする場所でもあり、働く場所にもなったから、時間の流れが緩やかな場合もあるし、すごく早く過ぎてしまう場合もある。

こちらで出かける、車で30分もかければ美しいビーチがあるので、そこを散歩して帰ってくる、というのがウチの「外出」。2〜3時間で終了し家に帰ってくる。

こういうように場所や立場が変わると色んな変化が起きるけど、それは一つの要因だけではなく、私たちを取り巻く世界、すなわち「環世界」が変わるってことだ。退職するということは、一つの世界から、別の世界に足を踏み込むということ、と言い換えることができる、ということに改めて気づいた。

みや、私は温かい寝床でぐずぐずしてるそういう生活をしてるよ。だからある意味のんびりすることを手に入れたし、それが罪悪感なしにできるように自分でそのバランスを見つけてるとこ。だから安心して!笑

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