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自己分析はしてもいいけど他者の分析しちゃだめでしょう、というもやもや🌨️


この記事の最後に、飲み会の愚痴のようなものを書いてしまった。「おもしろくないなと思った」と。

これ、その後もなんだかもやもやして、、

もやもやを分析すると

他人のことを全てわかったような気になって勝手に評論家みたいに評価し合う空気と、それがお酒のつまみとして美味しい話になっている空気感が、すごくださいなと思った。


なんだろうなあ、自己分析はみんなしたらいいと思うし大切だと思うけれど、その作業を他人に向けて勝手にやるのよくないと思うの…!

自分自身のことは自分で分析してよく知って良いと思うけれど、他人のことを勝手に知った気になって分析するの失礼ではないか。

「あの人は〇〇なところがあるよね」
「ねえ、mbti何?あーー確かにそういうところあるわ〜」

みたいなの、あんまり気分良くないよね…勝手に評価して何になるんだ…

しかも、その分析結果を好きとか嫌いとか、自分の感情と合わせて判定結果を出すところも失礼だなぁと思った。あなたの判定はどうでもいいよ!!

そのときの飲み会で自分もそういうことやっちゃうから、ださかったなあ〜と、もやもやしているわけです。ショックだ。


🌨️🌨️🌨️

少し話は変わって

わたしいつも思うんだけど、「付き合う人を選べ」「人付き合いも断捨離が大事」みたいなの言うじゃないですか。あれがよくわからない。

確かに、何か嫌なことをされたらその人のことはとことん嫌いになるし、絶対もうなにも優しいことしてあげないし、「わたしあの人嫌い」って言っちゃうけど笑、何もされなければ別に好きも嫌いもないし、選ぶ権利とかなくないですか…

確かに「自分にとって相性のいい人」「どんな人と一緒にいたいか」を自己分析のうえで把握しておくことは大切だと思うけれど、それは把握にとどめておくだけでよくて、もし、「この中から1人選ばないといけない」という窮地に立たされた時に発揮すればよくて

なのに、自分の分析の結果をもって、「そこに当てはまらない人は嫌い」「選別しよ」ってなるの、どうしてなんだ…

なんかそういう人って結構いませんか。
まずその人を受け入れること、関わろうとすること、そのタイミングを無視しちゃだめでしょ!!だからうまくいかないんだって!!!!と横から言いたくなる。(お節介)


勝手に他人を分析して、好きとか嫌いとか上から目線になっているようでは、周りから人が去っていっちゃうよ、誰も本当の友達にはなってくれませんよ、誰とも付き合えませんよと思うの。傲慢すぎ。

🌨️🌨️🌨️


ここまでnoteを書いたあと、いや、1人でもやもやしていても意味ないし、こんな時は仲の良い友達に頼るのが1番!と思ってnoteを下書きにしまった。

で、その飲み会に参加していて、めっちゃ仲良しな子に、「この間の飲み会、もやもやしたんだよね」と話してみた。

そうしたら、わかるわかる〜と話が盛り上がって「たまにはこういう愚痴もいいね!」とたくさん毒を吐き、「まっ適当にいきましょ」とさくっとその話題は終わり、あ〜すっきり、そのあとはまた息ができなくなるくらい笑ってました。友達よありがとう。

本日の学び

自己分析はしてもいいけど他者の分析はしない!!🔥

ということで公開します。

今日もお疲れ様でした♩
(夏休み、まだ続いています)

よろしければ…