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地方塾なし国公立大出身

今日は、超ド偏見書きなぐりなので気を付けて(無責任)
申し訳なさ過ぎて、本と論文の紹介は入れておいた。笑
明日有料にして鍵を付けます。



地方の、勉強ができる人の、王道キラキラコースといえば、高校まで公立で、1度は学級委員や生徒会長、体育祭の応援団長を経験し、小中高と同じ部活を続けて、予備校には通わず(予備校に行かない、行けないというところが味噌です)、私大は親と学校が許してくれないため県内か同じ地方の国立大の教育学部を受験し見事に合格し(教育学部というところが味噌です)、地元で教員になり、先生同士(先生同士というところが味噌です)で社会人2年目(2年目というところが味噌です)で結婚し、一軒家を実家の近くに建てる。

だよね。

…ということを、仕事の打合せで話していた。
メンバーがたまたま地方出身者ばかりだったので、わかるわかる~ってなって楽しかった

※ここでいう地方は、「地方都市」ではなくて、ほんっっとうに地方ね。例え同じ県内の大学だったとしても、一人暮らしがマストな地域の。


地方だと、先生の指導や発言の、生徒に与える影響力が随分と大きい。だって学校以外に文化的な要素を摂取する場所がないから。先生が、学校が全てなのよ。

ということは、勉強ができるということは、つまり学校生活が成功しているということで、それはつまり高く先生に評価されているということで、先生に高く評価されるということは、先生への憧れが生まれるということで

そんなわけで、国立大の教育学部に進むわけです。

(都市部だと、学校は真面目に行ってないけど外部の文化的要素の摂取で勉強はできたとか、先生からは嫌われていたけれど予備校で何とかしたとか、勉強は置いておいて、起業したから推薦で大学入ったとかそんなルートがあるのだろうけれど、地方だと、「学校の中」で成功しないと、その後が割と厳しいと思う)


ここまで、ド偏見しか書いていないので、ちゃんとした本の紹介でもしておこう。この2冊面白い。

学歴社会のローカル・トラック
地方(島根県に焦点を当てて)の高校生の進路選択についての本。解像度が高すぎて(そりゃあ論文なのでそうか)とても面白い~
教育と社会階層



職場が職場なので、どの大学の出身かとか、もっと遡って、どこの中学、高校出身かとか、自分の学校歴の話をよくする。

ところで、「学歴」というと、「高い」「低い」という言葉がセットで思い浮かんでなんだかネガティブなニュアンスを含むけれど、「学校歴」というと、ただどの学校に通ったか、それだけを純粋に指すような感じがするよね。

職場でそういう話をする時、「学校歴」という響きがふさわしい。相手のスペックを探りたいとかそんな嫌味な動機はなく、純粋に、仕事の一環としての会話ということで、ペラペラと学校歴を話す。どういう校風で、どんなことが勉強できて、どんな先生がいて、どんな風に進路を選択してきたのか、的な。

全国の学校を訪問している人たちなので、出身地や学校名を聞けば、たいていその土地の特色とか、校風とか、偏差値くらいはピンとくる。わたしはまだまだですが

それで冒頭に戻るけれど、「地方の公立高校から塾なし国公立大出身」(そして一人暮らし)という学校歴は、本当にあるあるだよね、という話になった。


で、ここからまたド偏見書きなぐりなのですが

わたしは、自分自身が私大に進んだけれど

いざ進学してみたら国立が正義だったのは地方特有らしいことが分かったので「地方の国公立大学進学至上主義の実証研究」というテーマでデータ分析し、論文を書いたけれど
(身バレする)

だけど

地方の公立高校から塾なし国公立大出身という学校歴は、とても好み。笑

なんかこう、甘えずに愚直な努力ができて、生き方がずるくない、というところがすごく好感もてる。笑

…と思う裏には、

東京って、どうしてこんなに、何も自分で決められない赤ちゃんばっかりなの?親の言うこといつまでも聞きすぎじゃない??努力も挫折もしたことないの??てか自分が勝ち抜くためだけに生きてない??価値観かたすぎない??想像力も思考力もなさすぎない??

などなど、とにかく、甘えた人間多いなあ、って思う日々があるわけです。

おお、とんでもなく気の強い文章を書いてしまった。
そして偏見しか書いていないし、全然違う方向に話が着地してしまった。

何の話がしたかったんだっけな。

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