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自分をみつめる

貴重な時間を使って私のnoteを開いてくださり、ありがとうございます。

1つ前の記事で、災害ボランティアに関する研究をしている方からインタビューを受ける話を書きましたが、無事にインタビューが終了しました。「自分の経験が誰かの役に立てば」という気持ちで参加させていただきましたが、これが私にとって非常に有益な時間だったので記事にしたいと思います。

まっとうな人間

90分のインタビューもそろそろ終盤に差し掛かったころ、インタビュアーの方に「真っ当な人間という印象をもちました」という言葉をいただきました。私自身は自分のことを「真っ当な人間」だとは認識してないので、びっくりして思わず笑ってしまいました。アンガーマネジメントの記事でも書きましたが、私は非常に短気で、感情の振れ幅が大きい人間だと思っています。

そんな感情シーソー人間の私も、家族以外の人と接する時は猫を何重にも被っているのですが、今日のインタビューでは自分の過去から今の生活・仕事のことまでかなり深掘りして話したので、そんななかで「真っ当」と言われたことが何だかくすぐったく、嬉しい気持ちでした。

メタ認知

「真っ当な人間」という言葉以外にも、今日のインタビューのなかで言われたのは「メタ認知・客観視が出来る人ですね」です。
私は外見も内面もコンプレックスの塊です。(この話はまた機会があったらしようと思います)自分に自信のない人間が何をするかといえば「ひとり反省会」です。「あの時こうしたらよかった」「あの場面でもっと〜していれば〜だったかもしれない」などと、過ぎたことをくよくよと悩むことがよくあります。最近は情緒が安定してきたのか減少傾向にありますが、それでも何年も前のことをふと思い出して反省会に発展することがよくあります。家族からは「色々考えて生き過ぎ」といわれています。
ここまで、まるで「ひとり反省会」がネガティブなことのように書きましたが、私はもともと自分のことを振り返るのが好きです。大学に入学してから毎日日記をつけ、1日を振り返ったり消化しきれなかった感情を吐き出す場として使ったりしていました。仕事が忙しくなり、時間が取れなかったことを理由に日記を書くことをやめていた時期があったのですが、感情をうまく整理できなくなったような気がして、日記を書く習慣を復活させました。10年ほど日記をつけていることになりますね。
そんな私の性質に加えて、大学からの友人に同じような性質をもった人がいて、学生時代は毎日のように飽きもせず、2人で自己分析のような話ばかりしていました。
自分の性質と、周囲に同じような人間がいたことが相まって、「自分を客観的にみる」ということが習慣になっているのだと思います。今日のインタビューを通して、改めて自分について考えてみると、私にとって「自分を客観視する」というのは洗濯をするとか、使ったお皿を洗うといった日常のなかの動作のひとつになっているのではないかという気がしてきました。もちろん気力・体力が尽きてしまって日記を書かずに寝てしまう日もありますが、基本的には私にとって日記を書く=1日を客観視して振り返る時間というのは楽しい時間・必要な時間です。

自分から見る自分と、他人から見る自分

今日のインタビューで思ってもみなかった言葉をかけられたのも嬉しかったのですが、先日も別の方に仕事ぶりを褒めていただく機会がありました。私は昨年度から2年に渡ってある責任者を任されているのですが、その仕事について「成果が得られたのはあなたの手腕と人柄」だと言っていただけたのです。未経験のことをしなければならず、かなり大きなプレッシャーを感じつつ取り組んでいた仕事だったので、そんな言葉を掛けていただいて非常に嬉しかったです。
ここ最近嬉しい言葉をかけていただくことが続いて、自分が思っている自分と、他の人から見えている自分はちょっと違うかもしれないということに気づいたとともに、「もうすこし自分の良いところも認めよう」という気持ちになりました。

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