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父の写真

三日坊主を華麗にキメて戻ってまいりました、毎日書く部。
だって世間はGW。イェーめっちゃホリデイ。
イェー…つっても我が家は夫仕事により遠出はせず、私と子供で自宅から1時間の実家に行っただけ…ホリデイ。

私にとって実家は生ぬるいお風呂、みたいな場所。入ったら体がほぐれて、ボーっとして、汗もでない温度で心地よく、いつまでも浸かってしまう、出るとちょっと寒いから出たくない、そんな感じ。
ぬるま湯なんてなんぼ入っててもいいですからね、子供が休みになるたびに実家に行っている。

数年前に父が亡くなって今は母がひとりだけれど、スープの冷めない距離に弟夫婦が住んでいる。
今回の実家滞在中に弟夫婦も来て賑やかに夕食をとった後、私は学生時代の卒業アルバムを探すことにした。先日友人が我が家に来た際に、卒アルないの?と聞かれて(家飲みをするとなぜか卒アルを見たがるのなに)、実家に置いてあると言ったら、みんなに卒アルは手元に置いておけ、と言われた。酒のつまみに塩辛買っとけよみたいなテンションで言わないでほしい。
私は長く海外に暮らしていたので実家から持ち出した荷物は最低限のものしかなかったのだけど、確かにそろそろ実家から持ってきてもいいかもな、と。

子供達に卒業アルバムの私の姿で散々爆笑されたりなどして盛り上がったところで、母が父の昔の写真を出してきた。
昔の写真て、なぜなんだろう、サイズがめちゃめちゃ小さいものが多い。
最近写真を見ているとついスマホでやる要領で写真の表面を指で拡げようと(ピンチアウト)してしまう時があるけど、こんなに小さくて解像度の低い写真はもはやそんな間違いすら起こらない。
写真に映る若い頃の父、母が「この写真なんかインドネシアの人みたい」などと色黒で眼光鋭い目線をこちらに送る父の写真にコメントすれば、息子は父の写真の一枚をカシャっとスマホで写して、すぐさま落書きツールでその写真の目の下に黒い線を挿れて「これなんかこうしたらもうヌートバーじゃん!」などと好き勝手に盛り上がる。
父はイケメンだったので、私は子供心にうっすらそのことが誇らしかったことを思い出した。自他共に認める根っからのイケメン好きに育ってしまったのは父のせいなのだ。
アルバムではなく小さな箱に収納された、サイズも違えば撮られた時期も様々な父の写真の中で、私は寝ている父が写った写真が気に入った。
恐らく父の友人が撮ったであろうその写真。
なぜ人は友人の寝顔をつい写真に収めてしまうのか。
この写真を撮った人のいたずら心とか、父にも心許せる友との楽しい時間があったのだな、とかいろんなことが思い浮かんで、とても気になった1枚。

子供が父の写真の何枚か(もちろんヌートバー似のやつも)を家に持って帰りたがり、母もいいよと言っていたけど、私はばぁばが元気なうちはばぁばの近くに置いておいた方がいいよと言って、写真を箱に戻した。
こうすればまた実家に行った時に子供がこの箱を取り出してくるだろう。
そしてまた父の思い出話をみんなで始めるだろうから。
その様子を父もきっと嬉しそうにどこかから見ていてくれるはず。
また近いうちにぬるま湯に浸かりに行きます。

(私の卒アルは結局重くて持って帰りませんでした)


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