女性誌「JJ」が、本年12月23日発行の2021年2月号をもって月刊誌としての発行を終了し不定期刊行になると、光文社はHPで発表しました。この事実上の休刊理由は、「ターゲットとなる20代を取り巻く環境、ライフスタイルが大きく様変わりした」からだそうです。
先週の首都圏の終電の繰上げニュースに引き続き、この発表もまたひとつの時代が終わったと、私には感慨深いものがありました。
1975年に創刊され、1978年に月刊化されたJJは、女子大生のバイブルと評されていましたが、1978年に大学に入学した私の世代は、まさしくJJのターゲット世代そのものでした。私の大学四年間は、 JJの提唱するニュートラやハマトラのファッションをしていない子を探す方が難しいほどでした。
裕福な家庭の子女は、本当に雑誌から抜け出てきたように全身ブランド品を身にまとっていましたが、大抵の女子学生はバッグだけ、靴だけ一点か二点をブランド品にしていました。私などアルバイトでなんとかしのいでいた女子学生は、何万円もするバッグや靴にはとても手が出なかったので、その辺のお店で売っている「なんちゃってニュートラ」で通学していました。
あの時代に想いを馳せていたら、無性に『なんとなく、クリスタル』を読み返してみたくなって、ネット書店で取り寄せてみました。敢えてkindleではなくて文庫本で読み返したのは、少しでもあの時代の空気を味わいたいと思ったからでした。しかし、文庫本にはかつての単行本に付いていた二色のしおりひもがついていなくて残念でした。
『なんとなく、クリスタル』、通称「なんクリ」(あるいは「もとクリ」)と呼ばれたこの小説は、1980年5月に当時一橋大学の学生だった田中康夫によって書かれ、その年の「文藝賞」を受賞し、芥川賞候補にも選ばれ、「十年後に期待したい」という評が出た選考会の翌日、1981年1月20日に単行本として出版されると、途端に百万部を超えるベストセラーとなり、クリスタルブームを引き起こしました(尚、この時の芥川賞受賞作品は、赤瀬川原平が純文学作家のペンネーム尾辻克彦で書いた『父の消えた日』でした)。
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主人公の由利は昭和34年(1959年)生まれ。つまり、私と同い年です(002.同い年に、同学年の著名人一覧を掲載しています)。商社マンの父の仕事でロンドンからの帰国子女である主人公は、現在両親がシドニーに赴任中のため、学生だけれどミュージシャンの淳一と、神宮前四丁目に十畳の洋間に八畳のダイニング・キッチンという部屋で共に暮らしています。
一年生の六月に「授業が終わってからベル・コモンズを見ようと思って、一人で青山通りを歩いている時に」スカウトされ、モデルクラブにも所属しています。「シドニーにいてなにも知らない両親の口座から、毎月、幾らかのお金が生活費として降りていた」けれど、「モデルの収入(月に四十万円近くの収入)だけで、充分暮らしていけるだけの力はあった」ので、「そのお金には、なるべく手をつけないように」「淳一の自己嘲笑的表現を借りれば "アブク銭の上に成り立っている生活" 」を送っていました。「親には、コレクト・コールで、学校に近い神宮前に引っ越しましたと連絡しておいた」だけでした。
この小説の特徴は、地の文(太字で表示)に対しての圧倒的な分量の注です。
この時代を生きた私には、ひとつひとつの「注」のついた固有名詞を目にするだけで、あの時代の風が音を立てて、この令和の時代にも吹き込んでくるのを感じます。
シップスのトレーナーといえばA子の顔が、クレージュのバッグといえばB子の顔が、ミハマの靴といえばC子の顔が自然に浮かんできます。エレッセに至っては、私の初めて買ったスキーウェアのブランドで、オフコンバイトの時に、寒かったコンピュータルームでも大活躍しました(050.オフコンバイト)。
キサナドゥには、みんなで何度も遊びに行ったし、ファラ・フォーセットの髪型を真似て「シロウトモネ」をやっていた友人のことは以前にも書きました(041.シャンプー・リンス )。みんな「JJ」や「ポパイ」をバイブルのように小脇に抱えていました。
その上、このような風潮は身を包むファッションだけにとどまらず、買い物やレストランなどの食生活にも及んでいました。
当時、賛否両論の「否」の大部分が指摘していた「軽薄でブランドばかり追いかけている女子大生」が見事なまでに描かれています。しかし、このようなブランド信仰は、知らず知らずのうちに、けれども確実に一般庶民の生活にまで影響を及ぼしていきました。
先日、061.フランス語学習で、授業のあと、「乃木坂のお店にいたらTBSのザ・ベストテンの出演が終わった歌手がやってきたりと夜遊びしたのも楽しい思い出です」と書いたばかりですが、このお店というのは、田中康夫が「注:少しばかりテイストレスなケーキがおいしい、という人もいるカフェ。アルファ・キュービックのブランド "フェイバリット" を扱うショップも付属しています」と注をつけた「カプッチョ」のことでした。。
そして、その時注文していたケーキは、同じく注で「J・Jガールは味覚が発達していないため、タルトの上品さを理解できません。それで、ホーム・メイド・ケーキと称するゴテッとしたボリュームのあるのを好みます」と揶揄している大きなアメリカン・タイプのケーキでした。お店の名前もすっかり忘れていましたが、この文章を読むと食べたケーキまでが目の前に蘇ってきました。
私のように学生時代はアルバイトにいそしみ、就職してからは勤務後に語学学校に通うような者にまで、この時代の空気は及んでいました。というより私たち全体が時代の空気に覆われていたといった方が正確かもしれません。
田中康夫は、そういう私たち庶民のことを見下している表現を多く使用していますが、スノッブを気取っていた主人公・由利のような暮らしを半分妬みながらもアブク銭をブランド品に費やしている彼女らを、庶民の方でも憐れんでいたのでお互い様といったところです。
それにしてもこの本が書かれてから四十年後の今、ここに引用したお店やレストランは、明治屋などほんのわずかな例外を除いて、ほぼすべてのお店は閉店したか、移転してしまったことに驚きを禁じえません。商売の難しさを改めて感じさせられますが、何しろ中央卸売市場までもが築地から豊洲に移転してしまったのですから、時代の趨勢というものなのでしょうか。
この小説は、何か事件が起きるとか、あらすじのようなものが特にあるわけでなく、ただただ当時の世相の描写が続く小説でした。この小説の主役は紛れもない「注」でした。
「注」の中には、「ブランドに弱いんだよね。……日本人全体がそうなのかな」につけられた注のように、「この小説の登場人物はマネキン人形で、中身が空洞だ、という「文芸」評論家だって、学歴や肩書きというブランドにこだわる人です。この小説には生活がない、という「文芸」記者だって、新聞社のバッヂというブランドを取りはずしたら、タダの人です。」という風刺をきかせた「注」もありました。
また、「NHK放送センター」の「注」のように「注:"大日本帝国" のタクシー(大和、日本交通、帝都、国際)の四社以外のタクシーは、客待ちをお断りしています。開かれた国営放送局、皆様のNHKからのお知らせでした。」などというものもありました。
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『なんとなく、クリスタル』の最後は、唐突に「人口問題審議会の『出生力動向に関する特別委員会報告』」と、「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書)」の数字が投げ出されるように掲載されて、この小説は幕を閉じます。
ちなみに、内閣府のデータによれば、2019年の合計特殊出生率は、1.36であり、総務省統計局のデータによれば2019年の65歳以上の高齢者人口の総人口に占める割合は28.4%、日本年金機構のデータによれば、厚生年金保険料率は平成29年(2017年)9月より18.3%で固定されています。
『なんとなく、クリスタル』は、初版本を買って読んだ記憶がありますが、私にはこの本の持つ意味があまり良くわかっていませんでした。評論家江藤淳が絶賛したという評判でしたが、私にはある種のカタログ本のようにしか捉えることができませんでした。
今、手元にある河出文庫の『なんとなく、クリスタル』には高橋源一郎の解説 唯一無二がつけられています。冒頭から絶賛です。
この小説のタイトルにもなった「なんとなく、クリスタル」という表現は、主人公が情事に及んだ正隆と、ホテルを出るまでの間に交わした会話に出てきます。それは次の通りです。
そして、高橋源一郎はこの部分の引用に引き続いて次のように書きます。
今回、女性誌「JJ」の休刊のニュースから、あの時代を思い起こしているうちに、どうしても『なんとなく、クリスタル』を読み返したくなったと思った理由が、ここに述べられていたようで驚きました。まさにあの時代の実例や空気が熱をこめて語られている本だったからなのでしょう。
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女性誌「JJ」が休刊の理由は、決して「ターゲットとなる20代を取り巻く環境、ライフスタイルが大きく様変わりした」ということだけではなく、その背景にあったこれまでの消費社会が、完全に新たな方向へ舵をきったことを意味するのだろうと感じました。
私には「JJ」が「時代の徒花(あだばな)」のように思えてなりません。大きく大輪の花を咲かせ、はなやかな外見を持ち、多くの人々の耳目を集めるけれど、結局は消えていく風俗、文化の徒花。しかしだからこそ、その時代を象徴し、愛おしくて、忘れることのできないのが「時代の徒花」だと思うからです。
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