135.チョコレートへの返信

本稿は、2020年2月22日に掲載した記事の再録です。

1974年(昭和49年)のバレンタインデーに、中学2年生の私は憧れていた1学年上の男子生徒に勇気を持ってチョコレートを渡しました。詳しくは前回の「47年前のバレンタインデー」に書きました。

この憧れの君への想いは、その年の秋、彼が進学した高校の文化祭に呼んでくれたので、友人2人と一緒に3人で出かけたことは覚えていましたが、そのまま何も始まることもなく終了した「私の一方的な片思い」として長い間記憶されていました。

ところがこの年末年始、実家の古い引出しの中から昔の手紙をまとめておいた箱が見つかり、その中から彼からもらった手紙を発見したのでした。

驚いたことに、彼からの手紙は全部で3通ありました。いずれの手紙も封書で20円切手が貼ってありました。宛先は中学生の頃に住んでいた私の自宅の住所になっていました。おそらくバレンタインデーのチョコレートを渡すときに、私がこれっきりにならないようにと自宅の住所を書いた手紙もつけたのだろうと思われます。

最初の手紙の消印はバレンタインデーのひと月後の3月でした。鉛筆で縦書きの手紙が入っていました。彼にとっては高校入学直前の時期で、日本ではあまり競技人口の多くない、中・高校生にとってはやや特殊なスポーツをするためにこの高校を選んだと書かれていました。

今回、色々と悩みましたが、いただいた手紙の全文を掲載することに致しました。本来はご本人の許可を得てから掲載すべきでしょうが、半世紀近くも昔の手紙なので、おそらくご本人も手紙を出したことすら忘れておられるだろうし、現在の生活にご迷惑をお掛けしないことを最優先に、こちらからご連絡することは控え、また万が一にも個人の特定がなされることのないように競技名を〇〇と表記することで、手紙の全文をここに記したいと思います。こうまでして公開したいと思うのは、この手紙から、1974年当時の時代の香りが立ちのぼってくるからです。

 お手紙どうもありがとう。
 今、僕は君の手紙を見ながら書いています。でも君と僕はあまり話もしていないのに。僕は君の事をあまり良く知らないのに。”ごめんね”...
 しかし、良く僕の事を知っているね。僕は中一の時から〇〇をしています。高校に行ったら、もちろん〇〇部に入部します。その為にこの高校に入ったのです。今、僕の夢はオリンピック選手になることです。絶対に選手になってみせます。今まで〇〇大会に出て入賞しなかったことはなかったから高校に入っても自信があります。
 剣道は好きだけど、中学に〇〇部が無いから入ったんですけど、今思ってみると剣道部に入って良かったと思っています。剣道は僕にとって多くの意味で精神力をつけてくれたと思う。
 私はスポーツが大好き。僕の一生涯の友にしていきたいと思っているんだ。今、この時期に体をキタエなければソンだもんネ!!
 でもこの年代において本を読む事は本当にだいじな事です。今私も一ヶ月に二〜三冊ぐらい読んでいるけど、もっともっと本と言う物は多く読まなければいけないんだ…と思う。君もガンバッて下さい。
 君の事は、僕の一生涯の思い出とします。いいですね!!
 私は君達の将来を期待しています。
 僕もガンバります。互いに今は自分自身をキタエル時なんです。勉強が未来の僕達にとって宝物になるんです。いいですか……
 だから若いうちに苦労をするんです。努力無くして未来の姿なし。今、僕が君に言える事は “苦労に苦労を重ねなさい"  いいですね……
 私も苦労をする努力をする。だから君も努力しよう……
 なんだかんだと書いちゃったけど、今の中学生時代に、いっぱいいっぱい夢を作って努力をしてガンバッて下さい。
 なにか悩みがあったならすぐに僕に話して下さい。絶対に力になりますから。じゃーまたいつか会おう。元気で……
 本当に乱筆でごめん 君の兄貴より

話もしたことのない顔見知り程度の下級生の女子生徒からのバレンタインチョコレートへの返信として、十五歳の少年が十四歳の少女に向けて書いた手紙かと思うと、なんとも誠実でいじらしく、気恥ずかしいと同時に、この年になっても心が揺れてしまいます。

壮大な夢を語り、それに向け努力を惜しまず、下級生の女子生徒にもきちんと向かい合う少年に、チョコレートを受け取ってもらえた私は、なんと幸せな少女だったのでしょう。

昔は「若い時の苦労は買ってでもせよ」とよく耳にしましたが、最近はあまり聞くこともなくなりました。逆に「頑張っている人にこれ以上『頑張れ』などと言わないように」ということはしばしば耳にします。でもそれは単に私が年を取っただけで、中学生や高校生は、今も昔と同じように夢に向かって自らを鍛え、努力し、苦労を重ねているのでしょうか。

それでもこれは、当時の雰囲気を思い起こさせるような手紙だと思いました。当時は「おれは男だ!」「飛び出せ!青春」「われら青春!」という熱血青春物のテレビドラマが放映されていて、多くの中・高校生は毎週見ていました。今では千葉県知事になっている森田健作や、村野武範、中村雅俊らが、仲間や生徒を叱咤激励して剣道、サッカー、ラグビーなどのスポーツを通じて困難を乗り越えていくというドラマでした。

002.同い年」にも書きましたが、私たちの世代は団塊の世代のひとまわり下で、大人たちから何かにつけて「無気力・無関心・無責任」の「三無主義世代」、あるいは「無感動」も加えて「四無主義世代」と呼ばれてきました。彼も一学年しか違わない同世代です。記憶の中の中学時代はかなり無気力な時代だとばかり思っていましたが、こうして彼の手紙からほとばし出る情熱に触れると、突然、あの時代の香りが蘇りました。

半世紀近く経ってから、当時の手紙にあれこれ言うのは反則行為でしょうが、下級生の女子生徒を励まし教え諭すような内容は、今日ではパターナリズムなどと批判の対象になりそうです。しかし、相手にとって良かれと思ってあれこれアドバイスするというある種の「思いやり」や「お節介」は今日の社会ではすっかり薄れてしまいました。私などは、この文面から立ち上がる先輩としての彼の気概がとても懐かしく頼もしく感じられました。

さて、「君の事は、僕の一生涯の思い出とします。いいですね!!」と釘を刺されてしまった私の恋の行方ですが、続く2通の手紙にその展開らしきものが書かれていました。

次の手紙の消印は翌月の4月です。タイミングからいって、最初の手紙に私が返信を書き、そのまた返事だろうと思われます。

拝啓
 元気で毎日を過ごしていますか。
君も中学生三年生か。
君は二組か…… 僕も二組だよ。
僕の学校は(引用者註:学校紹介の部分は特定を避けるために省略します)…。
 それから、やっぱり〇〇部に入部しました。それでこんど学校の方から出場するのではなく、地元の方から五月〇・〇日に開かれる全日本に出場する事が決まりました。自信は無いが絶対に勝ってみせます。
 僕の夢はオリンピック選手になる事で、自分自身の力の限界までガンバッてみます。場所は(引用者註:大会会場へのアクセス説明の部分も省略します)…。本当にわからなかったら、〇〇で人に聞けばすぐわかるよ。中に入っても広いからどこにいるかわからないと思うけど見に来て下さい。
 君がいると思うと、見てると思うと、いっそう力強くなるから、できたら見に来てください。お願いします。でもあまり無理しなくってもいいよ。

 それから、僕の卒業文集見たの。はずかしい。あんな馬鹿みたいな事を書いちゃって。皆んな、あれを読んで笑うよ…… でもあれは全部事実に基づいて書いたのです。本当にシゴかれたんだから。
 しかし〇〇部のシゴキは、剣道部のシゴキにくらべると、大人と子供の差があります。〇〇部はまったくキビシイ。でも、その練習に耐えられなければ自分の目標には到着できないと思う。努力無くして結果無し。と言うところかな。

 じゃ君も三年生になったのだから勉強に全生命をかけて、今勉強をする時だと思って、皆んなよりも死ぬ気でガンバッてくれ。僕も、そっと君を見守ってあげるから。

 悩み事や苦しむ事があったらすぐ私に相談してくれ。いいね。
 じゃ、本当にへたな字だけれども、読めない字があると思うけど……

 僕も自分自身の向上と目標に向かって全力投球でガンバルから君も全生命をかけて自分の目標に進んでくれ。これは全ていいかげんな気持ちで書いている事じゃないから。本当に僕はシンケンに命をかけて、もっともっとでかい目標にぶつかっていくつもりです。
 じゃ、元気で、さようなら。  敬具

「君がいると思うといっそう力強くなる」などと言われて、天にも昇るような気持ちだったろうと思いますが、どういうわけか彼との手紙のやり取りは記憶から抜け落ち、この大会へも行った記憶はありません。仲良し3人組で行った秋の文化祭の時に、初めてその競技を目にしたのは間違いないので、5月の大会へは何か理由があって行けなかったのだと思います。

人はどのようにして忘却して良い事柄と、覚えておく事柄を選別しているのでしょうか。憧れの君から「応援に来て欲しい」などと言われることは、思春期における最大級の出来事だと思うのに、完全に記憶から欠落しているのです。

そして手元にある最後の手紙の消印は10月でした。これまでの2通とは違って横書きでペンで書かれていました。

拝啓
 もう10月になり毎日、朝の風が寒く顔にあたるようになりましたが、君は元気でいるかな?
君は夏休みに勉強したんだね。高校に入学するんだから当然だと思うけど、受験を目の前にしてがんばっているね。一日も早く合格発表を聞きたいでしょう。
自分にもおぼえがあるけど、僕の場合は入学したかった学校は二つあったんだ。その一つは今の学校、それからもう一つは(引用者註:学校の選択部分は省略します)…。でも、今の学校が自分が決めた学校だし、好きな道だから、ベストをつくすだけ。
これから〇〇大会がいっぱいあるからおもうぞんぶんがんばっていくつもりです。

君も自分が決めた高校に入学しておもうぞんぶん力を発揮してほしい。でも高校と言うところは決して甘い所じゃないから、その事を覚えていてほしい。しかし、君なら入学してもだいじょうぶだろう……

それから君が合格したら、僕と一日、君の合格を祝ってどこかへよかったら遊びに行こう。
 
じゃ、夜もおそいので、最後に僕もがんばるから君もがんばってくれ。返事はいいから入試一本に力を入れてくれ。

文化祭には行くかもしれないからよろしく!
また字が荒れてしまってごめんね。
Next  see you again バイバイ。

この前後に文化祭への招待があると思われますが、手紙は3通しか残っていませんでした。

そして、遂に私の高校入学祝いで初デートかと思われる内容ですが、私は彼と2人きりで会うことはありませんでした。どうしてこの恋が途切れてしまったのかわかりません。十四歳の私に聞けるものなら聞いてみたい恋の顛末です。


<再録にあたって>
2年経って、改めて憧れの君の手紙を読んでみると、「もう10月になり毎日、朝の風が寒く顔にあたるようになりましたが」という時候の挨拶文がとても新鮮に感じられました。高校一年生の男子生徒が中学三年生の女子生徒に送った手紙の書き出しです。手紙ではなくメールやLINEのやり取りばかりになると、時候の挨拶が日本語から消えてなくなっていくようです。


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