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ただ、海を眺めるみたいに





自分の感情に、
上手く名前をつけられないことがある。


ひとつの名前に決めてしまいたくない、
という方が正しいかもしれない。



「そっか、悲しいんだね」

とだれかに名前をつけられるのは
もっともっと嫌で。



感情はもっと複雑に入り混じっていて

それだけじゃなくって、
ほんのすこしの時間が経っただけで
また別の感情が見え隠れしたりもする。







そんな風に、
気持ちがゆらゆらと揺らいでいるとき。

自分でも、ちょっと先の自分が、
どんな気持ちでいるのかわからないとき。



そんなとき、

一人でいたいな、とも思うし、
誰かの優しさに触れたい、とも思う。



だけど、ずーっと笑顔で明るく、
そういう気分をキープすることはできない。

できる、という自信がない。

だから、誰かといるのはハードルが高い。






ちょっといきなり話が変わるんだけど、わたしはお酒の代わりに三ツ矢サイダーを飲むことがある。 



晩酌は三ツ矢サイダー
ぐびっと一杯 たまんない
吉澤嘉代子「ガリ」



好きな曲の、受け売りなんだけどね。

お酒をあんまり飲めないわたしには、
三ツ矢サイダーが晩酌になる。




疲れたとき。
仕事で嫌なことがあったとき。

三ツ矢サイダーを飲む。

このときの気持ちって、
「はぁ…」ってへこむ感じじゃなくて。

「くそー!」みたいな。
パワーに変えて発散してる感じで。

だから三ツ矢サイダーは、
「飲むぞー!」ってときにしか
飲めなかったりする。

気持ちが沈んで自分で自分を励ます、
そんなときにはしっくりこない。



例えば、音楽だっておんなじで。

どれだけお気に入りの曲だとしても
「今、これを聴けない、」
そんなときがある。

気持ちだけじゃなくて、季節や気候。
"しっくりこない"という感覚がある。




これは、人間も同じだなあと思う。

明るくてエネルギッシュで元気をくれる人。

そのパワーを受け取るためには、
しゃんとした姿勢が必要だ。



「受け取る」というのは受け身的だけど、
意外にも、それなりの構えが必要みたいで。




自分の気持ちがゆらゆらしているとき。



「悲しいんだね」

と、優しさをどっさり贈られたら。


受け取る準備ができていなかったら。



自分で自分が悲しいのかもわからないまま、
でも、悲しいことになっていく。






気持ちがゆらゆらと揺らぐとき、

もっと揺らがされるようなのはいやだし、
素っ気なくって放って置かれるのもいやで。



悲しかったり、嬉しかったり、
ほっとしたり、ぼーっとしたり。

そんなゆらゆらと変わるわたしに、

ただ、穏やかに、

「そうなんだね」

と言っていてほしい。




ああ、わたしは、海みたいなひとが
好きなのかもしれないな。


海を眺めている時間って、
同じように穏やかになれて。

海を眺めるために、
心の準備なんていらなくて。

悲しさは和らいで、
嬉しさも爽やかに増して。







心が揺らぐときは、
ただ、海を眺めるみたいに。

悲しくてもいい。
嬉しくたっていい。

そのままでいい。


わたしも、誰かにとって、
海みたいな人でありたいな。