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95歳のおばあちゃん

わたしの祖母は今年95歳の誕生日を迎えた。

戦争時代を駆け抜けた過去と未来を懸け橋する貴重な存在。

長寿大国と言われるここ日本の象徴であった。

祖母の姉と兄にあたる子が生後、間もなくして亡くなった。

次産まれてくる子は長生きできるようにと願いを込めて、祖母にはツルヨと名付けられた。

鶴は千年 亀は万年

ありがたいことに十分名前にあやかってご長寿である。

祖父は10年以上前に他界した。

以来、祖母はひとり暮らし。

高齢なこともあり同居や施設暮らしも提案したが、祖母が拒んだ。

半世紀近く過ごした土地や地域とのコミュニティーを離れたくない、祖母の固い意志だった。

週に数回デイサービスに行き、デイサービスのない日は自宅にホームヘルパーが訪問。


高齢化が加速する日本の社会問題


ヘルパーさんは食材や日用品の買い物に、家の掃除を行うことがメインであった。

そして祖母の良い話相手だった。

「家賃代の5万円は稼ぎたい」そんなことを祖母との会話でこぼしていたそう。

お年は70歳を超えていた。

家族の老老介護の負担を軽減させるための訪問介護が、結局老老介護になる。

65歳以上の高齢者を65歳以上の高齢者が介護している状態のことを老老介護という。

わたしの将来についても深く考えさせられた。

年金受給をしながらも仕事をしないと生活できない。

わたしは70歳を超えても働いていけるだろうか?

そしてこのヘルパーさんは80歳を迎えて少し経つころ引退。

祖母の家には交代で新しいへルパーさんが配属された。

新しい方も良い人だと、祖母は嬉しそうにわたしに語った。


高齢者のひとり暮らしを家族はどう支援していくべき?


週に1回は家族が祖母の家を訪問するようにしていた。

わたしもたまに顔を見せにいくがてら訪れる。

毎日電話で祖母の確認をした。

高齢者のひとり暮らしの問題点は

•身の回りの生活に伴う体力の低下
•自然災害などいざと言うときの不安
•犯罪被害に巻き込まれるリスク
•孤独死 など

祖母自身も電話を受けるときは、自ら名前を名乗ることは避けていた。

もし歩けなくなったら、そのときは施設にいくと、わたしの父である息子と約束していた。

それでも随分前からから皆がずっと考えていた。

高齢でひとり暮らしをさせて良いものなのか?

家族だったらそう考えるのは当たり前だった。


家族として社会に望むこと


街中で高齢の女性を見かけると、つい目がいく。

何か困っていることがないか遠目で必要以上にチェックをしてしまう。

その世代の女性を見ると祖母が重なった。


誰かになにかを与えるときは見返りを求めたくなかった。

たとえば、なにかプレゼントをするときや困っている人を助けるとき。

ただわたしが与えたかった。

それだけで完結したい。

だからたまに「あのときの貸し返してね~」なんてことを言う人もいるけど、そういった見返りを求める考え方は苦手だった。

損得勘定で生きたくない。

それがわたしだった。


だけど祖母と同じ世代を助けたくなるのは、

もし祖母がわたしも身内もいないところで困ったことが起きたら、誰か通りすがりの親切な人に助けてもらいたかったから。

これって十分見返り求めているよね?

わたしは支離滅裂な考え方をしている?

それでも、わたしの道徳の基盤は人の心の痛みがわかる人間でありたいだった。

大切な人のことを考えると、世の中が互いに助け合える未来になることを望んだ。


長寿の秘訣


わたしが祖母の家を訪ねるときは、デイサービスの日でない、ヘルパーさんの帰ったあとだった。

祖母がひとりでいる時間に訪問する。

お寿司とおはぎをお土産に持っていき、一緒に食べるのが定番だった。

おはぎは祖母の好物。

祖母流に言うとぼたもち

”おはぎ”と”ぼたもち”の違いは一説によると季節にあるようだが、祖母からすれば全て”ぼたもち”であった。

まだ祖母が今より若く、わたしが幼少期だったころ、よく手作りのぼたもちを食べた。

祖母お手製のぼたもちは、小豆の香りが漂う程よい甘さの食べごたえのあるサイズだった。

おはぎを一緒に食べると幼少期の記憶が蘇る。

嬉しそうにお寿司とおはぎを頬張る祖母はわたしよりも食欲旺盛だった。

定期健診にいくと「本当に丈夫な内臓ですね」と褒められたらしい。


いつも話していた長生きの秘訣。

それは、しっかり食事をすることができる健康な体ひとり暮らしだった。

そのことについては祖母も十分に認識していた。

ヘルパーさんが自宅に来るとはいえ、ひとりで生活していると、最低限自分のことは自分でしないといけない。

その意識が長寿へと導いていた。


地域社会との関わり方


ヘルパーさんが不在の時間帯に訪れるのは、もしひとりで家にいるとき、なにか起きたらと思うからである。

ひとり暮らしの誰にも気に留められない環境で過ごす高齢者の、身に起きることを勝手に色々と想像していた。

しかし2人でゆっくり過ごせるだろと思い訪問するが、わたしがいる間も来客はあった。

回覧板を回す来客や宅配業者の訪問に、ご近所さんの他愛もない立ち寄り。

こんなにも来客が多くてかえって大変じゃないか?と思うほどであった。

ただどうやら、この家には高齢のおばあちゃんがいるということが、地域全体で認識されているようだった。

身内でもない、わたしも知らない人達が、祖母のことを大切に思い気にかけてくれている。

小さな力がたくさん集まって、祖母のひとり暮らしが成立していることに気づいた。

そこにあるのは損得勘定ではない、与えるだけの世界が広がっていた。

みなさん本当にありがとうございます。

長年、地域社会に根付いた人間関係とコミュニティに向き合ってきた賜物であり、決してわたしには真似することのできない、祖母の生き方であった。



インターネットの普及と急速なデジタル化の進展に伴い、人と直接コミュニケーションをとらなくとも情報収集が可能になり、人間関係が希薄でも生き残れるようになった現代で、人とのつながりの重要性を目の当たりにした。

かつては男らしさ女らしさを説いた祖母であったが、近年さらに社会や文化、価値観の変化が加速するなか祖母は祖母らしく今を生きていることに誇らしく思う。


温故知新

故きを温ねて新しきを知る。



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