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今、会社で必要なのは「優等生解」を飛び越えること

優等生、優等生的な解。
つまり、”模範解答”は、実はビジネスの現場においても結構あるなと思っている。
たとえば、ミーティングに10人参加していて、そのうち9人は「いいんじゃない」と思うようなこと。


「ここは不便だね」→「改善したいね」
「最近こんなもの流行っているよね」→「それ導入したいね」or「一部を試してみたいね」
「ここ、会社としてアプローチできていないね」→「やったほうがいいね」

具体的な内容は書かないが、自分の仕事に置き換えてみると、意外に進めている仕事の中では「おそらく(優先順位を考えなければ)大多数の人が賛成してくれるであろう」という提案は、意外に多いものなのだと思う。

toCのビジネスであれば、つまりはそこに参加している会議のメンバーも全員この世界に生きる「C(Customer)」なわけで、「もし自分たちだったら」という目線でビジネスを論じることができる。
そうなると、人種も同じ、育ってきた環境も同じ日本であれば、これは「快」これは「不快」であると思うタイミングも、意外にも、あまり違わないものなのだ、と最近つくづく感じる。

このタイミングでこれがないのはNG、こんなプラスαがあったらいい、最近こんなことが人々に喜ばれそう…etc.。実は、確かに独身、夫婦で、家族で、友達で、環境の違いと、価値観の違いは微妙にあれども、似通った生き方をしている存在であれば、実は目指すものってそうそう違わない。
現状の課題を整理し、何が一番顧客(またはWE/私たち)にとって不利益であるかを明確化し、共感できる共感ポイントを設けつつ、目指すべき解の理由を3つくらいに絞り、ゴールまでのプロセスをスケジュールとともに描いていけば、きっと、大多数の人が望むことは、意外に導けそうなのである。

だからきっと、今取り組んでいるtoCのビジネスの解決策の多くは、今この世の中で働いている人であればきっと容易に想像がつき、この世の中に生きる人々の多くに受け入れられる、そんな策である気がするのだ。つまりは「解のコモディティ化」。メディアが発達したからこそ、自分が思いついたはずのアイディアがなぜかどこか既視感を覚えてしまうのは、きっと私だけではないように思う。


今必要なのは、「異種なものを結びつける力」、そしてそれによってブレークスルーを生む能力だ。

たとえば、私たちの現場での解が「①か、②か、③か」そんな議論をしていたとする。
今必要で、ビジネスやアイディアをスケールさせてくれるのは、そこに、「うーん・・・♪#♭がいいんじゃない」とかましてくれるような、サプライズのあるまったく違う切り口を持った意見やそれを元にした議論だと感じている。
私たち、特に日本人、サラリーマンはあまりにも勤勉であまりにも精度の高い「①」や「②」を持っている。それでももう、きっとこの世界の人は優秀だから、みんな①や②やその後に続く③④⑤⑥だって、だいたい内容は知っているのだ。その中でどれを選ぶべきで、どれが最もみんなが選びそうであるかどうかすらも。でも、もう世界では①からすべての解は考えられている。だから、ものすごいスピードで追い上げているのだ。人口が多い、生きることに貪欲、もっと良い生活を手に入れるための渇望感。そんなエネルギーからきっと、解を捕まえるスピードは加速していく。正直、日々の生活に恵まれすぎた私たちには、それに打ち勝つ貪欲さは、否が応でも負けてしまうのだ。
今必要なのは、品良く並んだ「みんながきっと共感してくれるであろう①〜③」ではなくて、真っ向からルールをぶった切るような、イノベーティブな「♪#♭」のようなアイディアなのだと思う。


そのためには、同じ会社、同じ業界内のみで議論していてはやっぱり進みが遅い。違う業界、異なる地域、そして国の垣根まで飛びこえた時、「あ、その視点ってあったんだ」「あ、そのルールって、破ってよかったんだっけ」と、自分の当たり前が音を立てて崩れていく。そんなところから、優等生解が崩れ、きらめくアイディアが生まれていくのだ。

知らず知らずのうちに、自分が最適だと思っていた解はきっと磨かれて、道を踏み外すことのない「優等生解」になっている。誰にだって問題なく愛される、"マルチモテ系"の提案。でも、今必要なのはそうじゃない。
次の時代に新しい提案をしたり、世の中の人を少しでもはっとさせる仕掛けを作るなら、「脱、優等生」。

きれいに生きるより、もっとずっと、面白いことがあるはず。そんな変化に、ちょっとずつ周りも気づき始めている気がした、そんな今日。いきなり変わらなくても、身近な人が一人ずつ、そんなことに面白さを感じる人が増えていったらいいな、と思うのでした。

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