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できる限り、お金を見ないで生きたい話

なんとなく自分の気になるトピックスである「お金」と「価値」の話。

生活の中にある「ちょっとした違和感」や「ズレ」をできる限りなくしながら生きることが、人生を自分好みにしていくコツだと思ってる。

今の時代で気になることは、人と人との関係性の中で価値を分け合った時、ダイレクトにお金で表すと一瞬走る緊張感みたいなものが、どうしても嫌いなのだということ。


例えば、食事をしたときの割り勘にするときの気まずさがどうにも好きじゃない。

友人レベルで割り勘にするには何も考えなくて半分こすればいいんだけれども、例えば先輩と後輩とか、ちょっといいなと思っている人とのデートの時とか、額を何対何で分けるか、みたいなことを考える瞬間がどんなシーンでもあって、どうにも興ざめしてしまう。そこまでの時間で気持ち良くお酒とご飯でご機嫌になっているところに、もうこれでもかってほど水を差す。あと、お金を握りしめて迷っている姿が、どの場所でどんなに素敵なお財布を持っていても、なんか美しくないのだ。。

すごく盛り上がっていたのに、どんな分け方をしても、途端にそのタイミングで「あれ、我々の関係性ってそういうこと?」って思わせるような配分だったり、いまいち決めきれない傾斜のかけ方だったりは、いつまでたっても慣れないし、好きになれない。どう頑張っても、同性でも異性でも、これだけは解決しない気がしている。(それでも複雑なもので、個人的な意見としては、いつでも綺麗に割り勘!よりも、やっぱり自分がお世話になってきたように、例えば後輩と飲みに行ったら、年長者の方が多めに出す、をしたいと思ったりもする…。)

だから、できる限りお会計とかは見えないところで済んでいるのが望ましいなと思う。あと、(まだ難しいけど)自然と引き落とされているとか。笑 キャッシュオンの気軽な感じも結構いい。とにかく"時間の終わり"に不思議な緊張感を醸し出してしまうのだけはどうしたって避けたい。分けられないのなら、1件目は相手、2件目は私、くらいの分け方のほうが、よっぽど気持ちいい。


また、個人で仕事をしていた時の時給の話とかも苦手だ。

「○時間、いくらで」という額は、高すぎても緊張するからパフォーマンスが出せないし、低ければ低いで「私の価値ってそんなものなんだ・・」といじける自分が顔を出すので、どちらになっても微妙。

相手の期待する価値と自分が提供する価値が、「お金」というものを媒介することによって温度が失われてしまったり、そのお金の額の大小でなんとなく関係性を伺えてしまうようで、やっぱり「興ざめ」なのだ。そんな、お金なんかで図れる関係性や価値じゃないですよ!いやいやでも、やっぱり何かしらのお礼をしないと遠慮なく聞けないし・・・のやりとりののち、結局もらったりしたけど、なんとなくの違和感は抜けない。そして、一度もらうと仲がよければ仲が良い分そこに消せない「?」が存在する気がする。


それなので、もういっそお金という温度のないものを使わないようにしてほしいと思っている。

払えるタイミングで、払える人が払う。そして、一番大切なのは、払われたお金(価値)をしっかりと覚えておき、自分が提供できる価値を、また違うタイミングでお返しすること。等価の硬貨や紙幣でなく、食事の提供なのか、お仕事で返すことなのか、悩みを聞いてあげることなのか、なんでもいい。そこにお金を媒介させないことで、伝わる温度、そして無限に広がる価値が、その先に広がっている感覚があるのだ。
そしていずれ、お金という無温度の媒介がなくなることで、分断された関係性が復活していくような予感もしている。それがもしかしたら、コミュニティの経済活動につながっていくのかもしれない。

価値の授受方法が、時代とともにアップデートされるといいなと思うし、自分がその方法を模索していきたいな、と思う。時代は変わる。人々が価値を生み出し、また次の人に価値が渡っていく。

時代は平成から、新時代へ。そろそろ、次の時代を考えてもいいのかもしれない。さあ、どうやって、生きよう。どうして、働こう。

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