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サブカル大蔵経101 最相葉月『セラピスト』(新潮社)

 精神科医の重鎮たちに著者自らが患者として臨むスリリングなノンフィクション。

 中井久夫、河合隼雄…。著者として高名な方たちは、実際にはどんな〈治療〉をするのか。待つ、聴く、丁寧さ、フランクな言葉…。臨床での医師と相手との関係性。

クレヨンは国によって色が違う。p.7

 絵を描く。色という存在。

言葉はどうしても建前に傾きやすい。p.9

 私も常に思う。いいことを言おうとするからか?責任をとりたくないからか?

大丈夫、と言う事は、ちょっと頑張ると言うことですか。p.14

 メールの返信の時、大丈夫です。を連発していましたが、これ読んでから、考えるようになりました。

枠があると守られていると言うか、許されたようで気持ちが丸く柔らかくなった。一方、枠がないとどこかとげとげしく攻撃的になる。p.18

 絵のキャンバス。枠とは何を指すのか。与えられた自身の肉体か、学ぶべき型のことか。型にはまることを嫌がった時代の反動…。

あなたもこの世界を取材なさるなら、自分のことを知らなきゃいけないわね。木村晴子が私に言った。自分のことなどとうの昔から知っているわと、反発する思いだった。p.20

 木村先生にはツッコむ著者。

こじつけてるみたいやなぁ、なんか怪しいなぁ、人の心をもて遊んでいるんじゃないか、そんな不信感さえあった。p.28

 欧州で臨床を学んだ時の河合。臨床時と普段の生活は違うのではないか?いろんなこと保てるのかが心配。周りや世間からいじられることが、彼らの治癒かもしれない。

河合。箱庭を解釈よりは鑑賞するつもりで。治療者と患者の関係が重要p.31

 解釈より鑑賞。

セラピストが自分の子供にはできなかったことをクライエントに押し付けて自己満足を得たりする可能性がある。p.64

 そうなんですね…。

カウンセラーはただ横にいて見守るだけで、解釈するわけでも、何かを予言するわけでもない。私の質問に対しても簡潔に必要最低限の返事が返ってくるだけだった。ただ私の発する言葉をよく聞き、そこに展開した世界について考えようとしてくれていた。2週間後に再訪した。p.71

 再訪したくなる相手の条件。

カウンセリングでの話の内容や筋は、実際は、治療や治癒にはあまり関係がないんです。それよりも、無関係な言葉と言葉の間とか、沈黙にどう答えるかとか、イントネーションやスピードが大事なんです。だから、僕が記録を取る時はそれを省略しません。p.74

 内容よりイントネーションとスピード。

日本の教育者とか宗教家など、立派な人は、説教するのが非常に好きでして、そういう日本の教育者の説教癖に対してロジャーズの理論は真っ向からぶち壊す役割を持ちました。p.113

 説教への忌避感。たしかにコーチングではなく、一方的な押し付け。しかし、説教という必要悪も大事な気はする。それこそ内容ではないのだ。

これが自分でやったことだ、と言えることがしたいです。山中は絵を描いてもらうことにした。p.140

 結局、人は、絵描きに戻る。

河合。僕はね自分の意見を言うと言う事は滅多にないです。それとあなたはこうだと言うふうな言い方はほとんどしないんじゃないでしょうか。そうした場合大体否定されますね。p.151

 否定されること。否定が自己存在のアピールか。

患者さんの沈黙は臨床医にとって最も困難な状態ではないでしょうか。今の精神医療の体系はほとんど言葉だけで作られていますから。言葉があって初めて診断することになる。特に今の若い医師たちは待つことができません。p.244

 精神医学は宗教の蓄積を学ぶべきか。宗教が精神医学から学ぶべきか。

セラピストとのやりとりを重ねるうちに、クライエントはあるまとまった物語を作っていきますが、それは必ずしも、本当の物語ではないというか、本当の物語である必要はないと言う事ですね?中井久夫。ええ。本当の物語は不在かもしれません。p.271

 「本当の物語」とは。本書のキモか。

我々に1番大事なのは感心する才能ですね。あーとか、うわーとか、ともかく感心するんです。そうすると作る気が出てきますから。それを、これはなんですか、とか、ここが空いてますね、なんていうのは1番下手なやり方です。p.278

 質問より、感嘆詞。

河合俊雄。主体が欠如しているから人と関係が持てず孤立している、あるいは相手や状況に合わせてしまう。p.298

 最近のクライアント。

人が変わるって、命がけなんです。ときには怒りにもなる。あいつのせいで変わったと言って、治療者を殺しに行った人もいますから。p.308

 うん、変わること、を安易に考えてはいけないし、変わらないことを責めてもいけない。

つまり、いくら歪んでいても、おかしいといっても、そうなっていることには必然性があるんですね。不登校だった子が学校に行けるようになって良かったと素直に喜べるほど単純なことではないんです。そこを治療者がよくわかっていなくて、あーよかったと思っているときに自殺したりするんです。治ったからと言って喜んでいてはいけないと言う事ですね。必ずもう一つの面があると言うことをわかっていないといけない。それはいつどこに出てくるか分からないんです。p.308

 治ったからといって喜んではいけない。

中井久夫?言葉によって因果関係をつなぎ物語を作ることで人は安住する。しかし、振り回され、身動きさせなくなるのもまた言葉であり、物語である。p.332

 言葉を捨てたところから始まる物語

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自分の病について書くことを決意したのは、自分自身をつまびらかにすることなく、他者のプライバシーに踏み込むことはできないと考えたからだ。そんなわけで、本稿を執筆している最中にも、私は、ある日突然ロードレーサーに乗って佐渡島を150キロ走ったかと思うと突然興味を失い、ある日突然編み物を始めて自作のマフラーやアクセサリーを家族や友人に次々とプレゼントしたかと思うと突然興味を失い、ある日突然ギターを弾きまくったかと思うと突然興味を失った。小さな達成感に小さな快楽を得ると言う軽躁状態を繰り返しながらようやく本書を完成させた。p.333

 本書の末尾での告白。突然が6回。正常と異常、健康と病気、その端境がぼやけてくる。すごい本でした。

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