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サブカル大蔵経777川添愛『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会)

川添さんは素晴らしいプロレスラーです。プロレス者が溜飲を下げる驚天動地の書。

今回はもう開き直って、プロレスの話をすることにした。p.3

〈東大〉というリングに徒手空拳のような姿で殴り込む姿はラッシャーか大仁田か。

さらに異常なのは、藤波さんの場合、プロレス技以外の動きにも「ドラゴン」が付いているということだ。p.157

プロレスには多くの言葉が漂流している。その言葉たちが言語学の観点で検証されていく。プロレスやお笑いを題材に私たちの身近な〈言葉〉の面白さ、危険さを、ユーミンやルー語、T・J・シンの国籍までたたみかけるように事例に出す姿は、今までの川添作品の時速とは違って、深夜ラジオのDJか古舘伊知郎の実況のよう。


著者のはぐれ言語学者キャラから放たれる多彩なサブカルネタという技の奥に隠された、言語学の深淵というナイフが、法話や日常でことばを使う者には刺さりました。

過剰一般化は、いったん意識に上ると、たいてい心の中で言語化される。その「言語化した過剰一般化」をさらに認識することで、その人の中で強化されてしまうのではないだろうか。p.81

読了後、自分の吐いた言葉に一度立ち止まれるクセはついたような。でもこうやって書いていても「一般化」してるのではと感じる「赤塚的」恐怖本でもあります。

昔から、赤塚漫画を読んでいてたまに「ちょっと怖いな」と思うときがあるのだが、極限まで振り切ったギャグが何かの深淵に触れているからなのかもしれない。p.150

私が在学中、中野美代子先生は中国文学ではなく言語学所属でした。川添女史はその系譜に繋がるのかと感じ入りました。

学生時代、生協書店の入り口に積んであった異質な「UP」に、大学を感じました。この連載を読める学生がうらやましいような、混迷したトラウマとなるのか、プロレス者はここから養成されるのか。

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「は」と「が」の違いというのは、言語学においては「そこに足を踏み入れたが最後、その後何十年も出られなくなる底なし沼」の一つだ。p.42

 底が丸見えの「底なし沼」。I編集長!言語学とプロレス、通ずる所あるかも。

理論言語学では、言語を「自然現象」として見る。言うまでもなく、自然現象は自然現象であり、そこには「正しい」も「間違っている」もない。p.59

 宮迫問題もそうだが、プロレス的に見れば、単純な決まった善悪や正誤はない。「カミノゲ」でフミ・サイトーとプチ鹿島の連載でも学べます。

宇宙にガチで絡んでいる言語学者なんていないはず…と、p.66

 チョムスキーの異種格闘技戦!

吉田豪や浅草キッドなどの書き手による「有名人のコクのある話」が好きな私p.93

 注の入れ方は本書でも触れられた吉田豪のコク宝シリーズのオマージュなのか。ぜひ「書評の星座」で取り上げてほしい。「カミノゲ」にもゲストで出てほしい。

こんなふうに「前提」には、私たちの無意識というか、心のスキマにするりと入り込むような怖さがある。p.111

 この言説による詐欺には気をつけたい。若い学生にも伝えてくれています。

そもそも、言葉についての争いが多すぎる。p.171

 ネットでもリング外でも争われる。

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