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サブカル大蔵経261碧海寿広『仏像と日本人』(中公新書)

〈仏さま〉と〈仏像〉の間を漂う日本人の軌跡。和辻哲郎、土門拳、みうらじゅん、それぞれの時代に現れた稀代の愛好家たちと、〈仏像写真〉の登場。

日本への仏教の伝来の最初は仏像だった。法や僧よりも仏像のインパクトの大きさは決定的なことだったかもしれない。仏教は「なんだこの怪しいモノは?」から始まって、実は今でもその配下にあるかもしれない。

学校では仏像は歴史の教科書か、美術の教科書か。外国の視点の逆輸入に弱い日本人は、仏教も仏像も礼拝から鑑賞へと変わっていった。観光と経済がからんでいく。

自分はどうだろう。仏教を鑑賞すらしてないかもしれない。

あと、もうひとつ、野の石仏、道祖神や地蔵もありますね。民話的な仏。

 私たちはどこで仏と出会っているのだろう。

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その断絶を作った最大の要因が美術という考え方である。p.ⅰ 

 寺院の仏像と、美術館の仏像。寺院と美術館、宗教か美術か。

寺院とは仏法僧のいわゆる三宝を包み込んでいる空間ないしは建物であるとまずは定義できる。p.4

 そうか…三宝が寺か…。今、あるかな。

仏像は美術品として語るものではなく、黙して拝むべきものではあるまいか。(中略)初めて見た諸々の古仏は「教養」を欲する乞食に見向きもしなかった(亀井勝一郎)p.114

〈仏像をみる〉という行為。人は何を欲するのか。読書も何を求めるのか。あえて乞食的読書もいいと思うが。

「演奏者(指揮者)」の解釈が「作曲者」の意図を凌駕している感じが強く、したがって研究用の資料には適していない。p.151

 仏像写真の誕生。記録資料か美術か。

土門にとって、仏像は常に息をし、走っている。つまり、仏像は生きている。p.161

 仏像のいのちを引き出す土門拳。

だが、ロウソクで見たあの表情は、どうしても出てこない。仏像と言う彫刻の奥深さや神秘性は、電気ではなく、ロウソクの明かりでなければ、あらわないようだp.164

 礼拝者の視点を重視する入江泰吉。

お気に入りの仏像写真を自宅で毎日のように見ていた串田には、当該の仏像の実物が意外にも魅力的に見えなかった。p.177

 串田孫一の体験。写真のようにきれいという褒め言葉もあるが。

観光客が数多くの寺社仏閣を短い時間で回り次々と拝観料を落とすからこそそれらの建物の修理等が可能になっている。よって京都の名所を維持しているのは京都市民でなく観光客である。(松田道雄)。p.185

 もともとの京都という街の成り立ちはどうだったのか。都という幻想。「麒麟がくる」見てると、あの時代の京都は荒廃した北斗の拳的都市だったんだなと認識。

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