見出し画像

サブカル大蔵経63鹿島茂/井上章一『京都、パリ この美しくもイケズな街』(プレジデント社)

 焚書寸前の馴れ合わない内容に敬礼。内容の真偽はともかく、本って、対談って、ここまでできるんだ!と驚きました。プレジデント社…「ダンチュウ」取材、大丈夫なのかな^^;;京都のアカン部分をここぞとばかりにディスる井上さんは、ムッシュ鹿島という猛者の返信をさらに上回ろうとするからか、茶道から和食から、あらゆる京都の幻想を剥がしにかかる。題にないエロネタ脱線も、ルーマニアを国ごと売春婦扱いなど、こちらがメインになる勢い。聞き手は女性編集者ゆえの脱線サービスかな…。京都もパリもこれだけdisられたら、街自体も嬉しいんじゃないかなと思いました。

 文化庁移転は「地方創生」。京都市はこの事業名を否定する。京都は「地方」じゃない。「地域創生」に呼び変えろと。(井上)p.5

 都ギャグやな…^_^

 たかが茶の、しかも飲み方の作法だけを伝える家が千家何代当主とか、中略…一般市民に毛が生えたようなのが、何百年続いていると言うことを誇らしげに語ると言うのは、やっぱりなんかどうなんでしょうね。(井上)p.21

 よくここまで書けるなあ…^_^

 大阪人とパリジャンは非常に気質が合うんですよ。日本のバブル全盛期、パリに免税店や日本食のお店を出していた日本の商人ってほとんど大阪人でしたね。大阪と言う名前のラーメン屋もあった。オペラ座周辺の日本人街が形成された時いたのは、ほとんど大阪人でしたね。パリも大阪も同じ核家族なんでメンタリティーがすごく合うんですよ。(鹿島)p.37

 京都ではなく、大阪とパリか!

 日野富子、要するに金で戦争のケリをつけるんですよ。ものすごく近代的だと思いません?大名たちは面子とかにこだわるんだけど、日野富子は金でなだめるんですよ。いいことですね。だけど日本の歴史上では良いことだと見られなかった。悪女と言うふうに思われたんですね。(井上)p.41

 この見立て、かっこいい。私ら、金でカタをつけるのが下品と刷り込まれているんだろうなぁ。

 キリスト教というのは、基本的にこの世は地獄で、あの世は天国だと言う考え方。キリスト教圏で人口が増えなかったのは、子供が死んでも、天国にすぐ行けるからいいんだ、と言う考え方で、幼児ケアが改善されなかったからなんです。(鹿島)p.46

 西欧の稚児に対する残酷な対処は『子供の誕生』や『死産児になる』や『豚の文化史』でも取り上げられていた。

 フランスで中世に作り上げたファブリシオ(日本の落語のような小話)では、スケベ坊主とスケベ医者が二大・裏で悪い事するやつですね。(鹿島)p.60

 必要悪としての僧侶は、落語でも鉄板だが、最近は必要悪にすらならない。

 ナポレオン戦争の時、プロイセン軍はパレ・ロワイヤルって言う悪の殿堂で賠償金を博打と女に全部使ってしまった。だからあっという間にフランスが金を取り戻したと言われています。パリの女に対する、ドイツ人の幻想は大きいんです。しかも、ヒトラーのパリ占領においても繰り返されたんです。(鹿島)p.75

 ドイツ人のパリコンプレックスってあるんだ…。しかしまあ、すごい話だ。

 ラ・ロシュフコー曰く、コケットリーはその女にとってのドーダなんだから、これは権力発動なんだ、俺に魅力があるわけでなくあっちが権力の快楽を味わったに過ぎないんだと考えるべきだと。(鹿島)p.108

 鹿島さんはドーダ理論を語る時が真骨頂であり、弱点のような気がする。

 フランスにおいて、ドイツ人と言うのは、18世紀以前は関心の埒外にあったから、エロティシズムの用語にもあまり出てこない。ただしザッベル・マゾッホの出現で19世紀からはドイツ系SMも紹介される。(鹿島)p.123

 関心の埒外…^_^パリやローマをヨーロッパの都だとすれば、ドイツは、圏外の「田舎」ということのかなあ。実際、ドイツを訪れた時、カトリック国とそれ以外は違う雰囲気を感じた。カトリック国は色気があり、ドイツや北欧は綺麗だけど街の奥行きは薄い感じはした。すぐ奥に、森や妖精などの人ならざるものを感じました。

 鴨川ではよく処刑をしたんですが、鴨川が洛外だった時代の話です。石田三成は鴨川で斬られた。(井上)p.141

 鴨川も洛外、外れか…。よく鴨川が遺体で埋まった、とかも、郊外の話なんだな。

 祇園祭ってひどい祭りなんですよ。あれはね、悪霊を払う祭りなんです。汚れを払う祭りなんですよ。あの鉾は、悪霊を呼び寄せると言う1種の依代なんですよね。これをぐうっと市中で回しながら洛外に放ってるんですよ。こんなひどい祭りはないと思うんだけれども。(井上)p.142

 祇園祭をdisるということは健全なような気がしますが、ここ砲撃したらあとは怖いものなしですね^_^京都の地元民は祇園祭をどう思ってるのかな?と感じた。

 杉本秀太郎さんに京都はどこまでですかと聞いたら、祇園祭をやるところだと。北の姉小路から南の松原ですかと聞いたら、いやそんな了見の狭いこと言わないと。もうちょっと広げて御池から五条までだなと。今度は、祇園祭を施行する杉田さんに聞いたらそれは狭過ぎると。二条ぐらいまでは祇園の氏子さんがいるからあそこも京都だと。相変わらず祇園祭中心主義なんですよね。それでさらにやや範囲を広げて、京都の範囲は、丸太町から五條までだと。でも京都御所は丸太町通より北にあるんですよ。つまり祇園祭の旦那たちは事実上京都御所は京都じゃないと言ってるんですよ。(井上)p.163

 祇園祭至上主義者キター^_^ でも、福岡のテレビ番組で「どこまでが博多か?」と街の人に聞き取りしたら、山笠の祭の近辺と言ってたような記憶あるので、どこも同じなのかなぁ。

 京都と言うのは武家がいない、天皇と町衆の街ではあるが明治以来天皇がいなくなってしまった。だから、町衆同士が互いに自分たちこそ中心でありその中心の及ぶ範囲はここまでだと綱引きをしていると言う感じですね。同じ町衆でも職人の町と商人の街では中心色が違う。(井上)p.134

 町衆かあ…。その視点での京都は興味深いです。法華宗を支えたのも町衆らしいし、京都の層がまた一枚現れた。

 ハイヒールはうんこよけ?いや、上流階級は邸宅から馬車が出て直接公園に行く。つまり街中は歩かなかった。だから町中がいくら汚くても、そこを歩かないと上流階級には関係ない。(鹿島)p.145

 パリの話も渋いエログロスカトロ多し。この三つが全揃いなのがパリなんだな。

 京都は応仁の乱後、上京と下京の中間地帯は焼け野原になって何もなくなります。秀吉の時代になって近江とか伊勢から人口の流入があり中京に移り住む。この新参者を中京衆と呼んでいた。中京衆は島原の遊郭で遊べなかった。島原には格式があった。そんな新参者に見出された遊興地が祇園なんです。(井上)p.161

 島原が本家で、祇園は新興!!そうか…。新橋と赤阪とかもそういう歴史聞いたけど、祇園が新興という概念にあるとは知りませんでした…。

 赤坂のとらやはオリンピック前は赤坂離宮の塀のところにあった御所に張り付くように。その発見について話したら、鷲田清一に馬鹿にされて、そんなことも知らないのか。京都のとらやを見ろと。鷲田さんのおっしゃり方にも私は京都の臭みを感じますね。(鹿島・井上)p.171

 まさかの鷲田先生に飛び火^_^

 とらやはパリにもあるようですが誰が食うんですか。結構はやってますよ、パリであんこに市民権与えたのとらやだからね。それまであんこってフランス人にとっては気持ち悪い最たるものだった。ウサギのうんこにしか見えないから。(鹿島)p.172

 とらや、京都、江戸、パリ、うんこ。

 京都の二条通りから南側の商人たちが付き合う権力の館は御所じゃなく二条城だったと思う。京都所司代。今の東京で言うと二条通が霞ヶ関。三条通は東海道に直結しますから経済、いわば日本橋。権力の道が二条通、経済の道が三条通。だから彼らはあまり尊王思想本ないんじゃないか。京都の範囲は丸太町までと言う風なことを言うし。私がショックを受けたのは、二条城の立派さ、京都御所の簡素さ。(井上)p.173

京都も平安時代じゃなく、江戸時代の京都が一番スタンダードな層なのかな。

 京都にも世界遺産はあるんですが、ほとんどが洛外の山沿いなんですよ。中心部に二条城、西本願寺、東寺くらい。要するに都市としての京都市は見るに値しないと国際的に思われているわけです。ビルも全部バラバラです。逆にヨーロッパの建築家を大阪の道頓堀に連れて行ったらみんな感動しますよなんと自由なんだと。また日本のビジネス街で1番が景観整っているのは、間違いなく大阪の御堂筋なんですよ。でも誰もこの文脈で大阪の御堂筋を語らないんですよ。ほんまにかわいそう(井上)p.180

 街は見るに値しない^_^たしかに、コスプレと土産物ばかりか。世界遺産も郊外の山沿いかあ…。中にはデパートと四条通しかないもんなあ。大阪の再発見いいなぁ。

 私の学生時代はまさに立て看板の黄金時代、中核、革マル、民青、それぞれ独特のデザインの立て看板をキャンパスに並べて競っていました。特に赤の色に個性があり、民生はワインレッド、反日共系は朱色。これはどこの大学でも決まっていたようです。(井上)p.183

 私も祖母の家が京大の近くだったので、夏休みはタテカンを見て遊びました。しかし、セクトごとのそんなトリビアがあったとは。まだまだ大学紛争は、掘れる。

 1番良いパリ景観図があるのはロンドンなんです。イギリス人のパリ旅行相手に観光客用で。今パリにある有名ホテルはほとんど全部イギリス系の名前で王侯貴族の名前がつけられている。(鹿島)p.196

 昔パリで入った店が「OLD England」という服屋で、なんで、パリでこの店名なのかなぁと引っかかってましたが、謎がとけました。

 最初は寿司屋じゃなくても焼鳥屋だったんですよ。醤油の照り焼きだ。そう。1980年代まで焼き鳥と言う名前の日本人系の焼き鳥チェーン店があってそこに働いてた難民としてきた中国系が独立して開業した。(鹿島)p.206

 やはり、私がパリで最初に入った飲食店が焼き鳥屋でした^_^大きなバーベキューの串で照り焼きでした。

 イタリア人が今でもフランス料理なんては田舎者の料理だと。(鹿島)p.214

 フランスを見下せるのはイタリアなんだなあ。

 くいだおれは大阪で、京都は食い倒れじゃなかった。ところが和食がユネスコの無形文化遺産になり京料理は和食の原点と言われるせいか、この頃の京都の調理人がちょっと調子こくようなってきてね。以前は、あの人は若い頃大阪で修行しはったから腕は確かやと、大阪印がまぁ技術を保障してたわけですが、最近は京都の方が偉そうにしてます。(井上)p.215

 京都は始末屋さんだから、普段はつつましく漬物やパンがあればいいし、たまに、かしわかお肉ですき焼き、とっておきはお鯛さんあれば最高。外食は中華か洋食をハレとケで使い分けるくらいで、割烹なんかは行かないから、カウンター割烹などの外食店文化は大阪の方が独壇場だったはず。

 パリと京都。世界の都。絶対観光王者。それを相対化できるのはこの2人しかいない。周縁にいる詳しい愛憎を持つ方。その相対化により、あらためて両都市の魅力を感じた。最後には、イケズやて〜、ほな、お気張りやすと、声も聴こえてきました。

画像1


この記事が参加している募集

読書感想文

本を買って読みます。