見出し画像

サブカル大蔵経144本屋図鑑編集部『本屋会議』(夏葉社)

 いつのまにか、本屋さんとお寺を重ねながら読んでいました。

当たり前にあるけど本当に必要なのか。本屋に入るということはどういうことなのか。本屋とはそもそも何なのか。お寺もそうです。

私たちは〈文化〉にどこで会うのか。会うのは果たして〈文化〉なのか。

 現場の声を聞き尋ねるクールさと熱さを兼ね備えた、すごい本でした。

 「町の本屋さんについて一年間考えた」その現在と可能性と。


画像1

ぼくたちが話す本と本屋さんの話と、実際の本と本屋さんの姿には、相当の距離があるように思う。p.12

 客、出版社、作家、本屋。それぞれの立ち位置。本を巡るためらいの中、顧客第一主義のAmazonがそこを突いて、席巻したのでしょうか。

絵本は教材じゃないんです。絵本で何かを伝えるというのではなく、絵本が子どもと保育士のふれあいの時間を作ってくれているんです。p.17

 本の可能性。つなぐアイテムか・・。本を読むのではなく、本を使う。

本屋が中心となった集約です。本屋ほど多様なジャンルを扱っている小売りはないからなんですね。p.37

 地元のビレッジバンガードもコーチャンフォーもそうなっていますが、さらに私の地元だと、ツルハがドラッグストアの域をこえて、薬メインの何でも屋さんになっています。コンビニとスーパーの間で、専門性が少しある。本屋の真似すべきは実はドラックストアなのかな?というか、ツルハで本を売らないのかな?ツルハが本屋になったら・・。

驚くのは、とにかく、佐藤さんがお客さんと会話をしていることだ。p.39

 そういえば、本屋さんの店員に話しかけられたことってないです。しかし、話しかけられたくないから本屋に行くような気がします。でも話しかけらる本屋さんもおもしろいかも。

町には本屋さんが必要なのか。そうした設問から考えていくと、往々にして議論は停止してしまう。なぜなら本屋さんは必要な人にとっては必要だし、必要のない人にとってはいつまでたっても必要のないものだからだ。p.43

 お寺も全くそうだと感じました。立ち場によって断絶があります。必要ないと感じている人が多いと思う。では、<必要>とは何か?というところに考えが及ぶ。カギは、公益性なのか、秘匿性か。

切なる願いと本屋さんの本来的な必要性というものは、まったく別のものであるということだ。本屋さんが必要な理由は、その実用的な意味というよりも、公的な意味というよりも、個々のノスタルジーから来ていると言ったほうが正しいだろう。p.57

 願いと必要性の乖離。これ、まさに私みたいな人間だ・・。本屋が好きとか言いながら、アマゾンで買う方が多くなり、本屋がつぶれると文化が地域が崩壊する、とか勝手なことを言う。公的というより、ノスタルジーか…。お寺もそうなのかもしれない。鉄道も、学校も、駅もそうなっていくのだろうか。

本屋さんが町に必要とされる理由は、しごく簡単に言えば、そこに行けばなにかおもしろいものがある、という人々の経験であり、思い出しかない。文化とか便利と言う理由であれば、本屋さんはこんなに愛されはしないだろう。p.71

 〈なにかおもしろいものがある〉

 これに、しびれました。

 文化よりも、利便性よりも、公益性よりも、おもしろさ。

ぼくは、一冊の本の内容というよりも、また概念としての本の価値というよりも、多種多様で、棚にたくさん並んでいるさまが、本のいちばんの魅力なのではないか、と思う。p.73

 個の内容いかんよりも、その多種多様性を浴びること。

 ここに本と本棚と本屋さんの本質のエキスが詰まっている感じがしました。眺めることも、買うことも、立ち読みもできる場所。

町の本屋は、地域の普通のお客さんを第一義的に相手にしているのだし、そうであるべきだろう。だとしたら、はたして金太郎飴で顔が見えない店は、ほんとうにだめな本屋なのだろうか。そもそも、金太郎飴書店などあるのでろうか。あったとして、それはいけないことなのだろうか。顔の見えるようないい本屋とはいったいどのような店のことなのかと考えてしまう。p.139

 この逆転の発想。そうですよね、お寺も個性が本当に求められているのだろうか?と思います。求められるのは、そこにあること。そして必要な時いつでも扉が開かれること。必要になるその時まで。待てるかどうか・・・。

私に言わせれば、町の書店の雑誌コーナーは死体置き場ですな。豪語するのは雑誌だけの売り上げで全国の7-11で常にベスト3をキープしている船橋栄町オーナーの森龍雄氏だ。p.166

 私も某書店に入った時、本の死体置き場だと思ったことがあります。それは静謐な空間でした。遺体を拾ってくる感じでした。

これまでいろんな仕事をしてきましたけど、はっきりいって、本屋がいちばん大変です。そのことは身にしみてわかりました。ものすごく肉体労働ですし、入荷も思うようにはならないので。取次さんと喧嘩ばかりしてました。p.204

 そうなんですね・・・。どんな職業も大変でしょうけど、私も今でも本屋さんに憧れています。でも、肉体も魂も大変なんだろうなあ…。

わたしはいつか山の中で本屋をやってみたいんですでよね。その場合、もはや本屋の形である必要さえないのかなと。本はどこでも売れるし、どんなものとでも親和性があるから、今の店とはまったく違う工夫ができるはずです。本は本屋だけで売る必要はない。美術館では、うちでは絶対に売れない数千円する本でも買う。つまり、本屋が外へ出ていくということです。p.218

 本屋が外に出ていく。お寺も、もともとそうなのかも。釈尊も親鸞も。仏教もお寺の中やお経の中だけにあるわけではない。それを僧侶が伝えることが実践なんだろうと思います。

この記事が参加している募集

読書感想文

本を買って読みます。