サブカル大蔵経1002『スペクテイターvol.49自然って何だろうか』(エディトリアル・デパートメント/幻冬舎)
うまく答えられなかった問いほど、今でも心に残っているのはありがたい。
学生の頃、印哲の研究室にいた時に、先生がいきなり、「〈自然〉という言葉から何を連想しますか?」と尋ねられました。今思えば大喜利のような。
みんながおそらく上手に答えていた中、私は親鸞の自然法爾のことを話したような。今なら「自然とは庭です」と答えると思います。
そんなモヤモヤした記憶を抱えているので、本書の表題を見た瞬間、購入しました。久しぶりに買った今回の「スペクテイター」は、連載もなくなり、漫画とインタビューと本の紹介に徹していました。
「エコモダニズム」に、衝撃受けました。原発や遺伝子組み換えを是とする論理が、〈環境側〉から出ていることに。反対する人たちもそこを踏まえないと話し合いにもならないのかも。
楽園と荒野ー。この二つの印象が、アメリカ人の自然に対する態度や感受性を形成する原型として、大きく作用していることは間違いないと思われます。p.32
聖書から遡る〈神から認められた征服〉が染み付いている欧米、特に開拓者アメリカ人。これ、もろ北海道ですわ。
自然の楽園と幻想をふりまきながら、落ち葉が汚いと、全て街路樹の枝を払う。寺の境内も、木を切る逡巡の話し合いで毎年が過ぎていきます。
「私は反核から親核に、180度転換した」(スチュアート・ブランド『地球の論点』118頁)p.100
「原子力こそクリーン」だという論理。
前著『ホール・アース・カタログ』でジョブスらに影響を与えたスチュアート・ブランド。ビル・ゲイツやアル・ゴアらアメリカの〈環境派〉はこの思想の影響のもとに活動しているのかも。
福島原発事故の前の2009年刊行なので、事故後は潜めた論理だが、今や温暖化を防ぐ理由で、日本の原発推進派だけでなく、世界の主流な考えになっているのかも。
異端の逆張りの強さと美しさ。
経済成長し、技術革新を進めてこそ、環境問題を解決しうる、と考える。p.106
「エコモダニズム」という考え。一瞬心が動きかけました。経済成長を止めないで、技術で環境を改善できるという考え。ある意味開拓者精神のままなのかもしれない。
【内山節】環境という言葉が出てきた途端、外部の問題になってしまっている。/それは稲作地帯の話ですね。田んぼがあると定員が決まるんです。p.121.127
環境問題を自分のことと思えないこと。田舎のよそものへの迫害意識は水田地域での水の分配が根っこにあると。
【坂田昌子】自然は絶対に優しくないですよ。/私はいろんな運動の現場を見てきたけれど、言ってしまえば自分を愛してしまっているだけの人たちがすごく多い。「運動している自分を認めてほしい」ような承認欲求がすごくあって、社会から疎外されたから運動に入ってくるような人が圧倒的に多かったんですね。純粋ではあるんだけれど、この人は社会に出たら通用しないんだろうなと。p.142.149
冷たい物言いにも聞こえるが、よほど大変な内ゲバを体験してきたのだろうと思わされます。環境問題への取り組みに付随するやる気を削ぐイデオロギー的な活動の問題点。真面目という旗頭の危険性。