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サブカル大蔵経257山口文憲『空腹の王子』(新潮文庫)

『香港旅の雑学ノート』や、津野海太郎さんの本で出会った山口文憲さんの本書は、グルメブーム、健康ブーム華やかな頃、食事とは何かを再考察させた革命の書。

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私にとってはあのテーブルがいわば家のちゃぶ台で、あの料理がいわば家で食う飯。p.18

 ファミレスを肯定する。その一点が革命を起こしました。日本以外の外食文化の常識を日本人にぶつけたのかもしれません。

ハンバーグは豆腐のように柔らかく、焼き鳥はパサパサして歯ごたえがなく、そして茄子はぐにゃりとしていて、もやしは水っぽい。しかし私はこの照り焼きハンバーグという奇怪な皿をそれはこよなく愛好している。p.20

 美味しいとは何か。の再考。

他の人はどうか知らないが、私はこの幸せを手放したくないと思う。せっかくあの日の夢が現実になったと言うのに、またあのつまらない家庭の食卓に遣わされて面白くもない家庭の食事をさせるので私はまっぴらである。p.21

 ひとりめしの自由。『孤独のグルメ』や『めしばな刑事タチバナ』の源流なのではないかと思います。手放したくない!すごい台詞だ。

小津は家庭の食卓と家庭料理に偽善と欺瞞と悪意とまやかしを見、独り者のアパートのカツ丼に正義と人道と誠実と高潔と言う愛と自由を見ているのである。p.25

 小津作品の食べ物シーンには何か揺さぶられるものがあります。古臭いようでいて、実はもう今は失われた自由さが描かれていたのでしょうか。食堂の雑然、タバコ、そして、女性が取るアパートの出前。

人が自分用の箸や茶碗を持たないで生きていく。このことが、日本文化の中では特に大きな意味を持つことに気がついた。p.31

 香港やアジアに精通した著者の卓見。

外食は楽しい、毎日が面白い。と言うコンセプトの大衆食堂を作れば、これはいけるはずだと私はかねがね思っていた。そうしたらそういう店がもう既にあったのである。ご飯de大戸屋というのがそれだ。p.108

 まさにチェーン展開を始めた大戸屋が、この時点で生まれつつあったんですね。そして買収された今…。明日食べに行こう。

喫茶店とは何かと聞かれたら、十分なスペースがあって静かでホテルのバスルームのようであるけど殺風景な効果を提供してくれる店と私なら答えるだろう。要するに自己表現をおさえにおさえて意図的に無個性を装った店。p.117

 今のカフェは主張しすぎているのかも。

餃子ライスにはもっとビックリしていた。焼いたお餅をおかずにして、ごはんを食べるようなものだからだろう。p.192

 アジア標準。それで、昔、宇都宮の餃子店に行った時ご飯がなかったんだ…!

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