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サブカル大蔵経932若松英輔『悲しみの秘儀』(文春文庫)

若松英輔さん。今までも共著でその文章に触れてきました。抑制された筆致で、どこか独特な立ち位置なのが印象的でした。

本書では〈悲しみの専門家〉というべき、自他の悲痛に耳を傾けていく力

読むことには、書くこととはまったく異なる意味がある。書かれた言葉はいつも、読まれることによってのみ、この世に生を受けるからだ。p.113

悲しむ人を共同作業に連帯させていく。

考えてみれば当然のことだが、人は、一瞬たりとも同じ存在ではあり得ない。今の私は、明日の私とは違う。p.214

一人ではない。

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すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
(宮澤賢治「小岩井農場」)p.15

 賢治と軌道。銀河鉄道ではない軌道。その細い線路を悲しみの石炭を焚べて行く。

重大な発見があるのではないかと強く身構える時、その人の中で、ほとんど無意識的に「重大なもの」が設定されてしまう。そして、その想定から外れるものを見過ごす。p.29

 はずれたものこそ大事なのでは、と。「ちゃぶ台」7号で取り上げたテーマ「ふれる、もれる、すくわれる」そのものか。

「信仰とは頭で考えることではなく、生きてみることではないだろうか。知ることではなく、歩いてみることではないだろうか」この一言が私を変えた。p.75.76

 悩む若き頃の著者に、まず感謝してから諭されたという井上神父との出会い。信仰とは、頭でっかちではない。

「おかしゃん、はなば」p.110

 地を這い、肘から血を流しながら、舞い落ちる花びらを拾おうとする女の子を語る石牟礼道子。

その皮膚の下には
骨のヴァイオリンがあるといふのに
風が不意にそれを
鳴らしはせぬか
(堀辰雄「詩」)p.167

 肉体を透かす堀辰雄の異能

「ありがとう。でもいいの。私が感じていることをそのまま口にしたら、聞いたあなたはきっと、耐えられないと思うから」p.180

 最も身近な方の入院。私も昨年まで病床の父を見舞う時、何もできませんでした。どう思っていたのか、考えると…。

「愛し、そして喪ったということは、いちども愛したことがないよりも、よいことなのだ。」p.184

 神谷美恵子の訳したテニスンの言葉。言葉を紡ぐ人、それを掬い上げ紹介する人。その連関の中に、著者は私たち読者も参加させようとしてくれる。

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