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サブカル大蔵経254伊達雅彦『傷だらけの店長』(PARCO出版)

書店員にとって「明日やろう」という言葉はない。p.5  

 ブラック認定漂う端的な言葉。

本書を読んでから、書店で棚の整理や本運びをしている店員さんが気になるようになりました。大丈夫ですか、と。

台車に積み上げた本の山を見てうんざりする。本なんかもう見たくないと思う。本が好きで書店員になった。本が好きな気持ちは今も変わらない。しかし本が本当に好きなら書店になるべきではなかったのかもしれないと思い始めている。(中略)どうして私はここにいるのだろう。p.6

 狭い書庫の整理をしただけでも、本は重たいと思いました。それを何度も往復するだけで一日が終わる。本とはなんだろう。

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すでにキャンセルになったその本は、行き場を失い、申し訳なさそうに私のデスクの上で小さくなっている。この本には何の罪もない。p.30

 本の擬人化…!無理矢理なあざとさではなく、本と常に接しているからこそ、その行末を背負っているからこその擬人化…!

取次「動きの鈍い商品はバーンと返品して、当社推奨の商品にドーンと入れ替えましょう。」p.132

 客には見えない取次という存在。

よく「面白い書店が減った」「個性的な書店が消えていく」という声を聞くが、それは面白さや個性では書店の経営が成り立たないからである。p.164

 書店。何か根本的な営利上の問題があるのだろうか。そこをAmazonのベソスは突いてきた。

返品すべきもの?そんな本など一冊もありはしない。どれも、私がじっくり選んで仕入れた本だ。p.220

 この台詞に出会えた喜びと哀しみ。

結局、俺の自己満足だった、ということなのだろうか?p.222

 この言葉が出てくる人は、実はそうならないように細心の配慮と苦労をしている人のはず。だからこそ、裏切られた感が抑えきれないのでは。

探していた本を見つけたときの喜び。意外な本にであう楽しさ。客がそれをかなえる空間を創り上げることのみを夢見て、書店員を続けていた。p.264

 客がかなえる空間を夢見て…。本に出会えた喜び…。そういえば自分もそうだった。オンラインの功罪…。

「本を殺す」のは私のような考え方の人間なのかもしれない。p.265

 寺や儀礼や法話にこだわりすぎて、それが一般の方と仏教の断絶を作っているかもしれない。書店には絶望しても本には絶望しないと、寺に絶望して滅びても仏教は滅びないというのと似てるかな、やっぱり。

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