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サブカル大蔵経375矢野和男『データの見えざる手』(草思社文庫)

我々は1日の活動時間が約900分を生きる中で、約70,000回の腕の動きを各1分1分に配分している。p.41

 腕に装置をつけて測ったデータを駆使。なんとなく怪しいんだけど、見立てが独特で秀逸でした。日立の人です。

人間は、我々が想像するよりはるかに短期間のうちに、よくも悪くも、自分の周りの環境要因の変化に慣れてしまうのだ。/これら環境要因を全て合わせても幸せに対する影響は全体の10%に過ぎないのだ。/それでは残りの40%は何だろう。それは、日々の行動のちょっとした習慣や行動の選択の仕方によるというのだ。特に、自分から積極的に行動起こしたかどうかが重要なのだ。自ら意図を持って何かを行うことで、人は幸福感を得る。/成功したかが重要なのではない。行動を起こすこと自体が、人の幸せなのである。p.73

 いいことも悪いことも特別なことも慣れてしまう私たち。毎日が面白くないのは、環境のせいではない。ちょっとした行動が人を充実させるのだ。ありがとうの挨拶でもいいのだと。

幸せな人の体はよく動くp.82

 とにかく動いている時に幸せを感じるというデータ。感じて動く、感動?

身体運動は伝染する。ハピネスも伝染する。/ハピネスとは実は集団現象だということになる。ハピネスは、個人の中に閉じて生じると捉えるより、むしろ集団において人と人との間の相互作用の中に起こる現象と捉えるべきなのだ。そして、集団にハピネスが起きれば、企業の業績・生産性が高まる。p.96.99

 小乗ではなく大乗的なハピネス。学業や仕事や家事だけでなく、お寺もそうかも。やらされるのではなく、能動的に動けるとお浄土か。それが一向一揆の本質か?

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資源の分配が偏るのは、決して能力や努力によるものではなく、やり取りの繰り返しによる統計的な力である。p.39

 統計によれば、個人の差ではないと。

1日のTODOとその各項目の時間配分を、自分の自由になると思っているのは、全く幻想であることもわかる。/我々の生活は、残りのガソリン量を全く知らずに、車を運転してるようなものだ。p.52

 これ読んでから、1日のペース配分無理しないようになりました。

皮肉なことに、自由には代償が伴う。常に自由であれ、と言う事はそれ自体が逆説的であるが、制約になってしまう。/自由度を認めると言うことが、/「活動の効率」を制約する。p.60

 休日にダラダラしてあっという間に終わるのがこれなんでしょうかね。それもいいと思いますけどね。

(運とは)「確率的に、自分が必要とする知識や情報や力を持っている人に出会うこと」と言っても良いだろう。p.147

 運とは何が運ばれてくるのか。自分を高める人との出会いが運ばれてくると。仏教でいう〈善知識〉のことかもしれません。

AIが置き換えるのは、人の労働ではない。従来我々が頼ってきた「ルール指向」と言う考え方やそれを支える仕組みを「アウトカム指向」に置き換えるのである。p.269

 人間がAIに置き換わるという発想より、もっと複雑で相互的な関係か、より大きな展開か。

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