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サブカル大蔵経190ライアル・ワトソン/福岡伸一翻訳『思考する豚』(木楽舎)

 家畜のことを考える時、楳図かずお『14歳』と藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』の両漫画作品が浮かびます。

 そこでは家畜と人間の逆転と反乱が描かれます。しかし、家畜と人間が逆転したとしても動物が人間的になるだけと言うことが突きつけられ、権力側・喰う側の立場の暴力性が伝わります。

 肉を食う側と食われる側に理由はあるのか。喰われたことのない私たちがいきなり理由なく喰われる存在になるからこそ『進撃の巨人』も衝撃的だったと思います。ゾンビものもそう。

 本書は、豚の側に視点を置いた書き方ですが、何かやはり西洋的な人間の上から目線的ヒューマニズムが見え隠れする限界を感じました。それでも、豚と私、豚と人間、豚と食肉。向かい合う貴重な機会。福岡イズムも随所に。アニマルウエルフェアとかヴィーガンとかよりもっと根本的な提示だと思いました。

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豚は私たちを不安にさせる。p.20

 私が最初に豚のことを考えたのは、肉屋さんでの豚の笑顔のイラストを見た時でした。この笑みは?そこに〈理由づけ〉があるような気がして。

様々な種類の食べ物の刺激は、知的な営みを増進させるのに大きな役割を果たしてきた。好奇心、探索、保存。p.44

 雑食が知能を高めたということらしい。

農夫は自分の豚をかわいがり、そしてその肉を喜んで塩漬けにする。ここで重要であり、そして都会に住む異邦人に理解し難いのは、この文が<しかし>という言葉ではなく<そして>という言葉によって結ばれていることである。ジョン・バージャーp.151

 家庭菜園との違いは何でしょうか。

コーンベルト、トウモロコシは豚肉生産に革命をもたらした。何もかもが変わった。p.223

 工場製品としての畜産。畜産業。

豚の心臓や動脈は、私たちのものと同じパターンをとる。彼らの体は私たちと同じ種類の食べ物を欲し、同じように消化する。また、ストレスの下で私たちと同じ消化性潰瘍を患う。私たちは共に雑食動物であり、運動不足になり太りがちである。ともにアルコール飲料を好む。豚の歯は騙されそうなほど私たちの歯に似ており、歯の研究には願ってもない模型となる。豚は私たちと同じようにガンにもリウマチにも関節炎にもかかり、薬物療法や放射線療法に対して私たちとかなり近い反応示す。こうして、豚は今や移植技術の最前線に立っている。(中略)今や私たちのうちの誰が100%人間なのか、少なくとも1部が豚なのか、ほとんど見分けがつかなくなっているのだから。p.234

 免疫学的にも人に近いとされる豚。臓器移植も脳死の問題も解決されて、医療のために豚を飼って、豚を食べてたなんて信じられないという時代が来るのかもしれない。

 実は豚は人そのものだった。いや、豚こそが人らしさを残しているのかもしれません。リアル・オーウェル『動物農場』ですね。ただ、まだ、〈人間から見た豚〉という人間目線のような気がします。

 日本だと、ゾンビも鬼もクローンも、〈人ならざるものが人間よりも人間らしい〉という逆説が提示される気がします。

食べていいのか。親近感と言うのか、はっきりとは言えないのだが、簡単には片付けられない何か大いに民主的なものが豚の瞳の向こうにあるような気がするのを否めない。(中略)ルイス・ブロムフィールド曰く「豚は棚越しに眺めるだけ、絶対に人間の生活に持ち込んではダメだ。豚の命を絶ってしまうと自分は人食い人種か殺人者なんだと言う思いに一生さいなまれることになるだろうから。p.241

 Facebookでペット・家族として豚を飼っている方のページを登録しているんですが、部屋で寝転ぶ豚の姿は何の心配も無さそうな可愛さと巨大化するグロテスクさが共存しています。今まで見たことのない風景。食べられなかった豚の姿と生活。やはり食べてあげたほうが良かったのでは?と思う自分にどきり。

以前はハンセン病も豚の乳のせいにされていて、豚買いがエジプトの神殿に近づけなかったのは、そういった概念があったからと思われる。p.274

 タブーの誕生に病理の理由づけが。

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