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サブカル大蔵経977有島武郎『一房の葡萄』(岩波文庫)

童話と思って馬鹿にしてたらガツンと殴られた短編集。夢野久作や宮沢賢治よりも恐怖な文体。アリス的?まことちゃん的?

読んでいて、かなり気持ち悪くなるのは、子供特有と思われていた残酷さや身勝手さが、何ら変わらず私の根っこに在るということを突きつけられたからでしょう。

表紙にも「人生の真実が明暗とともに容赦なく書きこまれており」とあります。有島武郎は我が子に本書を書き遺したらしいが翌年に自殺したということは、自身の懺悔だったのかなと感じました。そういえば札幌の有島武郎記念館行ったことあるな…。

本書は、これでもかというくらい取り返しのつかないことの連続。そのときなぜか、保身しか浮かばない主人公の子供たち。

1992年第5刷210円。安くて薄いから買った記憶があります。そのまま約30年、寝かされてきた本に、叩き起こされました。

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「一房の葡萄」
僕はかわいい顔はしていたかも知れないが、体も心も弱い子でした。p.11

 今なら総ツッコミされるような箇所。あえてツッコまれるエサを撒いて行くのが、有島武郎イズムなのか。

「溺れかけた兄妹」
こうなると自分の命が助かりたかったのです。妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流されて命がないのは知れ切っていました。私はそれが恐ろしかったのです。p.33

 人間の嫌らしさをしかない心の機微をよくここまで表せることに感心させられる。そして、それを直せとか、軽蔑しなさい、ではなく、ただ吐かせる。

私は少し安心して、若者の肩に手をかけて何かいおうとすると、若者はうるさそうに私の手を払いのけて、p.38

 印象的な箇所でした。解説では、この若者が救済者的存在として描かれているとしますが、若者の態度からそうは思えない。おそらく岸にあがるまで、妹から兄の非道を聞かされていたのだと思う。それは、主人公の背負う絶望の始まりではないのか。

「碁石を呑んだ八っちやん」
僕は気味が悪くなって来た。p.52

 相手よりも自分の気持ちが優先。これはまさに本書を読んでいる私である。

「水は僕が持っていくんだい。お母さんは僕に水を…」p.56

 本書の主人公達は皆、邪魔やとばかりに跳ね除けられる。自分だけ居場所がない。このセリフの場面も、一番腹が立ったけど納得した箇所。除け者にされたくない私。わたしを見てほしい、存在に気づいてほしい、褒めて欲しい、その場にいていいと、認めてほしい。子供も大人も変わらない。

〈僕の帽子のお話〉
僕はいくらそんな所を探したって僕はいるものかと思いながらp.76

 私も子供の時、祖母に買ってもらった腕時計を失くしたことが、人生の一大事件でした。あれからずっと、失くすことと探すことの繰り返し。

〈火事とポチ〉
離れに行ったら、これがお婆さまか、これがお父さんか、これがお母さんかと驚くほどに皆んな変っていた。p.93

 これも楳図かずお的。ママがこわい!

僕たちは、火事のあった次ぎの日からは、いつもの通りの気持になった。そればかりではない、かえって不断より面白い位だった。p.95

 悲しむ人と喜ぶ人はどうしてここまで断絶するのか。同じ人間の中でも、入れ替わり繰り返される。

どうしても妹が悪いんだと思った。妹が憎らしくなった。p.99

 責任転嫁することでしか保てない自分。自分のせいではない、ということが全てのスタートになる生き方。そのスタートに立たせてくれと。

ポチだかどこの犬だか分らないほど穢なくなっていた。駆けこんでいった僕は思わず後ずさりした。p.101

 飼っていた犬のことと、ねずみ取りに捕まったネズミを助けてやろうと結局凍死させたことを思い出しました。

〈解説 中野孝次〉
彼の残した六篇のうち、だからこの「かたわ者」だけは本文庫に収録しないことにした。p.110

 読みたい…。中野孝次の変な良心が…。ボスをあれだけ評価してたのに!


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