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サブカル大蔵経151パム・スミス/武井麻子『感情労働としての看護』(ゆみる出版)

 五年前から地元の看護学校の倫理の授業を担当しているのですが、いろいろ試行錯誤しながら、自分でレジュメを作ってさまざまな本を紹介しています。

先日の授業では、星野源の『そして生活はつづく』と鎌田東二『翁童論』について語りました。生活の大切さと、子供と老人こそが人間を生き、大人は肩書きの中でしか生きていないと。だからみなさんは人間になってください、看護師は人間になる職場かもしれませんと。

 この本の内容はまだ消化しきれていないので話していませんが、いつか伝えたいです。しかし現場の悩みに届くのだろうか。

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高齢者病棟では、大げさな先端技術はともかく、ちょっとしたことが非常に重要になるのです。p.2

 ささいなことこそが大切だと、ナイチンゲールも言っています。著者『看護覚え書』の中でティーカップの皿にこぼれた紅茶のしずくをきちんと拭いてあげることを重点項目に挙げていました。紅茶という日常の大切さと、ささいなことから、二次感染が起きることの危険性と。

感情労働とは、明るく親切でしかも安全な場所でお世話されていると他者に感じてもらえるような外見を保つために感情を出したり抑えたりすることp.8

 自分の思いより、まず相手の気持ち。部屋に閉じ込められた相手の観察眼にどう映るのか。みやぞん曰く「自分の機嫌は自分で取る」しかない。

感情労働とは、私的な文脈で行われる感情ワークや感情管理を職業として行うものです。それは賃金を対価として売られており交換価値を持っているのです。p.9

 数値化・データ化しづらい概念。しかし価値がある「感情」という概念。

ケアという概念は対立と矛盾に満ちています。労働か愛情か。自然か技能か。感情か業務か。心か頭か。p.15

 この葛藤はついて回ります。私の父が看護学校の講師をしていた時「看護師は、仏の心で鬼の手を持ってほしい」と話していたらしい。私は今父の跡を受け継いでいるのですが、先日生徒にこの話を伝えました。

この学生は、自分がどれだけ弱り果ててしまったか。p.22

 真面目な人ほど、折れてしまう。判断の難しさ。仕事より生活を大事に。

患者に尋ねた看護師の理想。技術より態度・感じ。p.24

 その理想の態度はどこから顕れて来るのだろうか。とにかくまずは見た目と機嫌。そして言葉遣いでしょうか。いきなり受け身取ろうとしても難しいと思います。

患者。看護師はスーパーマーケットの店員よりも人の言いなりになっている。自分も人間だと言うことを忘れてはいけませんよ、と言いたい。p.27

 看護師こそ人間。ロボットではない。

学生は、患者が亡くなった時に裏切られたと感じると語りました。非番の間に死なれた時。ケアを完結できなかった。死に立ち会えなかった。p.161

 完結できないことへの後悔なのか。「裏切られた」か…。

死は予期できない。管理できないp.164

 管理できると思っている私たち。

死をめぐる技術労働と感情労働。何も感じなくなる問題。p.170

 死に対する麻痺。感情を抑える指導?泣いてもいい指導?

反応の仕方は学習できない。p.184

 学者・勉強主義の功罪。

学生たちが変わっていく。看護を基本的・人間的から、治療・技術の絶対的事実へ。スタッフの圧力。p.187

 これが最重要問題。対人間から技術への圧力は看護師を医師の奴隷にしていく。

本質的には、看護という仕事は、肉体労働でもなく頭脳労働でもなく、ほかならぬ感情労働そのものです。p.266

 この視点。なおざりにされる「感情」。

ケアリングを正しく日本語に訳すとすれば、気配り、気づかい。p.272

 ケア。日常。どれだけ救われるか。

ケアリングは看護を学ぶ学生にも向けられるべき。婦長やスタッフから心配されて案じられること。p.272

 学生を看護する。長の仕事か。ケアする人のケア。

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