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「ありがとう」と「すいません」は、類義語ではないよな。

なんも書くこと思いつかないし、今日はnoteおサボりしよっかなあ〜

なーんて考えていたところに、THE・共感でしかないnoteを見つけてしまい、一気にやる気スイッチが入りました。

とりあえず皆さん、犬田メメ(めぬ)さんのこのnoteを読んでいただきたい。

息を吸うように、必要のない謝罪を繰り出してしまう。

自分にも、自分のまわりにも、めちゃくちゃ心当たりがあります。

たとえば、私の父。

決して気弱な性格ではありませんが(繊細ではあるかも?)、なーんか挨拶するように、人に謝るんですよね。

店員からお釣りを受け取るとき、お店で注文をするとき、誰かと電話しているとき。

親父はこの人になんか恨まれるようなことでもしたんか??と聞きたくなるほど、「すいません、すいません」と言いながらお釣りを受け取っています。


いや、そこは「ありがとう」でええやろ。


多分本人は無意識だし、きっと丁寧に謙るつもりでやっているのだろうと思っているので、あえてツッコんだことはありません。ツッコんだらなんか怒られそうだし。

私も私で人のことは言えず、「ありがとう」といえばいいところを、最上級の謝罪を繰り出すこともあります。

「お忙しいところ、大変申し訳ございません。ありがとうございます!」みたいな。

今その切り札を使ってしまったら、本当に謝罪が必要なときはいったいどんな言葉で詫びればいいのやら。
普通に「お忙しいところありがとうございます!」でいいじゃんね。


日本には「謙譲語」という謎文化があるせいか、とりあえず自分を下げておけば、なんか丁寧っぽく見える風潮があります。

特に、私や父のように、感謝の言葉を謝罪に置き換える人って、正直めちゃくちゃ多いと思う。

自分を下げることは、相手への気遣いの方法として間違いないではないし、それによってコミュニケーションが円滑に進むときもあるでしょう。


でも、謝罪は、簡単にすればするほど軽くなる。


必要以上に謝っていると、自己肯定感を抉ってしまうだけでなく、「すいません」「ごめんね」といった謝罪の言葉の重みすら、失ってしまうように思います。

アイツなんかいつもテキトーに「すいません」って言ってるよなって、思われても仕方ない気がするんです。

それに、私が謝り過ぎることで、相手にも「あ、なんか言い方キツかった…?」と余計な気を遣わせてしまうかもしれない。

実際私も、相手に急に謝られると、「あれ、私なんか感じ悪かったかしら……」とすごく心配になります。

そう考えると、気遣いのつもりの枕詞「すいません」は、実は全然相手を気遣えていないのかも。かえって相手に気を遣わすような気遣いは、二流ですからね。(※個人の感覚です。)


そして、メメさんのnoteにもあるように、必要以上に謝ることは、自分のメンタルをグサグサ刺してしまうんですよ。

なーんも悪いことしてないはずなのに、とりあえず丁寧のつもりで「すいません」って言ってると、なんか悪いことしたような気分になってくる。これはイカン。


「ありがとう」と「すいません」は、類義語ではない。


感謝を伝えるシーンでは、なるべく「すいません」よりも「ありがとう」を選んでいきたいです。

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