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「私にだってできたんだから」は、なんの慰めにもならんよな。

いつからか覚えていないけど、極力いわないように意識するようになった言葉があります。

もうタイトルで、すでにネタバレしてるんですけど。


ー私にだってできたんだから、あなたにもできるよ!

私、こう見えて(どう見えて?)人にものを教える・伝える経験がけっこう長いんですよね。
音楽大学在学中から、講師として音楽のレッスンをしてきました。

多分20歳くらいのころからやってるので、かれこれ10年近くなりますね。時の流れは早いもんです。

始めたての頃は吹奏楽部の中高生が生徒だったものの、その後もっと小さい小学生とか、趣味でやってる大人の方とか、わりと幅広い人を相手にし始めたときに、ふと気がついたんです。


「私にもできたんで〜……」って、ぶっちゃけ全然慰めにも励ましにもならないのでは???


昔は、なーんにも考えずによく生徒にいってました。
「私にもできたから、練習すればきっとできるよ!」って。

私がある程度楽器の演奏ができたり、音楽の知識・技術を活かして講師業をできているのは、いうまでもなく練習・勉強したから。

今でも、特に自分に秀でた才能があったとは微塵も思っておらず、ここに関しては本当に鍛錬でどうにかしてきたな、というのが正直なところです。

だからこそ「才能のない私でもここまで来れたから、あなたもきっと上手くいくよ!」と励ましたかったのですが、そもそも生徒と私は別の人間であって、バックグラウンドが全然違うんですよね。

私の場合、音楽に対する秀でた才能はなかったけど、ほかに恵まれていることがたくさんありました。


まず、両親がめちゃくちゃ協力的だったこと。

経済的に苦しい部分がありつつも、「音楽やりたい!頑張りたい!」という気持ちを100%肯定してくれ、レッスンの送り迎えも毎回してくれました。

そんな両親のおかげで、私はなーんにも心配することなく、好きなだけ練習・勉強に時間を費やすことができたんです。


もうひとつは、高校生のときに師事した先生がすごく熱心に教えてくれる人だったこと。

私は、徳島県という全然栄えていない地域に住んでいましたが、高校生のときに師事していた先生が、必ず年に1回東京に連れ出してくれました。

都会で学ぶ同年代の子たちレベルの高さを知り、東京のプロの先生にレッスンを受ける機会を作ってくれたんです。

年に1回とはいえすごくいい刺激だったし、自ら情報収集をする能力すらなかった私を半ば強制的(?)に東京に連れ出してくれたのは、本当に貴重な体験でした。

そんな恵まれた環境で音大受験をし、実際に大学に入ってからは、四六時中寝ても覚めても音楽ばっかりやってたわけで。


そりゃあ、この環境でこんだけのプロセスを踏めば、多少才能がなくても人並みに技術・知識が身につくのも、自然なことなんですよ。


私が見ている生徒たちは、必ずしも音楽ばっかりやってればいいわけでなく、ほかにも頑張らないといけないことがあったり、周りが100%肯定的ではなかったり……ってことが有り得るわけで。

当たり前だけど、全然私と同じではないんですよね。

そんな私に「私にだってできたんだから〜……」っていわれたって、別に嬉しくもなんともないだろうし、なんなら「いや、お前はそうかもしれんがな」って心の中で反論されてもおかしくないです。

私にはできても、相手にとっては難しいことなんて、死ぬほどいっぱいある。

共感を持つことは大切だけど、相手を分かったような言い方をしたり、「自分と似てる」と勝手にラベリングするのは、なんかちょっと違うよな。


その後、パラレルワーカーとして働きはじめてから音楽以外にも色々な人と接するようになり、余計にこのことを考えるようになりました。

なにが正解かなんて、きっと一生分からないけど、人のバックグラウンドを想像するってすごく大切だな〜と思う今日この頃です。

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