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手放せない感情は、蓄積されて闇になる。

ストレス発散の方法って色々あるけど、やっぱり一番は自分の中から嫌な気持ちを手放してしまうことだと思うんです。

手放す方法として簡単で有効なのは、人に話すこと・文字に書き起こすこと。

なにかモヤることがあったとき、直接相手には言えなくても、愚痴を聞いてくれる人がいたり、思いの丈を書き残したりすれば昇華されることも多いです。

私自身もnoteをはじめてから、世の中に対するモヤモヤとか自分に対するコンプレックスとか、複雑な気持ちをなるべく包み隠さずに書いてきました。

何年もずーっと抜け出せなかった闇も、書いてしまえばラクになる。
自分の怒りや悲しみを紐解いて文字に書き起こし終わると、不思議と「もういっか」という気持ちになれるのです。

負の感情を自分の中から追い出す手段として、アウトプットはとっても有効。

これからも、世の中のモヤモヤをぶった斬っていきます!!!

……と言いたいところなのですが。


意外とそうもいかないんですよ、コレが。

noteもいってしまえばSNSのひとつなので、どこで誰が見ているか分からない。

私のnoteもありがたいことに少しずつフォロワーも増え、リアルの知り合いも実はこっそり(?)読んでくれているようで、会うと「note読んでるよ〜!」なんて言われちゃうこともあるわけで。

だからね、ここ最近は「あちゃ〜!もう下手なことは書けないな〜!」という気持ちが強くなり、ストレートなもの言いは避けないといけないと感じてしまうんです。
くそぅ、これが本名でnoteをやった弊害か……(そうじゃない)

もちろん、元より人の悪口を書くつもりはありませんが、本当は吐き出したいけれど「いや、これは書いちゃダメだろう」と気持ちにフタをして、途中まで書いて削除したnoteがたくさんあります。

そして、書けなかったことは、相手に言えなかったときと同じように、ずっと自分のお腹の辺りをぐるぐる巡っているのです。


うまく吐き出せなかったイライラ、モヤモヤは、少しずつ蓄積されて、いつか大きな闇になる。


人が変わってしまう原因ってなにも大きなショッキングな事件だけではなくて、そういう日常の些細なストレスの蓄積が、少しずつ思考や人格を歪めていくものだと思います。

いつものことながら例えがすごく悪いですが、殺人犯が「特に理由はなかった」「誰でもよかった」と言いがちなのも、要はそういうことなんじゃないだろうか。

「なんか自分、いつにも増して性格悪くね?」と感じるときって、必ずと言っていいほど自分の感情の手放しが上手くいっていません。

嫌な感情は、そんなにいつまでも自分の懐で温め続ける必要なんてない。
自分の中に太い根を張る前に、ほかのところに植え替えてしまえばいい。

今の私にとっての最適な植え替え場所はnoteですが、ここにも植え替えられないことは、また別の移植先を探す必要がありそうです。

あ、noteを辞めるわけじゃないよ(笑)

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