苦労から優しさは生まれない。優しさを作るのは、いつだって優しさだ。
たくさん傷ついた人は、その分人に優しくできる。涙の数だけ強くなれる。
これ、本当にそうかな?ってずっと疑ってます。
どうも、捻くれ者のみきてぃです。
ここ数年で「私、ずいぶん丸くなったな」と感じていますが、昔はとんでもなく尖ってました。
口は悪いし(それは今もか)、相手が言い返せなくなるまで詰めてしまうし、いわゆる「いい子」みたいな子は、なんか気に入らないし。ほんと最低だったんです。
このあたりは、私の心の歪みを書き記しているマガジンがあるので、興味がある人は読んでいただけると嬉しいです。最近更新サボってますが。(苦笑)
さて、本題に戻りますが、私は「苦労した分、人に優しくなれる説」をまったく信用していません。
だって、私がそうだから。
なにをもって「苦労」と呼ぶかは人それぞれですが、私は私なりにそこそこ苦労してきたと思っています。
お金のこと、人間関係のこと、その他諸々。
幼少期から社会人になるくらいまでを思い返すと、人から優しくしてもらった思い出ってあんまり出てこないんですよね。
もし、身内がこのnoteを見ていたら「恩を忘れやがって!!!!」と怒られるかもしれませんが、なにか思い出そうとすると、どうしても嫌なことばかり思い出します。
小さい頃から鍵っ子で、なんでも1人で出来ないといけなかったこと。
幼少期、兄と父からは「好きな子をいじめる」くらいのノリで、毎日毎日変なあだ名で呼ばれてからかわれていたこと。
それに対していじけていたら、母に怒られたこと。
勉強するお金がどうしても足りなくて、大学生にして消費者金融で借金をしてしまったこと。
「先生」と呼んでいた人から「あなたにはコレを勉強する資格なんてない」と激怒されたこと。
別によくある話だし、ひとつひとつは全然深刻ではないのですが、そんな小さな苦労・嫌な思い出が多すぎて、全然よかったことが思い出せない。
そんなんだから「私は苦労してきた」「私は頑張ってきた」って気持ちが強くなって、自分より苦労してなさそうに見える人が許せなかったのです。
そう見えるだけで、本当はその人も死ぬほど苦労しているかもしれないのに。
さて、そんな私がどうして改心できたかというと、答えはカンタン。
人に優しくしてもらったからです。
会社員時代、体調不良で休みがちだった私を心配して、LINEをくれた同僚がいたこと。
コロナにかかって仕事をリスケしたとき、迷惑かけちゃったのに「買い物行けないだろうから」って、出前館のギフト券を送ってくれた人がいたこと。
楽しみだった旅行の日に雨が降って、SNSにいじけツイートをしたら、いつもお世話になってる人が「雨でも楽しめるといいね」ってスタバのギフト券をくれたこと。
優しさを受け取ることに慣れていない私は、「どうして?」「なんかお返ししないと嫌われる?」とか色々考えてしまうけど、きっとそこに明確な目的みたいなものなんて、ないんですよね。
ただ、私のことが心配だったから。
大変だと思ったから。
元気を出してほしいと思ったから。
そんな気持ちで贈ってくれた、見返りのない「優しさ」なんだと思います。
そして、無償の優しさに気がついたとき、私も「人に優しくなりたい」と思うようになりました。
ものを貰ったからものを返すのではなくて、困っているとき・悲しんでいるときに「優しさ」を貰った分、私も誰かが困っているときに「優しさ」を返したい。
苦労から優しさは生まれない。
優しさを作るのは、いつだって優しさだ。
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