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下手くそな話でも、優しい人にはきっと伝わる。

人に自分の想いや考えを伝えるのって、すごくすごく難しい。

答えはごくシンプルだったとしても、「感じよく伝えるには」「嫌な印象を与えないためには」を考えると、未だに最適解が分かりません。28年も人間やってるのに。

特に私の場合、人の気持ちに寄り添うより先に正論をぶっ込んでしまうクセがあります。
っていうのを、憧れのフリーランサーであるゆぴさんのツイートを通して、改めて「それな!」と共感したのですが。

昔の私は、「いやいや、正しいこと言ってなにが悪いの?」と平気で言っちゃうくらい尖っていました。(ヤバい)

でも、悪気の有るなしに関わらず人を傷付けてしまうし、「人から嫌われる」という現象を通して自分も傷付いて、マジでいいことがなんもない。ということで、ここ数年はものの言い方・伝え方をすごく気を付けているつもりです。

そうすると次はなにが起こるかというとね、


「あの…えと……」とフリーズしたり、とんちんかんな回答を繰り出すコミュ障が爆誕します。


まあ、コミュ障は今にはじまったワケではないんですが、「自分は言い方がキツい」と自覚し始めたあたりからはさらに拍車がかかったというか、なんというか。

なにか意見を求められたとき、心の中ではハッキリ回答が出ているのに

「いや、こういう言い方は良くないか…。でも誤解されるのも嫌だしどう伝えれば……?」

と迷っているうちに、なにを言っているのか分からなくなります。


オブラートに包もうとすると、いらん情報を追加してしまったり、聞かれていることの核心を捉えた回答をできなかったり。

脳内が大混乱して、喋らなさすぎたり、ときには喋りすぎたりしてしまうんですよね。

「喋らなさすぎ or 喋りすぎ」は、ここ数年の私にとって重大な悩みだったのですが、最近一周まわって「あんまり気にしなくていいんじゃね?」という気持ちにもなってきました。


私、一応これでも雑談力とか話し方についての本を何冊か読んでみたりもしたのです。けど、あんまりピンと来ないし、気にしすぎると余計分からなくなったりもしました。

たしかに、私はものの言い方を気をつけた方がいい。それは、これからも変わらない。

どんなに練習しても気を付けても、多分私は人と話すことが得意にも、さほど上手にもなれません。多少慣れはするかもしれないけど。

でも、どんなに下手でも、私が伝えることを諦めなければ、受け取る気持ちのある相手にはきっと伝わるはずなんです。


たとえば、道で外国人に声を掛けられたとき。
カタコトの日本語でも、一生懸命話してくれれば、こちらも「聞こう」という姿勢になります。一生懸命聞きます。

意図をすべては理解できなくても、「なにかして欲しいことがあるのかな」「なにか困っているのかな」と、なにかしらの気持ちは伝わるもの。

それと同じように、私が相手を気遣う心を面倒臭がらず一生懸命伝えようとすれば、ワケ分かんなくてもとんちんかんでも、「よく分からんが、コイツにはなんか考えがあるんやな」くらいはきっと分かってもらえる。

精一杯気を遣って話しているのだろう、ということも、1mmくらいは伝わるはず。


もし私が逆の立場だったら口下手でも一生懸命話してくれる人の話は聞きたいし、逆に「下手くそな話は聞きたくない、聞く気がない」というスタンスの人とは、それほど深く関わらなくてもいいのでは?と思ったりもします。


「分かってくれよ〜!」とすべて相手に丸投げはもちろんダメだけど、優しい相手にはきっと伝わる。

「聞こう」と思ってくれる人と話をしたいし、私もそんな優しい人の話を、たくさん聞きたい。

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