苦労が積み重なると、相手にも苦労を強要しちゃいそう。

先日、フリーライターのゆぴさんの、こんなnoteを読みました。

「苦労は買ってでもしろ」とよく聞くけど、別に苦労なんてしなくてもよくない???という思考から、全力で苦労を回避しているというお話。

私も、この意見には大いに賛成です。今は。

今でこそ「いや〜、苦労なんてしなくて済むならしない方がええで!!!」と思っていますが、以前は私も「苦労は買ってでもすべき」的考えがありました。
だって、そのほうがなんか人から評価されるから。

ゆぴさんのnoteの本筋からはちょっと逸れますが、今日は私的「苦労なんてしない方がよいのでは」というお話をしてみようと思います。


苦労が積み重なると、相手にも苦労を強要しちゃいそう。


ズバリ、今日のnoteのタイトルがこれなのですが。

「自分と同じ苦労を、ほかの人には味わってほしくない」と本気で思える心の美しい人ももちろんいますが、そうではない人も一定数いると思うんですよね。

残念ながら、私は後者寄りの人間です。本当に残念です。

「涙の数だけ強くなれるよ」という言葉があるように、苦労を乗り越えてきた人ってそれなりに根性がある。
根がしっかり張っているのはとてもいいことですが、それが裏目に出ることもあります。


苦労をしていない(ように見える)人を、受け入れられない。


日本人は自分を下げて他人を敬う文化があるせいか、とにかく不幸自慢が大好きな傾向があるとよく聞きます。
海外に住んだこともない私が「日本人は」なんていうのも変な話ですが、一般論として聞いてください。

「いやぁ〜若い頃は〇〇で大変だったんだよ」「いやいや俺なんかさ…」と、過去の苦労話でマウントを取り合うシーンに遭遇したことがある人も、きっと多いですよね。

そんな苦労マウント合戦から生まれる最悪の呪文が『最近の若いヤツは』なのかな、なんて思ったりもします。

コレって、いわゆる団塊世代からゆとり・さとり・Z世代の我らに向けた「世代間ギャップ」の問題だと捉えていたのですが、意外とそういうワケでもないよな、とふと思ったのです。

だって、たった1個2個しか歳が変わらない後輩に向かって、「ウチらのときは〜」と先輩風吹かせちゃう人、いますよね?
バッシングを承知で正直に申し上げますと、私にもその気は大いにあります。本当にすいません。

なにを定義に「苦労」と呼ぶかは難しいところですが、一応私も私なりにそこそこ苦労して生きてきたなぁ〜と思っています。
主にお金のことだったりとか、センシティブな性格ゆえの人間関係だったりとか。

そのせいで、お金や人間関係に苦労してなさそう、不満がなさそうな人を素直を受け入れられない気持ちがあります。

「いや、その程度じゃん」とか「そんくらい頑張りなよ」とか、さすがに相手に直接言ったりはしないように心掛けているけど、自分が苦労して乗り越えてきた事柄に関してはどうしても人にも厳しい目を向けてしまいがちです。

もしかしたらその相手は、私とはまったく違うベクトルで苦労を積み重ねてきた人かもしれないのにね。

そのほかにも、好きなことを頑張って苦手なことをやらない人に対して世間は厳しいし、とにかくこの社会では「苦労して得たもの」が評価されがちです。

もちろんコレは「苦労」そのものが悪いのではなく、思考や捉え方の問題だし、たくさん苦労を経験ていても、人の苦労を受け入れられる人だってたくさんいます。

そもそも「ツラい」の基準なんて人それぞれなんだから、比べること自体間違ってるって話を、自分でも書いたことがありました。

私みたいに苦労の積み重ねによって思考が歪んでしまうのであれば、やっぱり苦労なんてできるだけしない方がいい。

なるべくピュアに真っ直ぐに生きて、人にも自分にも優しくしてあげるのが一番なんじゃないだろうか。

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